平 凡蔵。の 創作劇場

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散散歩歩。(1422)瀬戸の潮風に吹かれて。(2)

旅(国内)

10月16日(月曜日)。

シースピカというクルーズ船に乗るために、三原にやってきた凡とミニボンであります。

待っていると、あとから団体さんが15名ほど来た。

でも、それ以上、人数は増えなかったので、船に乗り込んで見ると、4分の1ぐらいの乗船率だ。

凡とミニボンは、窓際の3席を、ふたりで使うように指定されていた。

なので、ゆったりとしていて快適だ。

船内。背もたれの高いところに座ると、前のディスプレイが全く見えない。

ゆっくりと、三原港を出発したシースピカは、少しずつスピードを上げて、瀬戸内海を走って行く。

高速船だから、颯爽と海の上を走るという感じだ。

瀬戸内海は、穏やかで、船が揺れることも無く、島々が、近くに見えるので、最高のクルーズである。

しばらくして、2階のデッキに上がった。

人数が少ないので、真ん中に置かれたソファのような腰掛けも、ゆったりと座ることが出来て、ここ数日は、誰の肺にも呼吸されていないだろうと思えるサラッピンの潮風が、勢いよく身体に飛び込んできて、気持ちがいい。

大久野島に到着。

しばらく、走ると、ひとつめの立ち寄り場所の大久野島に到着。

大久野島は、別名うさぎ島とも言われていて、野生のうさぎが、その辺に、わんさかといる。

凡とミニボンも、2回来たけれども、キャベツなどのエサを持っていると、うさぎが集まってきて、周りがうさぎだらけになる。

これが可愛くて、楽しいんだよね。

先の大戦中は、毒ガス製造の島として使用されて、でも、軍事機密なので、地図にも載ってなかったそうです。

さて、大久野島に上陸。

持って来たキャベツと人参を、バッグから取り出して、、、と、普通なら、ここで、もう既に、うさぎが集まってくるはずなんだよね。

でも、見渡しても、うさぎがいない。

凡とミニボンは、国民休暇村のあるエリアに向かって、ウサギを探しながら歩いて行った。

「うさぎさん、どこですかー。」

でも、うさぎさんは、いないのだ。

道の端っこに、4、5羽いたりするのですが、その道の端っこで寝てたりする。

以前なら、ウサギの方から、こっちに駆け寄ってきてくれたのに。

とうとう、国民休暇村まで、ほどんど、エサをやることもなく来てしまった。

どうなっちゃったんだろうね。

とはいうものの、木の茂みの下にいるうさぎを発見して、エサをやると、食べることは食べるのだ。

とはいうものの、手からキャベツやニンジンを食べてたかと思うと、急に、ひっぱって、エサを横取りしたと思ったら、すぐに、それを捨ててしまう。

何かが変わってしまったのだ。

そのあたりの原因などを追及してみたかったが、このクルーズの立ち寄り時間は、30分だ。

また、船に戻らなきゃいけない。

数少ない、うさぎさんにお別れをして、シースピカに乗り込んだ。

後で、調べてみると、確かに、うさぎは減っているようで、その理由は、諸説あるみたいだ。

うさぎも満腹状態で、山から下りてこないという説や、流行の風邪の影響で、観光客が激減して、そのせいで、ウサギの頭数が、半分以下になったという説。

通りすがりの観光客としては、また、前の様にたくさん、うさぎさんが住む島に戻って欲しいな。

参考までに、2017年に行った時のうさぎさんの様子の写真を2枚。↓ ↓ ↓

兎に角、いっぱい、いたんだよね。

ということで、滞在時間が少ししかないということで、エサもちょっとだけしか持って行かなかったのは、正解だった。

瀬戸内海のクルーズは、まだまだ、続きます。

しばらく走ったら、今度は、2つ目の立ち寄り場所である、大崎下島という島の御手洗(みたらい)という港に到着。

御手洗は、潮待ち、風待ちの港町として、貿易の中継地点として、江戸時代には、栄えていた街らしいです。

また、幕末には、薩摩藩、長州藩、と広島藩が、軍事同盟を締結した、重要な島でもあるそうです。

ただ、今は、何も無いと言っては語弊があるけれども、静かな港町という感じだ。

島に上陸したら、ここで1時間の自由時間がある。

地図を片手に歩き回るも、これと言った有名な観光地がある訳でもなく。

昔の庄屋さんの家や、昭和初期にあった劇場の建物とかぐらいで、ただ、懐かしい町並みを見ながら散策するというのがメインであるみたいだ。

一応、街歩きのパンフレットも用意されている。

その中でも、ちょっと観光的かなという場所は、満船寺かなと思い行ってみると、本堂の横にかなり傷んだお堂があったりして、昔、栄えていたということを思うと、時代の流れを感じてしまう。

ただ、それもまた、旅の楽しみであるのかもしれない。

天満神社など、島の神社も、いくつかあって、それらを参拝して回るのも、面白味がある。

何も無い島で、それでも、何となく楽しんでいた。

それに、海は綺麗なので、ただ、眺めるだけでも、日ごろのストレスが薄らいでいくのが解る。

さて、そろそろ、シースピカに戻りましょうかと思った時に、乗り場の桟橋の前に、マーマレードを売っている出店があった。

船を下りた時もあったのですが、人が集まっているので、素通りしたお店だ。

そういえば、船の中のアナウンスで、85才だったかのお姉さんが作っているジャムが有名だとかいう説明があったなと思いだした。

商品を並べただけの小さな出店では、お兄さんが、85才のお姉さんが作ったと言うマーマレードや、はちみつを広げて売っている。

このマーマレードは、甘夏とブランデーで作ったのと、デコポンとレモンとウイスキーを使用して作ったものの2種類が並んでいる。

そのうちのウイスキーのものが、2017年のイギリスのダルメイン世界マーマレードアワードで銅賞を受賞したそうです。

凡は、マーマレードというジャムは、あまり好きじゃない。

でも、ブランデーのものを味見させて頂いたら、うん、これはイケル。

凡でも、美味しいと思えるマーマレードだった。

なので、1種類ずつ購入。

お兄さんに聞くと、クラッカーに乗せて食べるのがお薦めだそうだ。

それと、麦焼酎のソーダ割に、このジャムを落とすとイケルらしいらしい。

それは、気になるじゃない。

これは、後日談だが、早速、焼酎のソーダ割に、マーマレードを落として頂きました。

成る程、爽やかな飲み口に変わって、食前でも、食後でも楽しめる焼酎ハイボールである。

クラッカーも、マーマレードをストレートに味わえるので、それもまた美味しかったです。

なかなか、良いものに出会えました。

こういう商品は、生産量も少ないだろうし、ここでしか買えないものに違いない。

別に、日常生活に無くては困るというものではないけれど、家に帰って、それを頂くときに、なんか、ちょっと、ほっこりとした気持ちになる。

日常生活の中のオマケのようなものだ。

それにしても、このマーマレードを作った85才のお姉さんに会ってみたかったな。

ちょっと、ふっくらとした女性で、洋風の白いかっぽう着の似合う、ステラおばさんのような感じの人だろうか。

如何にもマーマレードを笑顔で作っていそうだ。

或いは、家の前に置いてある床几に座って、シミーズ一丁で、「暑い、暑い。」なんて言いながら、団扇でパタパタやっているおばあちゃんだろうか。

凡の子供のころは、こんなおばあちゃんが、そこいらの路地に座っていた。

あの時代は、楽しかったね。

でも、どちらにしても、こんなマーマレードを作るんだから、大したものですね。

さて、シースピカに戻りましょう。

船が出航する時、お兄さんが船に手を振っていてくれた。

たぶんだけど、シースピカは、観光船なので、それに合わせて店を出してるんだろうな。

さて、これで2カ所の立ち拠り所は、すべて立ち寄った。

なので、これからは、広島港に向けて、ただただ、船を走らせるだけだ。

これは出航したての風景ですが、窓が広くて船内からでも見やすいです。

乗り込んだら、1階の指定席で、のんびりと、船窓の風景を楽しんでいた。

シースピカの窓ガラスは、広くて見やすい。

ただ、それは良いのだけれど、座席の背もたれが、波型になっていて、高い方の後ろに座ると、その高い背もたれで、折角の正面の大きなディスプレイが、まったく見えないのだ。

これは、ちょっと考え物だが、もう、造ってしまってるので、どうにもならないものではあるのだろう。

さて、そろそろ、2階のデッキに移動しましょう。

ここから、また、船からの眺めだけれど、見どころが待っている。

最後尾は、走り去る航路を見ることが出来るけれども、放り出されそうで、怖くて座れなかった。
音戸の瀬戸

それは、音戸の瀬戸だ。

音戸の瀬戸という本州と島の狭いところにかかる2つの橋を、船から見たりするのだけれど、なかなか、電車を利用しての旅では行きにくいところなので、これもまた、名所のひとつだ。

そして、しばらく走ると、呉港に入る。

ここでは、以前に乗った呉の軍艦クルーズと同じぐらいの近さで、軍艦や潜水艦に近づいてくれる。

テンション、上がりまくりであります。

アナウンスも、軍艦の説明をスピーカーで流してくれるのだけれど、エンジン音で、ほぼ聞こえず。

でも、間近で見る、軍艦と潜水艦は、迫力満点ですね。

その潜水艦のひとつから、煙が噴き出している。

中で、訓練なのか、整備なのか、してるんだろうね。

その煙を見て、自衛隊にも、原子力潜水艦を導入して欲しいなと切に思った。

出なきゃ、自衛隊員が可哀想だよ。

今の時代になっても、ディーゼルの潜水艦なんて。

それで、日本を守れっていうのは、どうなんだろう。

原子力という言葉だけで、毛嫌いするのは、冷静さを欠いた感情でしかない。

と、軍艦のデッキに立っていた自衛隊員を見て、そう思った。

んでもって、呉の海軍基地を、思ったより、ゆっくりと廻ってくれて、大満足でありました。

呉港では、降りる人もいなかったので、そのまま、船は、広島港に向かう。

途中、グランドプリンスホテルさんに、立ち寄る。

ここで、降りる人がいるからだ。

ここは、以前、泊まったことがあるので、懐かしかったな。

んでもって、広島港に到着。

18時頃だった。

結構、たっぷりと時間のあるクルーズだったので、凡もミニボンも、大満足でありました。

さて、今日のホテルは、広島東急REIホテルさんだ。

路面電車で、八丁堀まで移動して、そこから歩く。

ちょっと、遠い気がしたが、無事、ホテルにチェックイン。

部屋の窓から。

部屋は、落ち着いた雰囲気で、広さもあり、清潔感もある。

デスクとしても使えるカウンターもあり、簡単に言うと、快適なホテルである。

賭け布団が、羽毛では無くて、薄手の人口綿のデュベルタイプなのも、新鮮な感じがした。

さて、夕食に出かけましょう。

広島に来たら、あそこに行こうというお店を決めてあるのだ。

コメント

  1. yukemuri より:

    瀬戸内のクルーズはなかなか良い感じですね
    いつか乗ってみたいと思います
    うさぎさんはどこに行っちゃったんですかね?
    激減するなんてビックリですね
    それとマーマレード、これは大人の味のような気がしますよ
    絶対美味しいでしょうね
    良いもの買いましたね
    広島についたら行きたい店があるとありますが、いったいどんな美味しい物を食べたのか気になりますよ
    それから原子力についてですが、自分は反対するに人に言いたいのですが、原子力をすべて止めて昭和初期のような時代に逆戻りしても耐えられるのか?
    今よりも光熱費が上がってなおかつ不自由な生活に耐えられるのか?
    その覚悟があって反対するなら良いですが、便利な生活は捨てられないけど原子力は反対と言う人の気が知れません
    たしかにいったん事故があれば悲惨な結果が待っていますが、資源の無い日本が豊かな暮らしをするには利用せざるを得ない気がするんです
    潜水艦だってディーゼルは今時ないですよね
    やはり原子力潜水艦じゃなきゃ役に立たないでしょって思いますよ
    原子力に頼らなくても豊かな生活ができ、平和な世界が訪れるなら話は別ですけどね・・・

  2. tairabonzou tairabonzou より:

    今回乗ったシースピカは、yukemuriさんにもお薦めできるぐらい良かったです。
    船は小さいのですが、まだ、新しいということもあって、快適でした。
    うさぎは、ほんと、どこに行っちゃったんでしょうね。
    広島で行きたい店というのは、去年に行ったメキシコ料理のお店なんですよ。
    結構、美味しかったので、また行きたいなと。
    広島とは、まったく関係無いのですけどね。
    それから、原子力は、yukemuriさんも熱いですね。
    原子力発電にしたって、インドとかには、協力とかなんとかそんな理由で、造ったりしてるのに、
    輸出している日本が、揉めてるってのも、オカシナ話です。
    原子力は、管理をすれば、有用だと思うんですよね。
    というか、国家を上げて、原子力に変わるエネルギーを日本が開発するぐらいであって欲しいなと、
    そう思うんですよね。
    そろそろ、次のテクノロジー出来てこないかな。
    私が、生きている間に、それを見てみたいです。
    まあ、夢物語かもしれませんが。

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