平 凡蔵。の 創作劇場

恋愛ストーリーや、コメディタッチのストーリー、色んなストーリーがあります。
どれも、すぐに読めちゃう短編なので、読んで頂けたら、うれしいです。

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散散歩歩。(170)ポトフ。(御馳走ノート)

御膳の前に座って、その料理が盛られた深皿を見ながら、右手を頭のてっぺんに乗せて考えた。
考えたが、解らず、ため息を1つつく。
「ポトフ」
これは、一体どういう料理なんだ。
スープなのか、シチューなのか、おかずなのか。
勿論、ポトフという料理は知っています。
肉やソーセージを、にんじん、玉ねぎ、じゃがいもなどの野菜と、セロリやローリエなどの香りの引き立つものとを鍋で煮込んだフランスの家庭料理だ。
凡は夕食を食べる時は、ビールで晩酌をする。
なので基本的に濃い味が好きだ。
唐揚げにビールなんて最高だ。
しかし、このポトフという料理は、大概にして塩程度の味付けしかしていないので、何とも凡に取っては頼りない味付けなのであります。
ですから、食卓に向かって、まず最初に冷たいビールでキューっとやったあとに、ポトフのたまねぎやジャガイモなどを食べたなら、「さあ、どうする?」という気分になるのです。
これが唐揚げだったら、唐揚げを1個食べた後に、何の躊躇もなく2口めのビールを、またキューっとやる訳なのでありまして、それに比べて何ともポトフとは悩ましい料理であると言える。。
一体このポトフを美味しいと思っている中年男性はいるのだろうか。
ソーセージだって、そうだ。
ポトフに入っているソーセージは、何か気が抜けた炭酸水のようで、たとえマスタードをたっぷり塗ったところで、残念な気持ちで口に入れることになる。
油をたっぷり引いたフライパンで強火で一気にちょっと焦げ目がつくぐらいに炒めて、塩と胡椒をたっぷり振りかけたソーセージとどっちが美味しいですか。
誰に聞いたって90パーセントの人は、後者であるに違いないと思う。
そして、このポトフという料理である。
スープなのかというと。
スープにしては具とのバランスが非常に悪い。
凡は汁物が大好きなので、それならいっそ、具の無いポトフにしてくれと思うのである。
ならば、シチューなのか。
シチューにしては、味が淡泊すぎる。
シチューは大好きだけれど、パンやご飯に合う味の濃さでなくてはならないと思う。
ならば、おかずなのか。
このポトフは、我が家では、どうもおかずとして食卓に上っているようです。
それなら、何卒ビールに合う味付けにしてほしいのでございます。
頭の上に乗っけた右手を下して、ビールの入ったコップを手に取って口に運ぶ。
冷たいビールを一気に飲み下して、喉を通過する爽快感と、胃袋の内側が冷たくも温かくなる感覚を愉しんでいると、「あ、そうか。」とポトフという料理に対する答えが見つかったような気がした。
ポトフという料理は、美味しい料理であるからフランスを始め日本でも家庭で作られ続けてきたのではないのである。
ポトフという料理は、奥さんが作りたいから作られてきた料理なのです。
確かに、その名前自体も幸せな響きがする。
「ポトフ」
女性が好きなフランスの響きがするのである。
日本なら北海道かどこか自然の素晴らしいところで、木の温もりを感じるログハウス。
パパとママ、そして小学生ぐらいの男の子と女の子が、パチパチと木のはぜる音がする温かい暖炉の前のテーブルで、「今日、学校でこんなことがあったんだよ。」って女の子がママに言った。
それを聞きながら家族全員が笑顔で食事を楽しんでいる。
そんな光景が目に浮かぶ。
そんな現実には存在しない幸せな食卓を象徴する料理がポトフなのである。
つまりポトフを作ることで、私は幸せだと錯覚をしたいがために、一所懸命ポトフを作って来たのです。
考えてみれば悲しい料理だ。
望まれていないのに、幸せを求めて作り続けられる。
料理本には、「体の芯まであったまる」なんて、書かれてあります。
この言葉も、イメージが先行している。
確かに温かい料理なので、口に入れたら温まるような気がするのかもしれませんが、実際にはすぐに喉元をとおる温度まで冷めて、それが胃袋に入るまでには、熱くもない料理に実際にはなっているのです。
それなら、焼肉を食べた方が、体の芯まで温かくなるのではないだろうかと思う。
凡が料理本の作者なら、「体の芯まで温まるような気がする」と書くだろう。
何でも正確でなきゃいけません。
さて、2口目のビールを飲んだ後に、おもむろにジャガイモを取り皿に移した。
そして、小さな声で呟いた。
「醤油掛けたら、アカンかな。」
凡は、仕事から帰る時に、駅から帰るコールをする。
その時に決まって晩御飯を聞くのでありますが、その時にポトフであることがある。
そんな時にミニボンはいつも、「あ、今、暗い声になったで。」と言う。
凡がポトフがそれどには好きでないことを知っているのであります。
好きでないことを知っているなら作らなければいいと思うのですが、そんなことを言うなら「作った人が一番偉い。」と言葉が返ってきます。
とはいうものの、凡に料理を作ってあげようと思う人は、ミニボンしかいないのでありまして、料理を作ってくれただけで有難いのであります。
これは本当に、感謝。
とはいうものの、望まれていないポトフを作り続ける。
でも、これでいいのだ。
今度、帰るコールでポトフを作ったと聞いたなら、ミニボンも幸せを夢見てポトフを作ったんだなと思おう。
本当に幸せだったら、ポトフなんて作らなくてもいいのに、ごめんね。
ミニボンにポトフを作らせているのは、元をたどれば凡なのかもしれない。
取り皿に乗っかったジャガイモを食べると、悩ましい幸せの味がしたように思った。

コメント

  1. oriver より:

    ここまでポトフを語られちゃったら(笑)
    確かにね、ビールに合うお料理ではありませんね(*^_^*)娘達が小さい頃はよく作りましたよ。ごろごろの大きめベーコン(パンチェッタ)を入れてね♪
    幸せな食卓、、、うふふ♪シチューもその感覚ありませんかぁ~。ふぅふぅ言いながら家族の顔を想像しちゃいますよねぇ。
    でも、このこだわりが私は楽しく読みました。
    一人、ぷッって吹き出すoriverでした(^^♪

  2. 凡蔵。 より:

    ありがとう、oriverさん。
    体には良さそうなので、家族を思うお母さんの料理なんでしょうね。
    でもなあ、もっと濃い味がいいんですよね。
    でも、oriverさん家は、娘さんが優しい気持ちの女の子だから、ポトフが似合うと思いますよ。
    いいなあ。
    私の実家は、私と弟の兄弟だったので、これもまたポトフが似合わないですよね。
    あ、でもシチューは好きですよ。
    あれは、味が濃いですからね。
    シチューは、私の気持ちも幸せにしてくれる料理であります。

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