1週間は経ってはいないだろうと思うのだけれど、ある少女が、ずっと、頭の中に、ちょこんと居座って、凡を悩ませている。
ちょっと、おめかしをした小学校1年生ぐらいの可愛い女の子だ。
そして、無邪気に、凡を見つめている。
その姿と声が、消えないのである。
そんな事になったのは、その1週間前にあった出来事が原因なのである。
仕事から帰る途中の京阪電車の中、凡は、ロングシートに座っていた。
すると、すこし離れたところの斜め向かいのシートに、若い夫婦と、その子供が座っている。
黒いスーツは着てはいないけれども、或いは、結婚式の御呼ばれの帰りかもしれない。
大きなバッグには、礼服が入っているように思えた。
夫婦の持っている半透明の袋には、花束が入っているので、結婚式では無くても、何かのお祝いのパーティーに参加したことが推測できる。
夫婦の真ん中に座っている女の子も、余所行きの服を着せてもらって、気分も昂揚しているようだ。
しばらく、見るとはなしに見ていると、女の子が、パーティーで貰っただろう細長い棒の先に小さな風船がついたものを手に持って、それをマイクに見立ててパパの口許に持っていった。
そして、言ったのだ。
「今日は、どんな1日でしたか?」
パパは、何か言ったのかもしれないが、それは聞こえなかった。
ただ、すぐに目を閉じて寝てしまった。
お酒がまわっていたのかもしれない。
すると、今度は、ママの方に、マイクを向けて、同じように「今日は、どんな1日でしたか?」と聞いた。
まるで、テレビのモーニングショウに出ている美人アナウンサーのように。
或いは、スポーツ選手のヒーローインタビュウのつもりでいたのかもしれない。
その質問で、今日は、この家族にとって、何か特別なイベントがあったことが解る。
加減を知らない女の子の声は、少し離れた凡のところまで、ハッキリと聞こえてくる。
ママは、照れくさそうに、小声で女の子に、何かを答えた。
さすが、ママだね。
パパの様に、居眠りをきめこんだりはしないんだね。
周囲に人がいるせいか、恥ずかしさもあってか、小声なので、ママの答えは聞き取れなかった。
なんて、答えたんだろうね。
でも、何か、微笑ましい風景でもあった。
御夫婦と、女の子は、凡の駅よりも手前で、電車を降りた。
降りて、ホームを歩いている時に、女の子が、凡が見ていることに気が付いて、手を振った。
これは困った。
凡は、子供がいないせいもあるのだろう、もともと、苦手なのかもしれないが、子供との接し方が分からない。
いや、そんな手を振られても、、、、。
女の子は、一体、どういう作戦で、凡に手を振っているのだろう。
凡に、気に入られようと思っている?
いや、おそらく、もう会う事は無いはずだから、気に入られる必要もないに違いない。
ただ、何も考えずに、ただ、女の習性として、とりあえず、男に対して、異性の興味の惹く仕草をしてしまうのか。
それなら、末恐ろしい女の子だ。
ひょっとしたら、バイバイに見えた手の振りは、凡の人格を否定する「ノー、ノー。」っていう意味だったのか。
「あなたは、ダメな人間よ。」ってことなのか。
凡は、女の子のバイバイに、何も出来ずに、固まっていた。
すると、女の子は、そのままホームを歩いていった。
助かった。
とりあえず、終わったのだ。
と、一瞬、ホッとしていたら、また、振り返って、凡に手を振ったのだ。
やめてくれー、その無邪気な目は。
今回は、2度目だから、何かしない訳にはいかないだろう。
子供のアクションに対して、何かをしなければ、大人として、失格だろう。
意を決して、凡は、ぎこちなく手を振り返した。
終わった。
何とか、アクションを返すことが出来たのだ。
それにしても、あんな幼い女の子に、凡のこころを翻弄されるとは。
まだまだ、凡も、女性の修業が足りません。
そんなことがありまして、その手を振ったことについては、気が済んだのですが、女の子の言葉が、家に帰っても、寝て起きても、そして、1週間経った今でも、鮮明に凡の頭の中に繰り返し登場するのである。
そして、女の子の言葉が再生される。
「今日は、どんな1日でしたか?」
風船の付いた長い棒のマイクを凡の口許に差し向けている。
あどけない女の子の目は、無邪気に、キラキラと、凡を見つめている。
その女の子の質問に、凡は、どう答えたら良いのだろうか。
「今日はね、朝は、早く起きなくちゃいけないと思いつつ、30分ぐらい、うだうだと、惰眠をむさぼっていたかな。そして、仕事場では、顔も見たくない嫌いな人に、意味もなく、怒られて、でも、ケンカとは、そんなのは、凡は苦手なので、ただ、へらへらと笑って凌いで、そんなことをしたかな。これは間違ってるなと思う仕事の指示もあったけれど、それを言っても無意味な人もいるしね、それに、言うと、次から仕事がしにくくなるから、そのまま従ってしまったか。たぶん、これから家に帰っても、今日もまた、酔っぱらって、何も為さずに、撃沈してしまうのだろう。」
と、そんな答えになるのだろうか。
あまりにも、辛すぎる答え。
悲しすぎるよ。
凡は、最低な人間だと、再認識してしまうから、それは、答えないでおこうか。
となると、「昨日と同じ1日だったよ。」
なんてのは、どうだ。
これは、内容としては、間違いではないので、一応は、凡自身も納得は出来る。
でも、変化を起こさない凡が、嫌になってしまう。
それにしても、この質問に対して、「今日も、素晴らしい1日だったよ。」と、答えられる人は、果たして、いるのだろうか。
、、、いるのだろうね。
ただ、その良い日だったと言える人も、他の人に対して、良い日に貢献できたといえる日だったのだろうか。
周りの人が、その人のせいで、嫌な思いをしているのに、本人だけ、良い1日だって思っているという場合もあるのじゃないだろうか。
本人が、知らない間に、人に嫌な思いをさせている。
でも、気が付いていない。
最近の、世間を見ていると、そんな人も多いような気がするな。
それなら、そんな良い1日は、それほど、羨ましくはない。
みんなは、この質問に、どう答えるのだろうか。
普段なら、何でも、すぐに忘れてしまうのだが、この時のシーンだけは、凡の脳みそに、強烈に刻み込まれてしまった。
毎日、毎日、頭の中で、否応なしに、再生し続けているのだ。
「もう、堪忍して。」
でも、そのうちに、忘れてしまうだろう。
その日を、ただ、待つしかないのであろう。
ただ、これだけは、神様に、というか、脳みそにお願いしたい。
凡が、命終わる時に、あの女の子が現れて、「あなたの一生は、どんな一生でしたか?」と聞かないで欲しい。
考えてみれば、人を傷つけたこともあるし、挑戦を諦めたこともあるし、
逃げてばかりの人生だ。
そして、何も為してはいない。
人の為になるようなことは何も為していないし、人の恩だけで、今まで生きてこられたようなものだ。
とはいうものの、親の愛情も受けて育ったし、ミニボンとも出会って、給料も少ないのに、人生の半分以上を凡と一緒にいてくれたし、旅行も行かせてもらったし、みゆきさんのコンサートだって、何度も見ることが出来た。
そう考えると、まんざらでもない気もする。
世界中の、あちこちで、戦争や、飢餓などで、苦しんでいる人が沢山いる。
そこで、生まれていたら、どうなっていただろう。
ただ、今の状況で、生きていることだけで、幸せであることを忘れてはいけない。
凡の、命が、今終わろうとしている。
遠のく意識の中に、女の子が現れる。
「やっぱり、君は、現れたね。」
「ホントは、あたしのこと、待ってたんだよね。」
ちょっと、大人ぶった言い方で女の子が答える。
そして、屈託のない目で、無邪気に凡に聞いた。
「あなたの一生は、どんな一生でしたか?」
問いに対して、正直に言う必要なんてないさ。
とはいうものの、死ぬ時ぐらい正直であってもいい。
なので、こう答えるのかもしれない。
「案外、幸せな一生だったよ。」と。
すると、女の子は、しばらく、凡を見つめていたかと思うと、「なあんだ。つまんない。」と、無邪気に答えて、プイと何処かへ行ってしまった。
「たとえ、子供であっても、女は怖いな。」
そう呟きながら、凡は息を引き取ったのであります。
、、、やっと、少女の問いを忘れることができそうだ。
〈追記〉
たとえ、少女であっても、女の子の問いは、怖いなと思っていたら、もっと、怖い問いを発する人がいることに気が付いた。
みゆきさんだ。
みゆきさんに、「今日は、どんな1日でしたか?」
なんて聞かれたら、ぶるぶるっと震えが来て、ダメな凡の1日なんて、正直に言えなくなってしまう。
「ぜんぜん、ダメな1日だった。」
なんて、答えてしまったら、どーするのよ、あーた。
「何がダメだったの。」
「どうして、ダメって解ってるのに、それに対処しなかったの。」
「対処できなかった、理由を教えて。」
「じゃ、出来るようになるには、どうしたら良いか、一緒に考えましょう。」
なんてことには、なりはしないだろうか。
凡は、それには耐えられないよ。
でも、みゆきさんの前にいたいから、我慢して、みゆきさんの説教を聞くことになる筈だ。
っていうか、みゆきさんって、そんな事を言う人なのだろうか。
説教じみたことなんて、言わない気もするし、どうなんだろう。
でも、みゆきさんが目の前にいるなら、「一昨日より、昨日より、今日が1番みゆきさんを好きだって言える日だよ。」って、これは本心から言える。
「じゃ、昨日は、今日ほど、あたしのことを好きじゃなかったのね。」
なんて、悪戯っぽく凡を見つめたりして。
その仕返しに、凡は、みゆきさんに問うね。
「じゃ、みゆきさん。今日は、どんな1日でしたか?」
さて、どう答えますか、みゆきさーん。
「あのねえ。今日と言う日は、まだ、終わってないのよ。今日はね、24時まであるの。今は、夜の9時だから、あと、3時間あるじゃない。まだまだ、いろいろ出来ることあるでしょ。」
、、、、えっ?
夜の9時から、いろいろ、、、。
「やっだあ。もう、みゆきさんったら。夜にいろいろって。あんなことや、こんなこと。いやいや、意外と、みゆきさんて、スケベなんだからー。わかりました、わかりましたとも。いや、凡も、まだまだ、経験が浅いものでございまして、その辺は、みゆきさんに身を委ねて、快楽の、、、。」
急に、頬っぺたに激痛が走る。
そして、鼻から、温かい赤い液体が、ポタポタと流れ落ちる。
「みゆきさんの拳って、想像以上に固いんだね。空手の黒帯だったりして。あはは。」
「あ、そうだ。今日はね、初めて男を殴った日になったよ。」って、みゆきさんが、拳の血を拭きながら言った。
「あ、そう。じゃ、みゆきさんにとっては、殴った記念日で、凡にとっては、殴られた記念日がということなんだね。ふたりの記念日が出来たね。大切にしようね。」
凡とみゆきさんは、見つめ合って、24時まで過ごすのであった。
と、これまた、蛇足の蛇足の追記を書いてしまいました。
どうも、みゆきさん欠乏症が、書かせてしまったのね。
それも、これまた、意味の無い妄想。
んでもって、みゆきさんを暴力的に書いてしまって、ごめんなさいね。
ああ、早く来年にならないかなあ。
コンサートの席、前の方がいいなあ。
みゆきさん欠乏症のためか、京阪電車の案内表示の「中之島ゆき」が「中島みゆき」に見えてしまう今日この頃。
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