平 凡蔵。の 創作劇場

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散散歩歩。(529)アイラブユー・ほたえてくれ!みゆきさーん。(189)

8月23日。
中島みゆきさんのオールナイトニッポン月イチのある日。
前日遅い夕食で、普段はビールを飲むだけなのに、昨日は何を思ったか、或いは今日が休みだったからか、500ミリを2本飲んだ後に、ワインを1本飲んでしまった。
何故にこんなことをしてしまうのか、凡自身のアホさを恨めしく思いながらも、3時前には起きまして、何とか椅子に座ったのではありますが、ぼんやりした凡の頭はラジオを探すことが出来ずに、3時ギリギリに何とかアイフォンのラジコでみゆきさんの声を聞くことができた。
それにしても、可愛い声なんだなあ。
とはいうものの、ラジコで聞いたせいなのかもしれないけれど、最初はややいつもより声が低く感じた。
それに、何か無理に作った元気のような気がしたのです。
もしくは、どこかいつもと違うことをカバーしようと、いつもよりしっかりと段取りを整えたというような、頑張っているんだけれど、それが却ってちょっと心配なような、そんな感じがした。
とはいうものの、それは凡があまりにもみゆきさんが好きになってしまったために起こる無意味な過剰反応なのでありまして、現実には心配するには及ばないものではあるのであります。
まるで中学生並みの恋愛感情。
さて、今回の放送での感じたことであります。
最初のハガキで、生ビールと瓶ビールの味の違いについてリスナーから質問があった。
凡のイメージでは生ビールの方が薄い気がする。
瓶ビールよりも沢山の量を飲んでも大丈夫という感じ。
でも、実際は中身は同じなんですってね。
ラジオのスタッフの方の意見で、「泡じゃないか」というのもあったそうですが、泡については生と瓶の違いというよりも、お店の違いだろうと思う。
お店に寄って泡の量もきめの細かさも全く違う。
とはいうものの、凡は泡についてはどうだっていい。
何故なら、ビールに泡は要らないからだ。
たまにビール通と称する人が泡の大切さを自慢げに語っていることがあるけれども、聞いていて悲しくなる。
ビールの本体は液体である。
その液体にビールの美味さと爽快さが存在するのである。
泡はその液体を飲む時の邪魔になるだけのものでしかない。
このあたりについては、以前に書いたので良かったら読んでくださいまし。
そんでもって、みゆきさんのイメージだ。
生ビールは、サッポロビール園の「ガッコン、シュワー」というガサツなイメージで、瓶ビールの方は、「ちょっとお上品な、何すか、おひとつどうぞ、コポポポポ。」というイメージだって言ってたよね。
うーん、いいなあ。
どうなんだろう、どっちなんだろう。
みゆきさんは、ガッコンシュワー派なんだろうか、コポポポポ派なのだろうか。
どっちを妄想したって可愛いんだもんね。
そんなことを聞いたら、サッポロビール園に行きたくなっちゃった。
凡は札幌には行ったことがあるのですが、サッポロビール園には行ったことがないんですね。
みゆきさんの口ぶりでは、みゆきさんはサッポロビール園には行ったことがあるようですね。
大学時代なのかな。
ジョッキを豪快にあおるみゆきさん。
それも可愛いに違いない。
そんでもって、コポポポポである。
みゆきさんが凡に「おひとつどうぞ。」なんて瓶ビールを差しだしたらどうだ。
これはもう普段の凡ではいられなくなる。
凡の声は、いつも裏返ったようにギコチナクテ、驚くほど滑舌が悪い。
なので、みゆきさんの「おひとつどうぞ。」に、声を裏返らせた、カミカミで「あ、あ、あ、あり、あり、ありだどう。」なんて、コップを緊張でブルブル手を震わせながら差しだすことになって、カッコ悪いことこの上ない。
なので、何とか演技を付ける必要があるのだ。
低音でね。
滑舌の悪さを隠す為に言葉は少なめだ。
コップを手に持つと震えるから、テーブルに置いたままだ。
みゆきさんが、「おひとつどうぞ。」ときたら、「んん。」と喉の奥から絞り出すような低音で答えて、コップは手に取らないで、何かを考えているかのように眉間に深いしわを作って前を向いたまま動かない。
仕方なくみゆきさんはテーブルに置かれたままのコップにビールを注ぐね。
これなら、みゆきさんの「おひとつどうぞ。」にカッコよく対処できる。
とはいうものの、これじゃみゆきさんが可愛そうだ。
それに、そんなことを凡がしたら嫌われてしまう。
取りあえずはコップは手に取るぐらいのことをした方がいいだろう。
とはいうものの、喉の奥から絞り出すような声で、眉間にしわを作った表情で、ブルブル震えながらコップを差しだしたら、これは何ともカッコ悪い。
ならどうだろう、コップを差し出す時に腕を思いっきりテーブルの角に押し当てて、手を固定してコップを差し出す。
これなら、震えも最小限にすることができる。
ただこの方法だと、腕が固定されているからコップの差しだせる位置が限られる。
カウンターの隣りに座った場合だと有効だけれど、向かいどうしだったら、コップがみゆきさんまで届かない。
それはどう見たって不自然だろう。
なら、いっそ諦めて凡は凡らしく、裏返った声で、カミカミで、ブルブル震えながらコップを差し出した方がいい。
みゆきさんには、素の凡を見て欲しいから。
たとえ、それがどんなにカッコ悪くてもね。
そんでもって、この「おひとつどうぞ」の場合の瓶ビールは、小瓶でなければならない。
瓶ビールには、大、中、小というサイズがある。
凡は何と言っても小瓶が好きだ。
あの小さな瓶を見ていると可愛くて愛おしくなる。
勿論、あの小瓶は1本では物足りない。
でも、小瓶は何本も注文してテーブルに並べていくのが、これまた楽しいのである。
ただ、小瓶と中瓶は値段の差はあまりない。
なので、ビールを注文するときに小瓶なんてものを頼むと、ミニボンに叱られてしまう。
なので、凡が小瓶を注文するのは、凡が1人で旅行をする時ぐらいだ。
それに小瓶を置いているお店は少ないから、まあ年に1度ぐらいだろうか。
とはいうものの、小瓶というのは、そのお店のレベルを量る物差しでもある。
ビールの小瓶を置いているお店は、フリで入っても、まず間違いがない。
それにしても、最近は中瓶が巾を聞かせていることが凡はどうも気に入らない。
大瓶はいい。
たっぷり飲めるし、いさぎがいい。
居酒屋ではこれに限る。
それに比べて、中瓶はどうだ。
ただ、凡も冷静に考えるなら、中瓶でも悪くはないと思う。
量的にも万人向けだし、どこをとっても非難されることはなにもない。
中味も同じだ。
ただ、中という言葉の響きが良くない。
中途半端なこと、凡と同じである。
中途半端な凡が、中途半端な中瓶を頼む。
そんなことに捕らわれていること自体が、中なのかもしれないけれどもね。
ということで、みゆきさんと「おひとつどうぞ。」の場合には何と言っても小瓶である。
それにね、小瓶ならコップを使わない方法もあるんだ。
みゆきさんの仕事が終わった帰りに公園のベンチで待ち合わせる。
先にみゆきさんはベンチに座ってるね。
凡はビールの小瓶を人差し指と中指で2本挟んでみゆきさんに声を掛ける。
凡はみゆきさんに、その内の1本を渡すんだけれど、公園の遊具の角のところに瓶の蓋の端を引っかけて、そこに手を振り落して蓋を開けるんだ。
このシーンのイメージは、ウエストサイドストーリーで、トニーがお店の裏で仲間と話をする時にコークの蓋を手すりの角で抜くシーンがあったんだけれど、あれがカッコイイんだよね。
この場合の凡はウエストストーリーのトニーだ。
そして小瓶をみゆきさんに渡す。
そんでもって、みゆきさんの持っている小瓶の首に凡の小瓶を、「コン」なんて当てて乾杯するんだ。
「お疲れ様~。」なてね。
この場合はラッパ飲みだ。
凡は、ビールのラッパ飲みは、喉を通過するビールの速度が遅くなるからラッパ飲みは否定する。
でも、みゆきさんとなら雰囲気だね。
それにしても、そんな「おひとつどうぞ。」は、凡には実現する日が来るのだろうか。
昨夜の飲みすぎの為に、妄想がよりヒドクなってきたようであります。
今回の月イチでそんなことを感じた凡なのでありますが、また気が付いたことがあったら、少し遅れて書いてみるかもしれません。
よかったら、お付き合いくださいませ。

◆「悩み多きブッダたち」

 なんだこれはという小説ですが、
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