平 凡蔵。の 創作劇場

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散散歩歩。(342)冷た過ぎるざるそば。

子供の頃や、学生時代に、街にある食堂や、観光地の食堂で、ちょっとお昼でもという時に、よくざるそばを食べていたような記憶がある。
そんな時は、本格的な蕎麦屋ではなくて、普通の街のうどん屋さんで食べることになるのだけれど、どうもそんなお店のざるそばが好きだった。
最近は、蕎麦屋でもうどん屋でも本格的なということを謳ったお店ばかりになりましたね。
何か、少しばかり窮屈な気がする。
なのでありますが、そのことは一旦置いておきまして。
そんな普通のうどん屋さんで食べるざるそばには、関西ではうずらの玉子が付いていて、あれをツユの中にポトンと落とす作業が楽しかった。
あのうずらの玉子が入ることによって、そばにツユの味だけでなくコクのある滋味がまとわりついて、少しばかり贅沢な味に変わる。
それに、うずらの玉子がつゆに浮かんでいる様は、見た目にも小さくて愛おしい。
でも、最近は、このうずらの玉子が付いていないお店が増えた。
これもやっぱり、そば本来の風味を味わってほしいという本格的なということを謳っている蕎麦屋の押し付けだろうかと疑う。
というものの、ここでも本格的ということの窮屈さと、うずらの玉子については、一旦置いときまして。
そして、そんなうどん屋で食べるざるそばは、凡の好みの柔らかい麺だった。
関西の普通のうどん屋さんの普通のざるそば。
美味しいね。
なのだけれど、最近それが減っている。
ここ2週間ぐらいかな、急に暑くなったよね。
なので、お昼ご飯に仕事場の近くの蕎麦屋さんで、ざるそばを食べることも多くなった。
でも、毎回思うことがある。
テーブルに運ばれたざるそばを見ると、如何にも涼しげで美味しそうだ。
それでもって、箸で摘まみ上げてツユに浸して食べるのだけれど、口に入れた瞬間にいつも感じる。
「冷たい。」
というより、凡的にいうなら、「冷た過ぎる。」
一旦茹でたそばを、冷水で〆るのだけれど、その冷水で〆るときに、キンキンにそばを冷やしているのです。
これは凡がいつも行く蕎麦屋に限らず、最近の蕎麦屋は、ざるそばをキンキンに冷やしているお店が多くなった。
これは、どうもいけない。
昔のざるそばは、こうじゃなかった。
と、懐古趣味に走っている訳じゃない。
一体に、ざるそばは、キンキンに冷やしちゃ美味しくないのです。
美味しいそばは常温でも美味しいのですが、
一体に於いて、ざるそばというのは、口に入れた時に、ややヒンヤリとしているのが美味しい。
ただ、それはヒンヤリであって、キンキンに冷たいのではない。
ざるそばは、デザートじゃなくてご飯の部類にはいる食べ物だ。
アイスクリーちゃうっちゅーねん。
冷た過ぎると、その冷たさで舌が麻痺して、そばの味なんて分らなくなる。
口の中で、もぐもぐと噛んでいる内に、そばの温度が戻ってきて、風味が口の中に広がるけれど、というか正確には口の中に広がったそばの風味が鼻の奥から抜けるが、格好をつけてツルツルなんてすすり込んで呑み込んでいたら、そんな冷たいそばじゃ風味なんてない、そばつゆの味しかしない細い棒になっちゃう。
粋に食べようとしたら、美味しくないものを食べなきゃいけなくなるという、何ともイケメンには辛い食べ物になってしまう。
昔の普通のざるそばは、こんなに冷えてはいなかった。
それに、昔といっても、江戸時代や、製氷機のある氷屋さんが、まだあまりなかった明治時代なんかは、こんなキンキンじゃなかっただろうし、井戸水で〆たぐらいのざるそばでも充分にヒンヤリと美味しく食べられたと思う。
などとね、意気込んで書いてしまいましたけれどさ。
ざるそばなんだ。
もっと、気楽に食べればいい。
冷た過ぎたって、そのまま黙って食べればいい。
ちょっと待って、そばが温くなってから食べればいい。
どうせ、そばが延びたって、もともと柔らかい麺が好きなんだしさ。
運ばれてきたざるそばを目の前にして、暫しにらめっこ。
「にらめっこしましょ、笑うと負けよ。あっぷっぷ。」
なんてね。
そばは笑わないから、凡が負けるのは、やるまえから分ってるけれどね。
どうせなら、蕎麦屋のサラサラロングヘアーをポニーテールにしたエクボの可愛い店員さんと、あっぷっぷなんてしたいけれど、大概に於いて凡の行く蕎麦屋さんには若い女性の店員さんはいない。
どうしたものか。
それでも、せっかちな凡は、冷え過ぎたままたべちゃうね。
それにしても。
冷たいことに文句を言うなんて、贅沢になったものであります。

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