平 凡蔵。の 創作劇場

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散散歩歩。(340)見えない呪縛。

人に嫌われるのが怖い。
人に怒られるのが怖い。
人と争うのが怖い。
人に無視されるのが怖い。
怖い。
怖い。
怖い。
「きゃーっ。」
鏡を見て年をとった自分を感じるのが怖い。
何とも臆病な凡であることか。
臆病であるがゆえに、何かを今までに成したということが何もない。
凡は好奇心だけは、他の人よりもっていると思う。
そして、それに向かって1歩を踏み出す。
それはもう意気揚々としている。
そして、何歩だか何メートルだか、歩いたかと思うと、突然立ち止まってしまう。
凡のこころの中の臆病が、じわじわと顔を覗かせ始めるのだ。
あるいは、人にその道を批判される場合もある。
そんな時も、全然気にすることのない、全然凡の人生に関係のない、他人の意見に惑わされる。
というか、その人や、他の人の目を気にしてしまう。
あるいは、やってみなければ分らないのに、想像力でもって膨らませた、道の先の恐怖に怯えてしまう。
道の真ん中に立ち止まったまま、先に進むべきか、引き返すべきか、結局は答えも出すことができずに、ずっと立ち止まったままだ。
そんな時は、情けなくって泣き出しそうになってしまう。
どうして、こうなんだろうね。
まるで凡の人生なのに、他人の見えない鎖で縛られているようだ。
他人による呪縛。
あるいは、本当は存在なんてしていないのに、そんな見えない鎖があるように、勝手に思い込もうとしていて、無意識の内に、それに縛られていると、存在しないものをリアルに実感している。
自分自身による呪縛。
その鎖は、理由のない恐怖であり、今の状況より悪くなることへの恐怖であり、自分の周りの人に嫌われる恐怖である。
子供の頃、といっても中学や高校の時代の事だけれど、今はハッキリとしたその当時の心持は分らないけれど、やっぱりその時はその時で、何かに向かって意気揚々と歩き始めたはずである。
でも、やっぱり立ち止まったと思う。
その鎖は、家庭だった。
父親や母親の意見だったり、家を出ることも出来ないという理由だったり。
それは悪いものじゃない。
むしろ、愛であったり、安定した居場所であったりね、普通に考えると良いものだ。
でも、良い鎖の方が切ることができないものでもある。
就職してからの鎖は、社会だ。
まだ未成熟な凡の精神と、社会の流れにギャップを感じた。
とはいうものの、あの時はまだまだ希望と言うか夢があふれていたね。
でも、未熟な凡にとって、それを克服するだけの勇気が無かった。
凡も結婚してから、もう25年以上になるのかな。
結婚してからは、いくら甲斐性が無いって言ったって、凡だって夫な訳で、家庭の生計を少しぐらいは立てる算段をしなきゃならないというものではありまして、薄給ながら毎日働かなきゃいけません。
何かをしたくても、金銭的にどうにもならない。
身動きが取れないのであります。
何とかしようと思うのでありますが、そううまくはいかないのがこの世でございます。
気が付くと、努力しないでお金持ちになる本や、努力しないで夢がかなう本が、積み上げられていた。
悲しい。
今だからこそ、自分を高めることをしなきゃいけないのに。
そもそも、アダムとイブさんが知恵の木の実なんて食べるから、神様に怒られるんだよ。
そんでもって、男は一生苦労して働いて食物を得なきゃいけなくなっちゃたんだよ。
「もう、アダムとイブさんの、バカ、バカ、バカッ。」
知恵の木の実なんて食べなかったら、今頃凡も苦労しないで呑気にお金儲けをして、自分の好きな道を、どんどん歩いていっていたかもしれないのに。
とはいうものの、クリスチャンじゃない凡は、アダムとイブさんが真面目にしていても、貧乏で道の真ん中に立ち尽くしていたかもしれないな。
そんなことを考えながら、今日も冷たいビールの入ったジョッキを傾けて一気に喉に流し込んだ。
「ふー。美味しい。」
ビールのアルコールが進むにつれて、何となく重たい鎖が溶けていくような気がした。
まさに百薬の長。
そうだ。
その時に思った。
どうせ鎖を切るなんてことは不可能だ。
これからもずっと重く凡の手足と精神を拘束し続けるだろう。
でも、それにはアルコールが効くかもしれないね。
頭がマヒして鎖の存在を1時的に忘れるのだ。
じゃ、明日からはビールを飲みながら日々過ごせばいいじゃない。
鎖につながれていても、鎖なんて忘れてしまう。
朝からね、「ウィーッ。」なんてね、少し楽しそう。
実際には、仕事の日にお酒はのめないけれど、ココロだけは酔っていよう。
「酔拳」ならぬ「酔歩」だ。
「アチョー!酔えば酔うほど、強くなる~。ウィー。」ってね。
ジャッキー・チェンさんの映画は、最高ですね。
凡の大好きな香港の映画監督の、ジョニー・トーさんもカンフー映画を撮っているけれど、ジャッキー・チェンさんは、それまでのカンフーとは違った見せ方をされているのが素晴らしい。
そんでもって、毎朝さ、千鳥足でフラフラとさ。
鎖の事なんて忘れちゃってさ。
ふと思いついた道を、どこまでも、どこまでも歩いてみるのもいいかもしれないね。
そうだ、酔歩ならば、みゆきさんにもっと近づけるかもしれないね。
よし、景気づけに一杯。
そんでもって、フラフラとみゆきさんに向かって行こう。
そうだ、二日酔いの薬を買っとかなきゃ。

コメント

  1. うかれぶた より:

    今、正に あたしも…
    凡さんと 同様に、
    自分と葛藤してます。
    友達には、そんなん 言っちゃえばいいのに。と、忠告されるんですが…
    まわりと、傷つけた人の事まで、傷つけちゃいけないと逆に お人好しにも 程がある 自分に なっちまう猫現場では。
    「夜行の夜」のようです。
    アダムとイブさえ…
    神様の言いつけを守ってさえいれば…
    世界には、戦争や殺人は愚か、詐欺や いじめや、あらゆる 争い嫌な出来事、病気はなく…
    全人類は、みな ひとつのしあわせな家族で、一生 ベストな夫婦と子供たちと暮らせ♪
    すして任期を終えて、神様の元で、好きなだけしあわせに暮らするんるん
    予定だった。
    と、クリスチャンでなくとも 思ってます猫
    ほんとは宗教も、ない世界が 本来の神様の理想郷だったでしょうに。
    と、あたしは思う。
    銀の龍の背にのって、そんな 世界に みゆきさまと共に、復活したい猫

  2. 凡蔵。 より:

    ありがとう、うかれぶたさん。
    私も臆病なのか、人に注意や意見などを言うことが苦痛だ。
    仕事上、言わなきゃいけないこともあるけれど、口下手なので自分の思う事をうまく伝えられない。
    それで言ったことで、また反感をかったりね。
    でも、それでも、やっていかなきゃいけないから。
    自分を隠しちゃう。
    雨から守ったつもりの野菊は、もう枯れちゃったよ。
    とはいうものの、そんな風にしか生きられない。
    だったら、仕方がないというものでありまして、
    そのままの自分で生きていくしかありません。
    でも、折角だから、楽しく、仲良くしたいよね。
    神様は、いるのでしょうか。
    いるんなんら、そして人間を創ったんなら、
    もっと完璧に作ってほしかったなあ。
    なんて、バチあたる?

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