素敵な組み合わせというのは、誰でもが共通して美しいと感じる美的価値観に支えられているものである。
その美的価値観とは、生まれてから今までに至る生活や、育った文化によって形成され続けていく。
なので、その組み合わせの要素の内1つでも、今まで考えてもみなかったものであると、素敵な組み合わせなのか、そうでないのかの判断ができなくなってしまうことは、しばしば起こることでもある。
そんな場合、普通の人は、その組み合わせを否定する形で、自分の感覚を守ろうとするのではないだろうか。
かくいう凡も、その一人かもしれない。
大阪の難波の回転すしで、マグロの握りにガリを乗せて、更に甘ダレを掛けて食べた青年を見た時は、ビックリしたと同時に、凡の食に対する探究心がなくなりつつあることを反省した。
もうかなり前のことだけれど、「いちご大福」というお菓子が世の中に広まろうとしていたときは、凡もこれを否定していた。
食べてから否定するのではなく、食べる前に、その存在自体を否定していたのであります。
食べる前から、「イチゴと大福なんて、合う筈がない。」そう確信していた。
「イチゴ大福って食べたことある?」
「ない。ないけど、あんなん美味しい訳ないやん。」
「そうやな、そうやんなあ。」
「フルーツやで。それに餡子が引っ付いたら、あんた、餡子の甘さでフルーツの甘さが、変な具合になってしまうやん。」
「そうやな、そうやんなあ。」
「イチゴと大福は、絶対に合わへん。一か月で消えるわ、一か月で。」
大体、食べたことが無い人の意見は、こんな感じである。
それにしても、食べたこともないのに、ここまで否定するのは、大阪人だけだろうか。
凡にしても、食いしん坊としては、何たる怠慢であったか。
しかし、それを食べた時は、驚きました。
イチゴの爽やかさと、大福の甘味がこれほどまでに合うものだとは、凡の想像力を越えていました。
美味しい!
更に言うなら、不調和の美味。
このイチゴ大福なるものを最初に考えた人は、素晴らしい感性の持ち主ですよね。
素直に尊敬です。
さて、イチゴ大福という先駆けが生まれると、更にそれを進化したものが出てくることは、これもまた楽しいものではないでしょうか。
今週、高島屋に1週間限定で、大阪の堺市の「一心堂」さんが出店されていました。
ここのフルーツが入った大福は、最高に美味しいです。
以前、桃大福を貰って食べたことがあるのですが、口に入れたとたん、桃のジューシーな果汁が口いっぱいに広がって、そして、上品な大福の餡の甘さと交じり合って、幸せな組み合わせを満喫することができます。
生のフルーツを使用しているので、要冷蔵です。
美味しく食べたいので、夕方買いに行くと、お目当ての「桃大福」と「マスクメロン大福」は売り切れていました。
仕方なく、「パイナップル大福」と「完熟マンゴー大福」を購入。
仕方なく買いましたが、この二つも美味しかったです。
これには、日本茶と紅茶をブレンドして飲んでみようかな。
イチゴ大福を考えた人に敬意を表して、新作のお茶でね。
それにしても、桃大福が本命なんだけど、本店まで買いにいこうかな。
パイナップル大福の切口。これは一心堂さんのホームページより。
コメント
凡蔵さん、全く同感です!
自分も最初はいちご大福なんぞって否定していましたが、食べたらなんと美味しいではあ~りませんか
しかしマンゴー大福にパイナップル大福ですか?
勇気を出して食べてみようかな???
ありがとう、とっちゃん。
今回は、1週間だけの高島屋の催事だったのですが、今度は本店まで行って、メロン大福と白桃大福を買いたいです。
でも、場所が自宅から、ちょっと離れているんですよね。
新しい食べ物も、どんどん挑戦していかないといけませんよね。