平 凡蔵。の 創作劇場

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散散歩歩。(1393)緑の手紙。

あーだこーだ

♪♪ 凡んも、年を取ったらね~ 緑の手紙を開けなさい~ ♪♪

(中島みゆきさんの夜会「橋の下のアルカディア」の替え歌です。)

ということで、みゆきさんの大切な歌を替え歌にしてしまって、ゴメンナサイ。

それで思い出したのだけれど、今の子供たちも、歌謡曲の替え歌を歌ったりしているのだろうか。

凡の小学生の頃は、♪♪ 森トンカツ、泉にニンニク、かコンニャク、まれ天ぷら ♪♪なんて歌いながら、登校したのを思い出す。

ブルーコメッツのブルー・シャトウなんて、今の若い人は知らないかもね。

今月の16日、凡の誕生日でありました。

そういえば、気が付かなかったのですが、パソコンの横にピンクの封筒が届いていて、みゆきさんの可愛い写真の写ったバースデーカードが入っていました。

なんとも、美しい。

それにしても、凡ももう、64才になってしまった。

ああ、あと凡は、何年、生きることが出来るのだろうか。

残された時間で、凡は、みゆきさんに会う事が叶うのだろうか。

そして、愛を伝えることが出来るのだろうか。

どう考えたって、会えそうな気がしないのが辛いよ。

なもんだから、せめて、遠くから、スターと、そのスターを有り難く拝見する観客としてでも良いから、向こうは認識していなくても、ただ、ヨダレを垂らして見るコンサートというものに期待をしてしまうのである。

或いは、いつの日にか、会える時が来るのかもしれないが、時は急を要するかもしれないのだ。

凡も64才なら、みゆきさんも、71才、、、だったかな?

これが、10年後に会えるとして、凡が74才、みゆきさんが81才だよ。

男と女が、恋をするということについては、その年じゃ、いささか、恋の妙味に欠けるものがある。

10年後のみゆきさんを目の前にした時に、カーッと、燃え上がるような、そんな気持ちを持っているのだろうか。

もし、持っていられたら、それは、実に素晴らしいことだと思う。

或いは、みゆきさんの足のつま先から、頭のてっぺんまで、エロティックなイヤラシイ視線でもって、上へ下へと、ジロジロと、みゆきさんを見てしまうかもしれない。

他人から見たら、ただのスケベなジジイに見えるかもしれないが、もし、そうであったなら、凡は、そんな自分を誇らしいと思うだろう。

しかし、その時の、みゆきさんは、どんな価値観というか、考え方になっているのだろうね。

凡が、イラヤシイ目で見た時に、同じようにイヤラシイ目で、凡を見てくれたなら、最高だ。

或いは、社会の乱れや、人の心の乱れを嘆いて、みんなを幸せにする使命を感じて、それを歌で表現することに、こころを費やしていたりするのかも、

ひょっとしたら、人生を達観したような、そんな人になってるのかもね。

もしかしたら、お坊さんとかさ、街の教会のシスターとか、そんな宗教的な指導者になっていると想像するのも、楽しいか。

頭ツルツルの坊主のみゆきさんは、可愛いだろうな。

いや、シスターの服のみゆきさんは、きっと、萌えに違いない。

とはいうものの、みゆきさんには、もっと俗であって欲しい気持ちが、どこかにあるんだよね。

みゆきさんは、これから、どうなって行くのだろうね。

そして、この凡は、どうなって行くのだろうか。

それを知るためには、みゆきさんも、凡も、お互いに健康でなくちゃと思う今日この頃であります。

とはいうものの、あっちが痛い、こっちが痛いと、今から言ってる凡は、先が思いやられるな。

ということで、みゆきさんのバースデーカードを抜き取って、ピンクの封筒は、ゴミ箱に捨てた。

ああ、どうしちゃったんだ。

ファンクラブに入会した時は、こんなピンクの封筒でさえ、愛おしくて、愛おしくて、大切に保管してたんだけどね。

時間が経つと、ピンクの封筒は、みゆきさんとは関係ない、ただの封筒だということに気が付いちゃったんだよね。

と、これまた、グダグダと書いてしまっておりますが、冒頭の緑の手紙だ。

いよいよ、凡にも届いたんだ。

緑の手紙が。

何のことかと言うと、年金の手続きの封筒。

これが緑色だったんだよね。

年金は、普通、65才から支給されるらしいのですが、凡の年代の人は、その前に、「特別支給の老齢厚生年金」というものが貰えるらしいのです。

んでもって、この支給は、貰っても、貰わなくても、消えてしまうと言う事で、貰ってくださいという、そんな支給らしいので、その手続きを、丁度、誕生日の16日にしてきました。

ただ、年金だけでは、生活するなんてことは、夢のまた夢。

なので、生活は、今まで通りなのではありますが、少しは、楽になるかもと、ちょっと、支給が待ち遠しい凡なのでありました。

あと何年、生きられるのかってことを考えると、凡は、死んだら、どこへ行くのだろうかと考えてしまう。

父親も、母親も、そして、祖父母も、あの世と言うものがあるのなら、そこで幸せに暮らしていて欲しい。

それって、本当にあるのかしらね。

んでもって、凡が死んだら、同じようにあの世に行くことになるのだろう。

そしたら、父親や、母親に会うのだろうか。

行ったらすぐに、今の凡の生活態度について、怒られたりしてね。

ただ、会えば、懐かしいだろうなと思う。

そして、ミニボンも死んだら、同じようにあの世に行くのだろうか。

それじゃ、あの世でも、この世と同じじゃない。

ってことになると、いささか、気が重いことになってしまうが、どうなんだろう。

そして、生まれ変わりというものがあるのなら、あの世から、また旅立ちが来る。

「そしたら、そろそろ、生まれ変わらないといけないから、ちょっと、生まれ変わってくるね。」なんて、またあの世でも別れがあったりするのかな。

そして、あの世でもまた、寂しい思いをする。

まあ、ミニボンは、生まれ変わったら、絶対に、凡とは結婚しないと宣言してるので、違うところに生まれ変わるのかもしれないが、別れの時が来たら、きっと、寂しいだろう。

ってことは、この世でも、あの世でも、一定、寂しいものであるのだろう。

なんだか、辛いね。

さて、今年1年、どんな年になるのかなと思うのだけれど、きっと、去年と同じような年になるのだろう。

今の職場は、65才まではパートで働けて、それ以降は、アルバイトとして、70才まで働けるそうで、どうせ、そうなるのだろうなと思っていたのですが、今の凡は、他に何か働けるところがないものかと、そんなことを考え始めている。

今からでも、変化を起こしたい。

というか、今の人間関係から、逃げたいというところもあるのかもしれない。

それと、時給の問題だ。

最低賃金ではなく、もっと高い時給で働きたいと思う。

夢を語れるなら、時給とかじゃなくて、そういうものに縛られない働き方ができないものだろうか。

64才にもなって、まだ、そんなことを言っている、グダグダな凡であります。

ということで、今年からの1年も、どうぞ、よろしくお願い致します。

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