平 凡蔵。の 創作劇場

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散散歩歩。(1392)指宿枕崎線。そして、知覧。(3)

旅(国内)

4月11日(火曜日)。

鹿児島に来ての2日目。

昨日は、今回の目的である指宿枕崎線に乗って、枕崎まで行ってきた。

これが、楽しかったんだよね。

部屋の窓から

んでもって、今日は、もう帰る日である。

やっぱり1泊は、短いね。

でも、まだ帰る時間までは、十分にある。

鹿児島に来たら、1度は行ってみたいなと思っていた場所がある。

知覧にある知覧特攻平和会館だ。

ちょうど良い機会なので、行ってみようと昨日から行き方などを考えていた。

ということで、今日の目的は、知覧特攻平和会館であります。

朝起きて、まずは、昨夜に買ったサンドを食べる。

今日の出発は早いのでね。

んでもって、ホテルをチェックアウト。

0647時に出発のバスに乗り込む。

鹿児島中央を出発したバスは、しばらくすると、山の中の道を走り出す。

その道が、くねくねと曲がりながら、山を上ったり下ったり。

これがまた、結構なカーブで、左側に山の斜面があるので、高所恐怖症の凡には、スリルのある道だった。

突然現れる下界の風景は、これまた楽しかったな。

0806時、着。

バスを降りたのは、凡以外、確か1人か2人。

平和会館までは、公園もあって、広い敷地の奥に施設があるので少し歩く。

まだ、朝早いので、人気が無いが、バスの駐車場などもあり、昼間は観光客も来るのだろうと思う。

ぶらぶらと平和会館に向かって歩き出す。

平和会館の前まで来たけれども、まだ開館前で50分ぐらいある。

隣にある知覧特攻平和観音堂や知覧町護国神社などを参拝。

ふと見ると、平和会館の隣に、三角兵舎という建物が復元されている。

ここは、特攻隊員の宿舎で、特攻の前には、ここで酒を酌み交わし、別れの手紙を書いたりしたそうです。

昨日読んだ、婚約者への手紙の事を思い出して、かの男性も、ここで手紙を書いたのだろうかと想像すると、胸にくるものがある。

数名ぐらいのグループが、3、4組、まだ開館前だけれど、集まっている。

そして、オープンと同時に入場。

入口にエントランスがあって、その奥が展示会場だ。

展示は、主に特攻隊で征った青年の手紙や遺書などだ。

書いている人の立場に依って、その内容は違うけれども、覚悟を決めたような文章や、家族の事のために征くという気持ち、そして、そこには表立って書かれてはいないけれども、愛する人への心残りなどが、したためられている。

昨夜、読んだ婚約者の手紙も、そこにあった。

それだけでなく、残された人のビデオや、特攻隊を見送った女性たちのビデオなどもあった。

どれも、胸が熱くなる思いの内容だ。

ここで、凡は、今まで使う事のない言葉が、頻繁に出てくることに気が付いた。

「征く」(いく・ゆく)という言葉である。

遠くに行くという意味であり、或いは、敵を討ちに行くという意味が含まれているのかもしれません。

特攻で出陣する人たちが残した手紙などに、この言葉がよく出てくるんですね。

こんな言葉は、凡自身遣ったことが無かったけれど、当時は、普通に遣わてれいたことに、

その当時の状況が見える気がした。

言葉で言うと、先の大戦を表現するときに、凡なんかは、第二次世界大戦と書いてしまいそうですが、この資料館では、「太平洋戦争(大東亜戦争)」と表記されているところが興味深いというか、そこにこだわりが感じられた。

資料を見ていると、シアターで映画が上映されるというので見に行く。

この時は、まだ人数が少なかったのですが、見終わってシアターを出たら、中学なのか高校なのかの団体さんが、たくさん見に来られていた。

彼らや、彼女らは、この資料を見て、どう感じたんだろうね。

ちょっと聞いてみたい気がした。

この平和会館を訪ねてきて、これをもとに、戦争については、あえて、書かないことにしようと思う。

理由は、凡自身、先の大戦についての知識が、まったくもって、足りないからだ。

そんな状態で、戦争について、あーだ、こーだ語るのは、あまりにも、いい加減すぎるような気がするし、間違ったことを言ってしまいそうで、怖い。

それに、先の大戦だって、どこに焦点を当てて語るのかが、とてもたくさんの視点があって、収拾がつかなくなるし。

ただ、この平和会館を離れて、これは、陰謀論好きな凡の勝手な想像で、ちょっとだけ言わせて頂けるなら、太平洋戦争は、アメリカのDS(トランプさんが言うディープステイとのことです。)の儲け主義が引き起こしたもので、仕掛けられたものじゃないだろうかと思う。

アメリカと書いたけれども、或いは、イギリスも関係してるだろう。

そして、終戦を迎えて、日本は、平和になったかのように思うけれども、実は、まだ水面下では、アメリカに、支配されている。

日米合同委員会なんて、それが表面化して見えるものじゃないだろうか。

今のロシア、ウクライナの状況だって、そうだ。

今の状況で、1番、儲かっているのは、誰かと考えたら、アメリカだよね。

それに、今は、ロシアが悪で、ウクライナが善とする考え方が、世界中のマスコミから発信されているよね。

それで、みんな、そう思っている。

あの発想って、すごく危険だと思う。

まるで、世界中のマスコミや、政府が、情報操作しているようにしか見えないんだけれど。

これまた、知識の無い凡が、普通に考えて思う事だ。

凡は、ロシアの見方をしている訳じゃないけれど、もう1度、最初に戻って、ロシアの立場からも考えてみた方がいいんじゃないだろうか。

そう凡は思う。

と、太平洋戦争や、ロシア、ウクライナ情勢について、何の知識も無いのですが、凡人の普通の感覚で考えたら、ちょっと変じゃないかなと思うところを繋げると、こういう想像に、漠然と、曖昧に、ぼんやりと、なるのであります。

と、戦争については書かないと、書いておきながら、グダグダと書いてしまいました。

こういう話って、書いている間に、だんだん、書いている本人が気持ちよくなってしまうものなのね。

ちょっと、反省。

まあ、そんな凡の妄想は、置いておいて。

平和会館を訪れて感じたことを書くと、ここでも、資料の写真を撮るのは不可だった。

これ、すごく残念で仕方がない。

平和会館に展示されている資料は、個人的な手紙などばかりなので、その所有権みたいな問題もあるだろうし、或いは、家族のプライバシーみたいなこともあるのかもしれない。

それか、別の理由があるのかもしれないが、写真を撮ることを許可して欲しいと思う。

そして、それをSNSにアップすることを許可して欲しい。

というよりも、SNSにアップすることを、若い子に、大いにすすめて欲しいと思う。

そうすることで、この知覧特攻平和会館のことを、みんなに広めて欲しいと思う。

今回も、学生さんが、大勢、見に来ていたけれど、あの子らが、みんなツイッターとか、インスタグラムにアップしたら、どうだろう。

素敵な変化が起こるような気がする。

ただ、凡が言いたいのは、戦争についてでは無いのです。

「愛」についてなのです。

特攻隊員は、凡は、国そのものの為ではなく、日本に住んでいる家族や、愛する人の為に、この知覧から飛び立ったのだと思う。

自分が犠牲になることで、家族や、愛する人を守ることが出来る。

そういう思いだったんじゃないかと想像するんです。

今は、普通に生活していると、家族や、愛する人、或いは、周りにいる人達の大切さを忘れがちになっているんじゃないだろうか。

テレビを点けると、朝のモーニングショウで、毎日のように、ドメスティックバイオレンスとか、虐待、いじめ、登校拒否、そんな話ばかりだ。

平和会館で展示されている特攻隊員の家族や愛する人を思う気持ちの手紙を読んだなら、今、自分の周りにいる人を大切にしたいと思う気持ちが、また起こるんじゃないかと、これは希望的観測だけれど、そうあって欲しいと思う。

その為には、やっぱり、資料をSNSに、みんなでアップして、この気持ちをみんなに伝えて行くのが、実は、この平和会館の本当の役割じゃないかなと、そう思った。

それと、これは言っておきたいのだが、今街の中を見回しても、みんな、この状況が普通の事だと思っているだろうけれど、そうじゃない。

今ある、平和は、もともと、ここにあったかのように、特に、若い子は考えているかもしれない。

まあ、それは自然な考え方なのかもしれないけれどね。

凡ぐらいの年代なら、自分は、戦争は経験はないにしても、両親とか、祖父母とか、みんな戦争経験者だから、そう言う人から、当時の事を聞かされていたからね、知らないけれど、何となく実感するものがあった。

子供のころは、宴会で軍歌を歌ったり、梅田の地下鉄の前には、傷痍軍人が座っていたり、戦争の名残が街や、社会に残っていた。

でも、今の若い子は、両親も、祖父母も、戦争を知らないからね。

だから、今の若い子が、戦争について興味が無いのも、至極、当然の事なんだ。

だから、知らないからと言って、バカにされる理由もないし、怒られる必要もない。

でも、知るという行為は、結構、面白いものだよと教えてあげたい。

そして、その先の大戦について考えたなら、今ある、この平和は、もともと普通にあったものではなく、この特攻隊だけじゃなくて、日本中の人の犠牲の上に勝ち取った平和であることに気が付くはずだ。

彼らの望みは、何だったのか。

家族の無事、愛する人を守りたい、それが望みだったはずだ。

そして、家族、愛する人の、子供たちにも、幸せになって欲しいという思い。

そうだとするらならば、残された、後から生まれた、凡たちに出来ることは、折角に受けた、この生を、思いっきり楽しむことじゃないだろうか。

なので、この凡も、思いっきり、遊んで楽しむしかないことになる。

ええーーーーっ。

もう1回、叫んじゃうよ。

ええーーーっ。

ひょっとして、今まで、真面目に語っていたのは、凡自身が遊ぶための理由作りだったの?

真面目に、読んでくださった方、ゴメンナサイ。

そして、戦争で犠牲になった人を侮辱するようなことを書いてしまって、ゴメンナサイ。

とはいうものの、遊んで楽しむしかないと書いたのは、半分、悪いジョークであって、ある意味、楽しむという言葉は、表面的な意味しか表していない。

悪いジョーク以外に、別に言いたいことを含んでいるのであります。

戦争で犠牲になった人の為に、今生きている人は、遊んで、思いっきり楽しむという部分に関しては、訂正するつもりはない。

ただ、楽しむという意味である。

享楽的に、日々を過ごすという意味以外に、凡が言いたいことがある。

凡も、この世に生を受けて、今、「凡は、この生を楽しんでいるか。活き活きと本来の自分でいられているのか。」と問われたなら、イエスと答える自信が無い。

毎日毎日、ああ嫌だなと思いながら仕事に向かって、適当なことをやって、くよくよして、自己嫌悪に陥って、誰にも愛されていないのじゃないかと不安になって、ため息をついて眠りにつく。

楽しんでいるというのと、真逆だ。

凡の好きな人で、會津八一という歌人であり書家でもあり、色んな才能を発揮した人が、学生を預かった時に、学規というものを作った。

4つの規則というか、模範とする指標で、それは学生のために書いたものでもあり、また、自分を律するために書いたものでもあるという。

それを、ちょっと紹介すると。

学規

一、ふかくこの生を愛すへし

一、かへりみて己を知るへし

一、学芸を以て性を養うへし

一、日々新面目あるへし

というものだ。

この「ふかくこの生を愛すべし」というのは、これもまた、今の時代の人に伝えたい言葉だよね。

んでもって、最後の「日々真面目あるべし」というのが、凡の好きな言葉なんです。

毎日、朝起きて、「さあ、やるぞ。」と、今日もまた、新しい自分であるぞと、今日もまた、本来の自分であるぞと、そんな気持ちで朝を迎える。

先に書いた、思いっきり楽しんで、遊ぶというのは、悪いジョークが半分だけれども、残りの半分は、このことを言いたくて書いたのでもあるのです。

楽しんで遊ぶというのは、本来の自分であることでもあるのです。

そして、この生を愛して、イキイキと、人を愛して、大らかに、過ごそう。

今日も、そして、また今日も。

「凡ちゃんよ。あなたは、今日も活き活きと、本来の自分でありますか?」と学規に問われているようだ。

「ちょ、ちょっと待って。その辺のところは、あんまり追及せんといてえな。」

と、ダメな凡は答えるしかないね。

、、、と、妙に熱く、そして、不謹慎に語ってしまいましたが、平和会館には、そうさせる何かがあったのかもしれません。

さて、平和会館を見学した後は、隣にある建物に言ってみよう。

南九州市立博物館 ミユージアム知覧。

かくれ念仏などの資料を見ることが出来るのは、興味深かった。

知覧ミュージアムの人、みゆきさんファンじゃないだろうか。
やっぱり、みゆきさんファンだよね。

さて、これから鹿児島中央に戻りましょう。

知覧には、武家屋敷群というのがあって、雰囲気が良さそうだったのですが、何しろ、今日は大阪に帰らなきゃいけないので、早めに鹿児島中央駅に戻っておきたい。

1136時のバスで、鹿児島中央駅に1255時に着。

鹿児島中央駅に着いたら、ちょうどお昼どきなのでランチでも食べようかと思う。

駅の近くにトンカツ屋さんがあって、結構、有名なお店のようである。

なので、行ってみたら、閉まっていた。

鹿児島に来たら、別に用は無いけれども、天文館あたりに行ってみたくなる。

そうだ、天文館に行ってみようと移動したけれど、ここだというお店が見つけられない。

百貨店の食堂にでも行ってみるかと歩いていると、古くからやっていそうなラーメン屋がある。

「こむらさき」さん。

食券を買ってカウンターに座る。

並み、1100円。

後から入って来る人も、みんな食券を買ってと言われていたので、地元客よりも、観光客がメインなのか。

雰囲気は、昔からやっているラーメン屋で、店内は、こざっぱりとしていて、真面目にやってきた店という感じだ。

少し高級感のある感じ。

さて、凡の前にラーメンがサーブされる。

麺は、細麺で、ポソポソという食感。

昔の学食の安い麺を思い出した。

とはいうものの、別に悪い意味じゃない。

さて、スープは、あっさりとしているのだが、塩味は、しっかりとある。

油のような、コクのようなものは、感じられるのだが、うまみ成分が少ないのだろうか。

ひと口、スープを啜って、ああ、美味いと声に出してしまうようなものではない。

何だろう、濃さはあるのだけれど、最近の旨味の強いラーメンにならされているのか、旨味が無いように感じてしまう。

作るところを見ていると、スープを、2杯、別々の釜から注いでいる。

あるいは、鶏のスープと豚のスープを合わせているのか。

それに、塩だれ、あと何かを入れていたが、何なのか不明。

最後に、湯通ししたキャベツを乗っける。

真面目な作り方だ。

ただ、次は、他のラーメン屋さんを探すだろうなと思う。

さて、時間が微妙だ。

どこかに行くにしても時間がないし、何もしなけりゃ、時間が余る。

ということで、仙厳園にでも行ってみようと思う。

あそこから見る桜島は美しい。

路線バスに乗って、仙厳園に移動。

中に入ると、「ぢゃんぼもち」(両棒餅)という団子を売っている。

そうだ、ちょっと前に、ケンミンショウで、取り上げられていたのを思い出した。

まずは、ぢゃんぼ餅を食してみよう。

醤油、味噌、きなこの3種類の団子が乗ったセットを注文。

小さな串に刺した、小さな団子は、食べていて、自然と笑顔になる可愛さと、美味しさだ。

まずは、名物を食べて、園内を散策。

とはいうものの、これと言って目的は無い。

桜島を眺めたり、ぶらぶらして仙厳園を出た。

さて、いよいよ帰る時間も近づいてきた。

まずは、鹿児島中央駅に戻ってきて、バスまでの時間、ちょっとビールでも飲みましょうよ。

駅周辺をぐるぐる歩き回る。

そう言えば、昨夜、漁師の言葉を店先に掲げていたお店があったなと思いだした。

そうだ、そこに行ってみようかと思う。

なので、店の前まで歩いて行って、小さなガラスの隙間から、中を覗いてみると、漁師のお店と言うが、なかなか、小奇麗で、姿からして、板前さんもしっかりとした技術を持った方じゃないかと見受けられる。

少し高そうではあるが、なかなか良いじゃないかと思っていたら、車が止まって凡の横にきた。

そして、車から年配の女性が降りたかと思うと、何かを抱えて店の前にいる。

凡の事も見ているようでもある。

業者の人なのだろうか、それとも客か。

そう思って見ていると、向こうも、凡を意識してなのか、入るようで、中に入らない。

どうも気まずくなって、店の前を離れたら、年配の女性は入って行った。

あれ?店のスタッフというか、店主の奥さんとかだったのだろうか。

それなら、「良かったら、どうぞ。」とか言ってくれたなら入ったんだけれどなあ。

もう、今からは、入れないじゃない。

とはいうものの、それで良かったのかもと思う。

見たところ、美味しい魚料理を食べさせるお店と拝見したが、それなら、ゆっくりと食べて飲みたいじゃない。

でも、今日は、バスまでの短時間で、ちょっと飲もうと言う事であるからして、この店は、また今度と言う事にしておいた方が、楽しみが増えて良いかもしれないと思いながら、足は、屋台村の方に向かっていた。

バスセンターの地下にある屋台村なら、時間が来たら、すぐにバスセンターまで戻れるので、今から飲むなら、屋台村も良いだろう。

と、ビルの地下に降りると、まだ客は、まばらだ。

さて、どのお店にしようかなと思っていると、女の子がいて、凡に挨拶をしたので、どこの店と聞いたら、天ぷらのお店だと言う。

凡は、声をかけてくれたお店に入ってあげたいのである。

いや、別に若い女子だったからでは、、、、、、あるかもしれない。

屋台てんぷら「松山」さん。

カウンターに座ると、若い男の子がひとり、カウンターの中で準備などをしているようだ。

メニューを見ると、種類は少ない。

ただ、その場で、てんぷらは揚げてくれるようだ。

まずは、生ビール。

そして、首折れサバ。

900円と、小鉢の大きさの割には、値段はするが、ネットリとした食感が、珍しかった。

そして、季節だから、菜の花の天ぷら。

しいたけ、タケノコ、エビ、さわら、など、どれも、単品で注文出来て、揚げたてなので、美味しい。

特に、さわらの天ぷらは、火が外側だけ通るようなかんじで揚げてあって、スコブル美味く感じたので、追加をした。

ビール2杯、焼酎のソーダ割、焼酎お湯割り×2と、美味しいので、ついつい杯が進む。

それほど量は食べてはいないが、会計をしたら、6000円ぐらいだった。

屋台村にしては、高いかなと思うけれども、丁寧にてんぷらを揚げていたので、値段相応という感じか。

というより、若い男の子だったので、応援したい気持ちであった。

さて、バスの時間を見て、さて、と思ったら、すぐにバスセンターに行けるのが、ここの屋台村の良いところだろう。

凡も、時間を見て、1階のバス乗り場に向かった。

そして、鹿児島中央から、鹿児島空港に移動。

いよいよ、帰る時である。

とはいうものの、鹿児島空港に着いたら、最後の最後に、食べようと思う。

百貨店の山形屋さんの食堂の空港店に入る。

ここでは、とんかつの有名店、「とんかつ川久」さんのトンカツが食べれると言う。

ちょうど、トンカツが食べたかったので、少しばかり高いけれども、食べてやろうと思う。

瓶ビール(720円)に、ロースかつ定食(2000円)。

さて、川久さんのトンカツは、特殊な隠し包丁でも入れているのかなと思うぐらいに、柔らかい。

理由は知らないが、兎に角、柔らかくて、嫌な臭いも全くしない。

凡は、普段から、トンカツは、薄い肉に限ると主張してきた。

トンカツの本命は、衣にある。

サクサクとしたあの食感こそが、そして、油の香りが、トンカツなのである。

とかく、高級なトンカツ屋さんになると、肉厚なトンカツを提供するお店が増える。

あれは、凡の好みじゃない。

厚い肉のトンカツ1枚よりも、その半分の厚さのトンカツ2枚の方が、よっぽど満足感があると思うのである。

そこで、ここのトンカツであるけれども、そこそこ分厚いのだ。

とはいうものの、これだけ柔らかければ、厚い肉でも旨いなあと感じるものだと、初めて知った。

さて、今度は、ホントのホントの、帰る時間である。

鹿児島空港、2050時発。

関空、2200時着。

ピーチは、第二ターミナルなので、関空に着いたら、急いで連絡バスに乗って、南海電車まで行った。

幸いに、ラピートに飛び乗ることができたので、今日中には、自宅に帰ることが出来たのでありました。

ということで、今回は、全部書いてしまおうと思ったので、かなり長い文章のレポートとなってしまいました。

それでも、最後までお付き合いくださいましたこと、感謝です。

ありがとうございました。

コメント

  1. yukemuri より:

    知覧の特攻会館に行かれましたね
    自分ももう一度ゆっくり見学したいと思っています
    SNSで発信する案に賛成です、そうすればもっと多くに人が知る事になり、戦争について考えたりすると思いますからね
    自分も若い特攻隊員たちはお国の為と言うよりも、家族や愛する人の為に飛び立ったんだと思っています
    恐らく多くの特攻隊員たちは「お母さん」と最後に叫んだと思い、その心中は察するに余りありますよね
    太平洋戦争については自分も語れるほど学んではいませんし、それぞれの立場で考えも違うと思っています
    ただ、いまだにアメリカ人の多くは原爆を落とす事によって犠牲者をそれ以上増やさない為だったって思っているのは納得できないんです
    人それぞれ考えや意見は違うので、この場ではこれ以上は止めておきますm(__)m
    こちらの資料館に中学生や高校生が見学に来ていたってのは非常に嬉しいです
    そして、同じくどんな風に感じたのか聞いてみたいですよね
    こむらさきのラーメンは微妙なようでしたね(笑)
    次の天ぷらはなかなかよさげですが、お値段もよろしいですね
    屋台村と言うのだから、もう少しリーズナブルだと嬉しいですよね
    最後のトンカツは黒豚トンカツなんでしょうか?
    普通の豚と黒豚の違いは自分は良く分からないのですが、鹿児島だと黒豚って感じなのかな?
    やはりトンカツとしては良いお値段ですもんね
    でもやはり鹿児島に来たならって奮発しちゃいますよね
    今回も凡蔵さんらしい素敵な旅になりましたね
    次はどこに行くのか楽しみにしていますm(__)m

  2. 平 凡蔵。 より:

    ありがとう、yukemuriさん。
    行ってきましたよ知覧に。
    バスなら、意外と簡単に行けるので、もっと人気が出てもいいのになと思います。
    先日、徹子の部屋で、茶道の先代の千宗室さんが出演されていて、もう100才だというのですが、シャキッとされていたのはビックリしたのですが、
    話を聞いていたら、特攻隊に所属されていたそうで、yukemuriさんの言うように、特攻に出る前の日には、みんなで「お母さん」と叫んだそうです。
    そんな話を聞いて、ちょうど知覧から帰ってきたばかりだったので、その話にも、心動かされれるものがありました。
    アメリカは、原爆を落としたのは、戦争を終わらせた素晴らしい行為だと思ってるふしがあるみたいですね。
    あの段階では、もう日本は負けていたのですから、2発も原爆を落とす必要がなかったというのは、凡人が考えても解りますよね。
    普通に考えたら、ほんとの人間で、実験して見たかったんですよね。
    だから、種類の違う2発を落とした。
    プーチンさんも、それを言ってますね。
    結構前に、ノルマンディ上陸作戦の記念式典で、原爆投下の映像が流れた時に、オバマは、ガムを噛みながら拍手してました。
    時間的な前後は、解りませんが、そのとき、プーチンは、十字架を切ってましたよ。
    と、これまた、書かないと言いながら、書き始めようとしてしまいましたが。
    ラーメンについては、これは、微妙だったんですよね。
    美味しいと言えば、美味しいのかもしれません。
    丁寧に作ってますし、コクもあるし、でも、何だろう、また来たいとは思わない味というか。
    カウンターに、にんにくのポットがあったのですが、あれを入れると、また来たいと思うような味になったのかもしれません。
    これは、想像ですが、家系のお好きなyukemuriさんには、ちょっと物足りないと感じるんじゃないかと思います。
    というか、yukemuriさんの評価をお聞きしたいところです。
    屋台村の天ぷらは、美味しかったです。
    ただ、値段がね。
    屋台と言うと、ちょっとB級というか、リーズナブルというイメージですもんね。
    ちょっと、1、2杯の寄り道には、良いお店になると思います。
    んでもって、空港のとんかつは、黒豚でした。
    あまり、火を通しすぎないような揚げ方をしているみたいです。
    2日間の旅でしたけれど、乗りたい路線にも乗れましたし、知覧にも行けましたので、充実した旅になったような気がします。

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