平 凡蔵。の 創作劇場

恋愛ストーリーや、コメディタッチのストーリー、色んなストーリーがあります。
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散散歩歩。(916)夜会リトル・トーキョーと不思議パワーと、どっち?(5)

1月31日(木曜日)。
不二阿祖山太神宮から、タクシーで、今度は別の神社に向かう。
北口本宮冨士浅間神社だ。
何年か前に、青春18きっぷで、静岡にある富士山本宮浅間大社行ったことがある。
そこは、全国にある浅間神社の総本社で、境内を歩くだけでも、気持ちがスッキリするような感覚を覚えた記憶がある。
そして、これから行こうとしている富士吉田市の北口本宮冨士浅間神社も、その浅間神社の1つということらしい。
ただ、ムー民である凡にとっては、この富士吉田市の浅間神社の方が、宮下文書があった場所として興味があるのではあります。
ここでも、やはり富士王朝との関係が気になるところではあります。
ということで、タクシーで駐車場まで送ってもらい、そこで降りると、神社はすぐそこだ。
まず、手水舎に行くと、その水盤の大きさにびっくりした。
水を掬って手を洗うと、水が冷たい。

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本殿の前の部分は修理中なのか、何かのお祭りの準備なのか、工事中だった。
本殿に進んで正面を拝すると、金箔も鮮やかで、何やら大変立派な神様がいらっしゃるような雰囲気だ。
祭神は、木花開耶姫命、彦火瓊瓊杵命、大山祇神である。
境内を、ほぼ1周したら、そろそろ駅に向かおう。
宮下文書があるのかないのか、或いは、その宮下文書に書かれていることと、この神社との関係などを知りたかったが、時間も無いので、そこは帰って本ででも読もう。
少しばかり時間が迫っている。
何しろ、凡の今日の目的は、中島みゆきさんの夜会リトル・トーキョーなんだものね。
なのに、こんなところで富士王朝なんて言ってるのが、これまた方向違いな訳であります。
駅までは、タクシーの運転手が言った、下り阪だから、歩けるという言葉に従って、歩いて移動する。
思いのほか歩いたが、歩ける距離だ。

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(富士山駅で、こんなの食べる)
富士山駅から大月駅まで移動する。
富士山駅の改札で、切符を見せると、硬券ではないけれども、切符に入鋏してくれた。
自動改札機ばかりの今となっては、この鋏を入れられた切符が何とも嬉しい。
シートに座っていると背中に風を感じるので振り返ると、電車の窓が少し開いている。
嬉しいね。
昔は、電車の窓は、開けることができたんだよね。
最近の、電車は、窓は開けられないものが増えた。

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大月駅の売店で、エチオピアのカレーパンを購入。
こういうのは大阪では買えないからだ。

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そして、今度はJRの特急かいじ114号で新宿まで移動。
車内販売があったので、桔梗信玄餅アイスというものを買って食べる。
車内で、何かを買って食べると、何とも贅沢な特急の旅をしている気になる。

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しかし、考える。
凡は、みゆきさんの夜会「リトル・トーキョー」を見に来たのだ。
でも、今、特急に乗って、呑気にアイスを食べている。
何をしているのだろうね。
新宿から、神田、田原町と移動して、ホテルの前まで帰って来た。
ホテルの近くに、元祖八ツ目鰻本舗という薬屋さんがあった。
この看板は、何度も、何処かで見たことがあるが、お店に入ったことも、買ったこともなかった。
店頭を見ると、肝胆丸というのがあって、二日酔いの文字があるではないですか。
これは気になるから買ってみよう。
そんでもって、強力八ツ目鰻キモの油という薬があったので、それも購入。
これは目に効くらしい。
なかなか面白いものが買えた。

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さて、一旦ホテルに戻って、双眼鏡などをバッグに入れて、赤坂に向かって急ごう。
もう17時を回っている。
今日もまた、田原町から溜池山王まで移動する。
そして、夜会の前に日吉そばで、天ぷらそばを食べる。

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アクトシアターまで行くと、すでに行列ができている。
今日の席はP列だ。
1階なので、何と言ってもステージに近い。
まず、凡は、昨夜のチケットを譲ってもらったツイッターをやっている人を探した。
座席番号を知っていたので、訪ねて行ってお礼を言った。
そして、伊丹空港で買った柿の種のお土産を渡す。
そしたら、先方も千葉の落花生をお土産に買っていて下さっていた。
家に帰って包みを開けたら、ミニボンが、これ高いよと言った。
恐縮である。
凡が、チケットを譲ってもらったのに、お土産まで頂くとは。
そして、凡も伊丹空港で買っておいて良かったと、ホッとした。

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(落花生は、ミニボンが大好き)
さて、昨夜に続き2回目の夜会「リトル・トーキョー」だ。
昨日ホテルに帰ってパンフレットに目を通して見た。
今回の夜会も、ストーリーを予め見ておいた方が、スッとセリフや展開が頭に入ってくるように思う。
昨日、舞台を見た時に、あれ、このセリフは何なのかなと思った箇所があって、それを後でパンフレットを読んでみると、ああ、そういうことで、あのセリフがあったんだと納得した部分もある。
ということで、今日は、もうストーリーも分かっているので、あとは、みゆきさんにウットリするだけなのであります。
んでもって、ここからは、またネタバレの要素がありそうなので、もし知りたくない人がいると申し訳ないので、矢印で、空間を空けましょう。






↓まだかな。






ということで、31日の夜会であります。
昨日の夜会の感想で書きたかった照明の事を書いてみたい。
今回の夜会を見て、最初に感じたことは、見やすいということだ。
もっと詳しく言うと、みゆきさんの顔が見やすいと言う事だ。
ひょっとして、舞台の照明や演出を考える人が変わったのかもしれない。
今までの舞台、特にコンサートの照明は、素人の凡に言わせれば、まったくもって、見難い照明で、みゆきさんを見ようとしても、ハッキリと見えない照明だった。
どんなのかというと、今までのコンサートでは、やや暗めのステージに、みゆきさんにバックの天井からライトを当てる。
だから、見ている観客からは逆光になって、そのバックからのライトのせいで、瞳孔が閉まるのか、みゆきさんの顔をハッキリと見ることが出来なかった。
しかも、暗い中に、みゆきさんにだけ強力なスポットライトを当てる。
この2つの要因で、もちろん、みゆきさんは見えるのだけれど、目の機能がおかしくなって、目には見えているのだけれど、実体のみゆきさんが感じられなかったんだ。
網膜には、間違いなくみゆきさんが投影されているけれども、それを実体として脳が認識できなかった。
それに、何かスモークのようなものを焚いているので、視界が悪いというか、白内障になったことはないけれども、たぶん、白内障になったらこんな見え方になるんじゃないかというような、白く煙ったステージだった。
そして、コンサートに限らず、夜会でも、舞台の暗いストーリーも多いいので、みゆきさんが見えにくかった。
でも、今回の夜会は、真ん中にステージがあるセッティングのためか、ステージ全体が明るく、そしてステージのバックからのライトも、ほとんどなくて、だから逆光のライトが目に入ることも無く、瞳孔の調節も自然になって、すごく見やすいのだ。
しかも、今回は、みゆきさん以外に、渡辺真知子さんや、石田匠さんも、主役級の演技をするので、そちらにメインのライトが当たったりする場面も多かった。
なので、そんな時は、みゆきさんには、スポットライトが当たらず、明るい舞台でみゆきさんが、スポットライトの当たらない状況が生まれた。
この状況って、みゆきさんの実体、生きているみゆきさんが、そこにいるっていう感じに見えて、もうすごく、見やすくて、良かったのだ。
しかも、スモークも焚いていないから、すっきりと見える。
或いは、凡が前からコンサートの感想で言っていた、ステージ全体を明るくして、バックからのライトは止めて欲しいという願いが、どこかで伝わって叶えられたのかな。
凡のこころの叫びが、演出の人の脳に、シンクロしたのかも。
そんでもって、今日の席はP列だ。
もちろん、みゆきさんの表情は双眼鏡を使わないと判別できないが、それでも、そこにみゆきさんがいるということを感じるには、充分な距離で、なので、より実体を感じるようにと双眼鏡を使わない時間も多かった。
そして、双眼鏡を覗くと、間近のみゆきさんが、レンズの向こうにいる。
じっと、口許を見ていた。
可愛い。
女性の口の中を覗くなんて行為は、男性としてやってはいけない行為なのかもしれない。
なのだけれども、大好きなみゆきさんの口の中なら覗いてみたいのである。
というか、目の前で口を開けて歌っているのだから、そして、それを双眼鏡で覗いているのだから、見えてしまうのは仕方がない。
んでもって、そこで思う。
可愛い。
みゆきさんは、若いころから、歯並びを、何度か矯正されているようで、特に上の歯は、若いころと比べると、随分と歯並びが良くなった。
とはいうものの、実は、凡は若いころの歯並びの悪いみゆきさんの方が好きだ。
若いころの歯並びには、若いころの恥じらいや、無垢な部分があって、どうにも見ていて愛おしい。
勿論、今のみゆきさんの歯並びも、これは間違いなく美しいのではあります。
んでもって、今回も見とれてしまったのは、下の歯並びだ。
上の歯並びに比べて、やや乱れているように見える。
歌を歌うときに、チラリと見えるだけなので、ハッキリとは見えない。
でも、見ていてそう感じた。
やや内側に傾いているのかな。
あの歯並びが最高に美しいのだ。
あの歯の乱れが美しいのである。
普通の人なら、ちゃんと整然と並んでいるのが美しいと考えるのかもしれない。
まあ、それも1つの美だろう。
でも、冷たい美だ。
それに比して、あのみゆきさんの下の歯の乱れには、温かみがある。
ただ単に、「美しいね。」と言って、澄ましてはいられない美なんだ。
居ても立てもいられなくなる美。
今にでも、駆け寄って、目の前、そう、凡の眼球の直前に、みゆきさんの歯を置いて、感じたくなる美なんだ。
見ていて、胸のあたりの血液が逆流するような、そんな美。
それが、みゆきさんの歯の乱れの美なんだ。
不調和の調和という言葉がある。
一見、1部分を切り取ってみると、不完全というか、調和していないように見えるのだけれど、全体を見ると、何とも絶妙なバランスで調和しているように見える。
そんな感じだ。
詰まり、不調和の美。
とはいうものの、その不調和や乱れは、ただ単に、そこに存在していても、その美の力は発揮されない。
みゆきさんという身体があるからこそ発揮されるのだ。
みゆきさんの身体に、あの乱れがあるからこそ、その美が、絶対に変わる。
たとえ、あの乱れが凡にあったとしても、それは単なる乱れでしかない。
そりゃそうだ。
そんでもって、美しいのは、歯だけじゃない。
それを包む唇も、それを受けるアゴも、そして、それから繋がっていくラインも、それらすべてが美しい。
よくぞ神様は、みゆきさんに唇とアゴをお与えになったものだ。
その神様の意図は、世の中には、相対的なものだけでなく、絶対的なもの、つまり絶対的な美も存在しうることをお示しになっているのだろう。
ということで、そんな美しいみゆきさんのステージも終わり、出待ち場所に向かう。
今日もまた、ツイッターの人と御挨拶をして、待っている間も、何やら楽しい。
そして、一瞬のみゆきさん。
この一瞬でも、もうメロメロにさせてしまうみゆきさんって、どんなにスゴイのか。
そんでもって、終わった後は、やや抜け殻状態で、田原町まで戻ってホテルに帰る。
さて、晩御飯を食べに行こう。
浅草の周辺を歩き回るが、お店を決めることも出来ず、結局、すしざんまいに入る。
まぐろは、やっぱり美味しい。
いろいろ食べたら、結構な金額になったので、お店を出る。

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んでもって、ホテルに戻って、ベッドに横になって、昨日から今日にかけてのことを思い出していた。
それにしても、宇宙村や、不二阿祖太神宮など、何をしているのやら。
とはいうものの、2回見たみゆきさんは、それはもう、美しくて、可愛くて、どうしようもない。
明日には、大阪へ帰らなきゃいけないのだけれど、また少ししたら、みゆきさんに会えると解っているので、寂しい気持ちもあるけれども、また次回への期待も膨らんでくる。
東京最後の明日は、どうしようかな。

 中島みゆきさんの「リトル・トーキョー」を見に行く前に

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