平 凡蔵。の 創作劇場

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散散歩歩。(877)。アイラブユー・ほたえてくれ!みゆきさーん。(323)

しばらくブログを更新していなかった。
余裕のなさの表れ。
ということで、久しぶりに、みゆきさんについて書いてみようと思う。
とはいうものの、少しばかりネガティブになりそうな気持の種が、凡のこころに居座っている。
凡は、なるだけ、みゆきさんの過去の記事などを見ないようにしている。
それは、凡が、みゆきさんを好きになったのが、凡の生きて来た年数で言うと、最近の出来事であるからだ。
過去なんて関係ない、今のみゆきさんが好きなんだという思い。
それは、間違いない。
なのだけれど、それと同時に別の感情があるせいでもある。
ネットなどで検索をしていると、どうしても過去の記事が目に入ってくる。
ここで過去の記事というのは、過去の男性に関する記事と限定してもいい。
そんな記事を見て、過去の男性たちは、みゆきさんを抱きしめたのだろうか。
過去の男性たちは、みゆきさんの黒い髪を、その指で愛でたのであろうか。
過去の男性たちは、みゆきさんの柔らかな唇に、その唇を重ねたのであろうか。
そんなことを想像するのは、極めて精神上よろしくないので、見ないようにはしているが、凡のクダラナイ脳みそは、勝手にいろいろ妄想してしまう。
そして、それは肉体的なものではなく、精神的なものにまで嫉妬してしまうのだ。
いや、むしろ精神的な、みゆきさんのこころの動きに、その知らない相手に、嫉妬してしまう。
そして、自己嫌悪に陥る。
何と、凡は、器の小さい、自己中心的で、欲の虜で、気品の欠片もない、気持ち悪い、異常な性格なのだろうかと。
一体、凡は、みゆきさんに何を求めているのだろうか。
みゆきさんを、独占したい?
愚かである。
人は、その肉体も、こころも、何をもってしても縛ることなんてできるものではない。
そんなことは解っているのに、嫉妬に囚われて1人苦しむ。
非生産的極まりなく、非論理的で、愚か極まりない考えである。
しかし、凡はそんな時に、岡本太郎さんの本を取り出して、繰り返し読む。
凡にとって、岡本太郎さんは、恋愛における師だ。
太郎さんの理屈で言うなら、どうせ恋愛なんて、片想いだということだ。
一見、相思相愛の様に見えるカップルだって、突き詰めれば、どちらかの愛が強くて、どちらかの愛が弱い。
必ず、カップルの間に、愛の温度差がある。
そういう意味で、どんな恋愛だって、すべて片想いだというのだ。
ならば、凡のように、みゆきさんに愛されていなくったって、凡が強烈にみゆきさんを愛しいと思うならば、それは立派な恋愛となる。
そんな理屈を、太郎さんの本から何度も読み返しては、凡自身を納得させていた。
その言葉で、少し安心をしていた。
一体、恋愛とは、何なのだろうかと思う。
相手を好きだという気持ち。
これは、間違いない。
相手を守りたい
これまた、素晴らしい感情だ。
相手にも、自分を愛しく思って欲しい。
ただ、これはそう、うまくはいかないものだ。
しかし、気持ちが強くなってくると、少し違った形に変わる。
相手を手に入れたい。
相手を束縛したい。
この辺りの感情というのは、善悪の二者択一で、やや乱暴に考えるなら、どちらかというと悪の領域ではないかと思う。
それで、世間の恋愛というものを見てみると、ほとんどが、この感情ではないかと思うんだな。
恋愛とは、相手が欲しいと思う気持ち。
その相手は、物でもなんでもないのにね。
ちゃんと意思を持った人間なのにね。
それを欲しいと思う。
それを縛りたいと思う。
そう考えると、恋愛は、悪の感情であると言えるのであります。
恋愛は、悪。
恋愛の感情を抱いたら、「タイホするぞーっ。」なんてね、警官が捕まえに来るの。
人間を造ったのは、神なのか、宇宙人なのか、それは知らないけれど、人間に恋愛なんて感情を、どうして作ってくれたんだと、最近、神様を恨むことがある。
だって、恋愛なんて感情がなければ、こんなにも悩むことがないものね。
そして、悪を実行することも無い。
んでもって、タイホされることもない。
そんな、みゆきさんを思う凡なのでありますが、最近、少しばかり気持ちに変化が起き始めてるのかもしれない。
みゆきさんを思う時、その瞬間、凡の頭の中の脳みそが、ぼんやりとして、白っぽいのだ。
みゆきさんとデート出来るとか、もう妄想することだって出来なくなってしまっている。
そして、最近、ある願望が芽生え始めて来ている。
みゆきさんに「ノー。」と言って欲しいという願望。
「あなたの顔も見たくない。」と言って欲しい願望。
「あなたのことが、大嫌いだ。」と言って欲しい願望。
そうすれば、諦めがつく。
まだ、凡のこころに、みゆきさんと縁が繋がる気持ちがあるのは、そして、みゆきさんを独り占めしたいと思う気持ちがあるのは、「ノー。」と言ってもらってないからなんだ。
だから、みゆきさんへの恋に悩む。
みゆきさんに「ノー。」と言って貰えれば、何か、その瞬間、凡は恋愛の呪縛から解放されるような気がするんだ。
そして、「ノー。」と言われても、それでも、みゆきさんを愛しているなら、静かに、そし熱烈に、その愛を深めていけばいい。
そして、みゆきさんが、楽しいなとか、嬉しいなとか、そんな気持ちで日々を過ごせることを、遠くから祈ればいい。
とはいうものの、この時点で、あることに気が付く。
みゆきさんは、凡なんて存在を認識すらしていないだろう。
凡が、大阪で、とりあえずは、生きてますよってことも、全く以って知らないのである。
ということは、「ノー。」って言えないよね。
認識してないものは、存在していないのと同じなのだから、存在しない者に、「ノー。」は言えない、。
そう思うと、みゆきさんとの恋愛の呪縛に、まだまだ苦しめられるのだろうか。
凡の恋愛の師は、もう1人いる。
車寅次郎だ。
そして、キネマ旬報社から出版されている「人生に、寅さんを。」をパラパラとめくる。
映画「男はつらいよ」の寅さんのセリフは、文字にすると、何故かしみる。
そして、凡に当てはめる「凡よ、恋をしたんだって。あぁ、可哀想に。」
でも、寅さんは、いつも恋をする人の味方だ。
「アイ・ラブ・ユー。できるか凡!」

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まだまだ、凡はみゆきさんを愛しつづけるだろうね。
ちゃんと、アイ・ラブ・ユーが出来るまで。
というか、求めても得られない苦しみに、のたうちまわるだろうね。
あぁ、可哀想に。

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コメント

  1. ゆけむり より:

    寅さん大好きです!
    人情味溢れ、味のあるセリフがたまりません
    あ~、なんだかたまには柴又に行きたくなってきました・・・

  2. 凡蔵。 より:

    ありがとう、ゆけむりさん。
    私も寅さんが大好きなんです。でも、奥さんは、嫌いみたいです。
    寅さんの良さは、男性にしか解らないのかもですね。
    柴又は、雰囲気のあるところですよね。

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