平 凡蔵。の 創作劇場

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散散歩歩。(775)アイラブユー・ほたえてくれ!みゆきさーん。(277)

「なんまんだぶ、なまんだぶ」
足の痺れを我慢しながら、おじゅっさんのお経を聞いている。
凡の家は、浄土真宗なので、法事などで南無阿弥陀仏と唱えるのであります。
子供の頃は、そんなお経を上げているときに、果たしてこれで先祖の魂が救われるのだろうかと、そんなことを考えながら聞いていた。
そして、学生時代も、浄土真宗という宗派を、ある意味、バカにしていた時もある。
でも、今は、面白い宗教だなあと、俄然、関心が出てきたのであります。
歎異抄なんて、プッって吹き出しそうになるぐらい面白い読み物だ。
浄土真宗の教えは、南無阿弥陀仏と唱えれば、或いは、信を起こせば、即ち、救われるのである。
というか、阿弥陀如来様が、救ってくださるのである。
そんなの、あり得る?なんて、思っていたが、自力で救われることなんて、もう無理だと、そう考えてしまう凡のようなお年頃になってくると、阿弥陀如来さまが救ってくださるという、開放感あふれる他力本願の教えが、どうにも優しいのであります。
なぜ、南無阿弥陀仏と唱えただけで救われるのかというと、無量寿経というお経があって、そこの中に書かれているのであります。
法蔵菩薩という人がいらっしゃって、もし修行をして仏になったら、こういうことをしますよという願を立てられて、修行をされたそうです。
その願が48あります。
そんな願の18番目に、もし、仏になったら、南無阿弥陀仏と唱えた人は、どんな人でも救いますよという願があったのです。
或るときに、釈迦に、そういえば、法蔵菩薩さんは、仏になったのですかと弟子が聞いたんですね。
そうすると、釈迦は、法蔵菩薩さんは、仏になったと答えられたのです。
ここからが、肝心なのです。
詰まりは、法蔵菩薩さんが仏になったということは、即ち、この18番目の願も必ず行われることだということになります。
何しろ、仏様ですから。
ということは、南無阿弥陀仏と唱えた人は、全員が救われるという理屈なのであります。
パチパチパチ。
素晴らしいですよね。
最大級の敬礼!
凡は、今まで、親鸞聖人はスゴイなと思っていたのですが、この理屈を発見した法然上人も、これまた、それ以上にスゴイですね。
ただ、この18番目の願には、「ただ、五逆と正法を誹謗せんとをば除く」と書かれています。
五逆とは、親を殺すなどの5つの罪を言います。
詰まり、救うけれども、親を殺したりした人は、例外ですよということだ。
なのだけれども、同じく浄土真宗の依教である観無量寿経の最後の下品下生について書かれたところでは、この例外も、救われると書かれているので、それらを総合すると、全ての人が救われるとなるのであります。
凡は、浄土真宗の依教の中でも、観無量寿経は、必要なのだろうかと思っていたけれども、この部分があるので、やっぱり必要だったと、最近になって気が付いたのではあります。
でも、良かった、これで凡も救われるのであります。
こんなアホな凡でも救っていただける。
と、浄土真宗の話をしようと思っている訳ではないのでございます。
凡が、最近読んだ、柳宗悦さんの「南無阿弥陀仏」を読んで、気が付いたことがあったので、それを書きたいがために、この説明を、ながながと書いたのです。
それは、何かというと、法蔵菩薩さんが、修行の前に立てた願についてだ。
その18番目の願については、今書いたのだけれども、4番目の願にこういうのがある。
「たとひわれ、仏を得たらんに、国の中の人天、形色同じからずして、好醜あらば、正覚をとらじ」とあるそうです。
詰まり、世の中に、美しいとか、醜いとかの区別があるなら、私は仏にならないということをおっしゃった。
これは、すごいことでありますことよ。
これについて、柳宗悦さんは、「醜に対する美は、未だ充分に美だとはいえぬ。この第四願は、まさしく美醜以前を報せようとするのである。」と言われている。
この文章を読んで思い出したのは、まさしく、みゆきさんだ。
凡は、前に、みゆきさんの白目は、絶対的に美しいと書いたばかりだ。
誰かと、或いは、何かと比べて美しいという相対的なものではなく、それだけで美として存在しうる絶対的な美しさであると。
(それについては、コチラを読んでね。⇒⇒⇒)
https://tairabonzou.jp/201701_article_2_html
そのことが、この第四願にも、記されていたのであります。
とはいうもののである。
繁華街など、人の多いところを歩いていると、大勢の綺麗な女性とすれ違う。
どの女性も、「あーん、あの子、可愛いやーん。」などと、凡は、声には出さないが、何度も、何度も、繰り返し、心の中で、叫んでいるのではあります。。
そんで、そんな綺麗な女性の中でも、ある女性が可愛いと思っても、また別の女性も可愛いと思うのである。
そんな時に、どっちが可愛いかって比べてしまう。
でも、たまに、「あれ?」この女性は、普通だなと感じる人にも出会うのであります。
となると、この第四願と矛盾してしまう。
法蔵菩薩さんは、仏になっていらっしゃるのであるから、詰まりは、この世に美醜の区別が無くなっている筈なのでありますから。
でも、街を歩くと、可愛いという中にも、メチャ可愛いと、可愛いがあるし、中には普通のという人もいる。
こは如何に。
じゃ、法蔵菩薩さんは、まだ仏になっていないのか。
否、でも釈迦が、仏になっているとおっしゃっているのだから、それは間違いがないだろう。
どういうことなのだろうかと、ちょっとビールを飲みながら、落ち着いて考えてみた。
すると、どうだ。
考えてみたら、あの子も可愛いし、この子も可愛い。
それに、普通の子だと思ってた子も、それほど可愛いことの差はないことに気が付いた。
目は横に2つ付いているし、鼻は縦に1つ、口だって、誰も1つである。
多少の配置が異なっているだけで、よく見ると、大差ない。
と、これは別に貶している訳じゃなくて、誰もが可愛いのであります。
まあ、凡は惚れやすいということもあるけれども、誰もが可愛いと思う。
なので、この世の女性は、誰もが可愛くて、その美醜の差はないといえるのであります。
誰も、可愛いという点では同じだ。
ただ、1人を除いてはだ。
世の中の女性は、全員可愛いというのは、これは間違いがないのだけれど、でも、みゆきさんだけは、この同じ括りには、入れたくない。
この入れたくないという感覚は、詰まりは、本来の美というものの本質を、人間の本能が読み取って、理由は言えないけれども、入れたくないと感じているのである。
詰まりは、五感を超えた感覚で、入れたくないと感じる。
人間社会の中で、美しいということを判断するには五感を使う。
五感とは、視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚のことだ。
人を見て判断する場合、まずは、視覚を使うだろう。
でも、それらを超えた感覚で、みゆきさんが、世の中の女性と、全く違う次元で美しいと感じるのである。
第六感なのか、第七感なのか、第何感なのか知らないが、五感を超えた感覚で、みゆきさんだけは、違う括りだと感じるのである。
ということは、柳宗悦さんが言うところの、みゆきさんの美しさは、「美醜以前」の段階での、美ということにはならないだろうか。
美も醜も無い時に、誰にも汚されない絶対的な美しさと、世の中に遍満する大差ない同じような綺麗さがあって、今、凡たちが現実世界だと認識しているは、その99パーセントの大差ない世界のみになってしまったのではないだろうか。
そして、法蔵菩薩さんは、その99パーセントの現実世界に関してのみ、美醜の差のない世界を作りますよとおっしゃったのではないだろうかと思うのであります。
五感を以って美と感じる世界でのみについて、美醜の差を作らないと願を建てられたのだろうと推測をするのである。
詰まりは、美醜以前の、1パーセントの絶対的な美については、法蔵菩薩さんは、無視をされたのである。
それは、人間の五感を超えた感覚でのみ、判断できるものであるからだ。
人間は、普段は気が付かないし、見えないからだ。
そして、ここで言う1パーセントの絶対的な美と言える世界について言う時に、美しいと言えるのが、みゆきさんなのである。
みゆきさんは、美醜以前から、絶対的に美しいのであります。
と、考えると、この第四願も、理屈が通る。
誰もが五感で感じる現実世界の美醜は、法蔵菩薩さんが、仏になられたので、無くなった。
詰まりは、誰もが可愛い。
そんでもって、みゆきさんは、美醜が分かれる以前から絶対的な美として、存在してる。
それは、五感を超えた美であるから、普段は気が付かないけれども、誰もが潜在意識で美しいと感じている。
だから、理屈なく、みゆきさんが美しいと、誰もが感じるし、好きになちゃう。
こう考えると、すべての理屈があるのであります。
詰まりは、みゆきさんは、絶対的に美しくて、絶対的に可愛いということである。
とはいうものの、みゆきさんが絶対的に美しいのは、これは間違いがないのだけれど、この凡と来た日にゃ、全く以って、愚で凡でありまして、美なんてものにほど遠い存在なのであります。
というか、存在しているのか、存在していないのか、判然としないのが凡なのでありまして、そう思うと、どうにも、みゆきさんとの距離が、果てしなく遠く感じてしまって、おちこんでしまう。
絶対的美のみゆきさんと、非存在というか存在不確定の凡。
あまりにも違いすぎて、もう釣り合わないこと甚だしい。
寂しいね。
悲しいね。
もう、どんなに違っていても、凡はみゆきさんが大好きだ。
これだけは、明るく叫んで生きて行こう。
ねえ、助けて~みゆきさんーん。

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