平 凡蔵。の 創作劇場

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散散歩歩。(679)縁ある人、それはみゆきさん。縁切りパワースポット訪問。

♪♪ 縁ある人、万里の道を越えて、引き合うもの、縁なき人、顔をあわせ、すべもなく、すれ違う~ ♪♪
と、みゆきさんの歌「縁」を口ずさむ。
鼻歌でも、凡は音痴だね。
凡には、どんな縁があるのだろうか。
少なくとも、みゆきさんとは、赤でなくてもいいから、糸が繋がっていてほしい。
この縁という言葉は、運命的ものであったり、目に見えないものであったり、仏教的な考え方であったりするけれども、共通して言えるのは、繋がりだということである
誰かと誰かが繋がっている。
或いは、人以外の物でも、繋がっているというときに縁という言葉が使われる。
そんな感覚は、多分に仏教の因縁果報という考え方から来ているので、中華圏(現在の中国の共産主義の教育や社会通念の中に、仏教的な考え方が、どれくらい残っているのかは、凡はそこまで知らないのですが)や日本などに特徴的なものだろう。
欧米人(不勉強の為、イスラムやユダヤ、ヒンズー的な考えは置いておいて、キリスト教を中心とした文化圏でということに限定して)の場合、縁という言葉は、(もし、それに近い言葉があるとしたら)デスティニーという言葉で表されるところの「運命」や「定め」という言葉に置き換えられてしまって、日本人が感じる縁とは、少しニュアンスが違ってくる。
ポール・アンカさんの、You Are My Destinyでも、これは流行歌だけれども、デスティニーという言葉は、繋がるというよりも、運命という意味合いが強い。
♪♪ ユー、アー、マーイ、デスティニ~ ♪♪
とてつもなく音痴な凡は、歌うのは止めた方が良さそうだ。
或いは、欧米人にとっては、縁という言葉をDestinyと訳さずに、
Fateful relationship運命的な関係
Connection invisible見えない接続
Karmaカルマ
Bonds絆
というように訳した方が良いのかもしれない。
ただ、凡は英語は苦手なので、これはネットの翻訳で出したのですが、英単語として適切かどうかは、誰か得意な人がいたら、教えて欲しいものであります。
それでもって、話は変わるのだけれど、最近どうも、行き詰っている。
どうにもできない凡自身に、何か焦りを感じる毎日だ。
こんな時は、神社仏閣にでも行って、パワーアップと行きますか。
ということで、急に思い立って、大阪にある縁切りのパワースポットに出かけてみました。
凡に、まとわりついた目に見えないネガティブな縁を断ち切るために。
詰まりは、凡との縁を切るために。
まずは、これは先日、超ムーの世界Rというテレビ番組で紹介されていたお寺である。
「鎌八幡」さん。

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ここは、知る人ぞ知る悪縁を断つお寺だそうです。
昔、大坂冬の陣のときに、真田幸村が、この土地にあった榎の霊木に鎌を打ち付けて祈念したところ、大いに戦勝をあげたとして、広まったそうだ。
お寺は、思ったより小さな感じで、入口を入ると左手に榎の霊木と祠がある。
境内は、縁切りということもあってか、撮影などは一切不可だ。
何となく、怖い雰囲気が漂っている。
奥にあるお寺の窓口に行くと、女性の住職さんだろうか、いらっしゃって、すごく明るく優しそうな雰囲気に、ちょっと安心をした。
初めてだというと説明書きをくれた。
そして、榎の霊木に鎌を打ち付けて特別に祈念するのもあったのですが、値段が解らなかったので、そして、たぶん高そうなので、それは止めて、絵馬を奉納することにした。
500円。
絵馬には、鎌が2本クロスした絵が描かれている。
そこで、凡自身の悪縁を切ってもらえるように、お願い事を書いた。
そして、霊木と祠にロウソクと線香をお供えして、お祈りをする。
これで、凡自身と縁が切れる。
じゃ、何になるのか。
ボンじゃなく、バン?ビン?ブン?ベン?
ベンだけは、嫌だな、便みたいだから。
絵馬を掛けよとしたら、掛ける棚に、びっしりと絵馬が掛かっている。
みんな、断ちたいものがあるんだね。
全部、絵の方をこちらに向けて掛けてあるので、何が書かれているかは解らない。
でも、その数の迫力に圧倒される。
そうだ、ここでのお願いは、お願いを言った後に、もしお願いが叶ったら、これをしますっていう約束を霊木というか鎌八幡さまとしなきゃいけないのです。
なので、凡は出来る範囲の、絵馬2枚の奉納と、年1回3年間のお参りを約束した。
約束、簡単すぎたかな。
さて、次の縁切りパワースポットに行こう。
「高津宮」さん。
少し距離はあるけれども、鎌八幡さんから歩いて行くことにした。
距離というよりも、アスファルトの照り返しがキツクて、これが堪える。
高津宮さんに行くと、丁度、お祭りをやっていた。
(この日は、7月の18日(祝)だった。)

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(本殿の前に、氷柱が供えられてあった。)
ここは仁徳天皇をお祀りしている由緒ある神社のようです。
神輿を担いで本殿に戻ってくるところに凡は行ったのですが、近くの若い男女も参加して、賑やかに夏祭りをやってました。
何か、地域の人と神社の繋がりが、こんな大阪の中心でも、今もなを続いていることが、嬉しくなった。
縁を切るには、どこの階段を上って参拝するとか、そんな言い伝えもあるようですが、結構な人で賑わっていたので、お参りだけをして、次のスポットに行くことにした。
この神社の横には、ラブホテル街があって、そのラブホテルの横の道で、夜店の用意をしていたので、今日は、これからもっと賑わうんだろうな。
ラブホテルの前にでる夜店。
面白い風景だろうな。
さて、最後は、高津宮から歩いて生玉さんへ行く。
大阪の人は、「いくたまさん」と呼んでいるのですが、正式には、生國魂神社(いくくにたまじんじゃ)という。
大阪最古の神社だそうで、曽根崎心中や、落語、俳句など、大阪の芸能とも縁があるそうです。
まずは、本殿でお参りをする。

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(本殿)
いくたまさんには、その境内に沢山の摂末社がある。
凡が、今日お参りをしようと思ったのは、そのなかの鴫野神社(しぎのじんじゃ)だ。

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(生玉さんの鴫野神社)

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(神社の絵馬のところを拡大。デザインがすごいね。)
この末社は、女性の守護神として、淀君が暑く崇敬していたことでも有名で、縁切りに霊験あらたかだそうです。
祠の前に来ると、錠前に心と赤い字で書かれた絵馬が印象的だ。
何か、霊験あらたかというよりも、どんなスゴイお願いを皆するんや、という感じだ。
恐い。
取り敢えず、凡もお願いをして、いくたまさんを後にした。
今日、3つの神社やお寺で、縁切りのお参りをしたんだから、これで凡も、凡自身と縁を切ることができるだろう。
とはいうものの、「壁は自分自身だ」。
岡本太郎さんの言葉だ。
凡の弱さとかネガティブなものと縁を切るために、神社仏閣巡りなんて、それ自体が、縁を切ろうとしていない証拠だと太郎さんに蹴とばされそうである。
本当は、凡の弱さ、そのままで、進んで行かなくちゃいけないのであります。
さあ、縁が切れていても、切れていなくても、取り敢えずは、歩き始めなきゃね。
そんでもって、みゆきさんと凡が、赤い糸の縁で結ばれていることを信じて、
そして、みゆきさんが、凡のデスティニーであると信じて、みゆきさんの歌「縁」を大声で歌いたい。
♪♪ 縁なき人、顔をあわせ、すべもなく、すれ違う~ ♪♪
いや、その部分は、要らないのであります。

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