平 凡蔵。の 創作劇場

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散散歩歩。(680)インド雑感。不浄の左手。

インドから帰ってきて、もう1か月ぐらいになるだろうか。
何となく、懐かしくもあり、また行ってみたいと思う。
向こうにいた時は、暑さもあり、下痢もあり、ヘトヘトだったんだけれどね。
今思えば、もっと色々なインド料理を食べてみたら良かった。
でも、凡は子供のころからカレーが好きだ。
そして、いつか本場のカレーを食べてみたいと思っていた。
その夢は叶った。

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そこで、思うのが、インド人の右手と左手である。
インド人は、左手は不浄なものだとしているので、食事の時は、左手を使わない。
これは誰でも知っているだろう。
でも、実際のところは、どうなんだろうと思っていた。
何故なら、凡は、カレーが好きだと書いたけれども、カレーを含むインド料理が好きで、たまに大阪のインド料理店に行く。
凡のよく行く店は、給仕人も料理人も、インド人で、割ときちんとしたレストランだ。
そして、タンドールという窯を使って焼くナンというパンや、チキンなどを焼くスペースがガラス張りになっている。
なので、料理が来るのを待っている時は、何気なく、その調理をする場面を見ることになる。
そこで、いつも調理の場面を見て思うことがあるのである。
ナンやチキンを調理するときに、両手を使っているということだ。
食べるときは、不浄の左手を使わないが、調理の時は使っても良いということなのだろうか。
そんな疑問を、いつもレストランに行くたびに感じていた。
そこで、実際にインドへ行ったら、みんな右手だけで食べているのだろうかということを見てみようと思っていた。
本場では、実際に、どうなんだろうと、
凡のいた短い期間での観察結果は、曖昧というか、人によって違うということだ。
ニューデリーの安いノンベジの食堂にいたファミリーは、厳格に右手だけで食事をしていた。
また、同じくニューデリーのレストランでは、若いカップルが、両手を使ってナンをちぎっていた。
空港では、若い男性の2人組が食事をしていたのですが、1人は厳格に右手だけ、そして、もう1人は左手も添えるぐらいに使っている。
なのだけれど、左手も使っている友人らしき人を、もう1人の人は、それを責めることもなく、普通にそれがいつものことでルール違反ではないという感じであった。
詰まりは、凡の見て来た人は、厳格に右手だけの人、そして、右手を主に使うが、どうしても左手が必要な時は使用する人、両手を使っている人と、3種類の人がいた。
結構、曖昧だ。
なので、そこまで厳密な不浄なのではないのかもしれないと思う。
そして、この不浄な左手は、トイレで大便をしたときに、水で洗うのに使用する手でもある。
なので、トイレで使用するから、不浄な手であるとされているのかと、考えそうであるけれども、いや、それもあるかもしれないが、そういう理由ではなく、宗教的、歴史的、社会的に、左手の不浄、右手の浄が、決まっているようである。
それは、ヒンズー教とカーストとに、由来する。
インドでは、今もなを、カースト制が強く残っている。
詰まりは、バラモンを最高位として、それから最下位のシュードラまでの4つの段階と、その下の不可触民と呼ばれる、それよりまだ下の階層が、生まれた時から世襲で決まっていて、職業やいろいろなものが、そのカーストに割り当てられて社会が構成されている。
ここで、カースト上位の人は、浄であり、下位の人は、不浄という位置づけになる。
ここで、どこのサイトで見たのかを、書き留めるのを忘れてしまったのだけれども、インドでは料理をする人は、バラモン出身が多いという。
(凡自身では、確認はしていないけれども)
詰まりは、浄である人が作った料理しか、食べたくないということらしい。
それを正解だとするなら、日本で凡が食べているインド料理のレストランで、調理人が両手で作っているというのも納得がいく。
インドでは、浄である人の左手は、不浄な人の浄の右手よりも、上位であるのだろう。
だから、レストランの調理人は、左手を使っても良い。
そこで、また話は戻るけれども、ヒンズー教では、左手の不浄と、右手の浄が決められているそうです。
これについては、ヒンズー教の聖典のどこに書いてあるというところまで知らないので、そうですというところで止めておきたい。
或いは、土着の考え方が、もともとあって、そこにヒンズー教的解釈が加わった可能性もある。
そんでもって、この左手の不浄、右手の浄という捉え方については、インドだけでなく、キリスト教でも、同じようなことらしいのである。
ここでも、聖書のどこに書いているかまで調べてないので、らしいというところで止めておきます。
そこで、思い出したのが、ズボンのお尻のポケットの、左と右だ。
左だけにボタンが付いている。
これは、昔むかしに、左は魔の入ってくる側だから、魔が入ってこないように、ボタンをつけて塞いでいると聞いたことがある。
或いは、左は不浄だから、不浄なものが出てこないように、または、入ってこないように。
でも、今回書く前に、それをネットで検索してみたのですが、そう書いてあるサイトは見つけられなかった。
或いは、凡の記憶違いか。
なら、話とは関係なくなるのでありますが。
詰まりは、この左手の不浄と、右手の浄は、インドに限らず、またヒンズー教に限らず、他の色んな国でも、左手は、右手より、下位で不浄なものとする割合が多いようなのであります。
ということで、インド人の左手の不浄については、凡の短い滞在期間で見た結果は、人に寄ってそれぞれで、曖昧だということだ。
そして、それはヒンズー教から由来するものだそうで、カースト制とも関係がある。
ということになる。
という風に考えてくると、インドでの浄不浄については、曖昧ではあるが、ヒンズー教、カースト制という絶対的な物差しで、固定されたものだと言える。
詰まりは、誰が見ても、浄は浄、不浄は不浄。
それから比較すると、日本人の浄、不浄という考え方は、少し違う。
インドの絶対的に、対して、相対的というのではない。
強いて言うなら、連鎖的だ。
日本人の浄不浄については、その元を判断するときは、インド人とも共通した部分がある。
生きている物を殺すだとか、トイレ関係などは、日本人も不浄とみなす。
でも、ここからが違うのである。
日本人の、浄不浄については、伝染するのである。
詰まりは、動物を殺した、その手は不浄であるのだけれど、それに触れたものは、元は浄であっても、不浄になる。
葬式でも、参列したら、その不浄が伝染、感染してしまう。
なので、家に帰ったら、塩を一旦踏んで、清めてから、家の中に入る。
詰まり、不浄をリセットする必要があるのである。
そして、それはトイレなどの直接的なものでなくても、概念的なものでも、いや、概念的なものの方が、より感染度が高くなる。
それは、穢れと言われているものだ。
気や霊など、目に見えないものに接触して付いた穢れは、物理的に穢れたものよりも、より畏れられ、嫌われて、より強烈なリセットが必要となる。
禊や、神社仏閣の先祖供養も、ある意味リセットである。
子供のころやった、エンガチョも、穢れを防ぐ手段の1つだ。
穢れを寄せ付けないということを、子供のころから、遊びで刷り込まれる。
日本人の穢れは、一時的で、それを清めることが出来る。
インド人の穢れは、永続的で、一旦決められたら、変えることはできない。
考えてみれば、日本人の浄不浄というのは、リセットが出来るところに、救いがある。
誰でもが、浄でもあり得るし、不浄でもあり得る。
そして、自分自身で、浄を意図的に選択することが可能なのでありますから。
ただ、日本にも、カースト制度とまでは、言わないけれども、差別された職業に世襲的に就いている人がいるのも事実だけれど。
ただ、インド人よりも、救いの手もあるし、抜け出す手段も多くある。
それでいうと、インド人の、浄不浄には、しばらくは、解決法がないように思える。
この浄不浄というのは、カースト制度のことも含むのですが。
もし、凡が5年後、10年後に、インドに、もう1度訪れることがあって、行った時に、まだ、左手の不浄、右手の浄という概念が一般的だったら、何か絶望を感じてしまうかもしれない。
もうちょっと、正確に気持ちを書くなら、左手の不浄、右手の浄は、別に残っていてもいいけれども、カースト制度だけは、すぐにでもインドの社会から、消え去ってほしいと思う。
インドの、感傷を引きずっているあまり、雑記としてインド人の左手について書きましたが、ネットで検索している間に、面白いページを見つけ、また参考にさせていただきました。
こんな記事を見つけると、ネットサーフィンって、面白いねと思いますね。
参考までに、そのページのURLを書いておきたいです。
https://d.hatena.ne.jp/oginos/20131219/p1
もし、気になった方が、いらっしゃったら、面白いですよ。
◆「悩み多きブッダたち」
 なんだこれはという小説ですが、
◆「アルカディアのレフュジー」
 中島みゆきさんの「一会」を見に行く前に
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コメント

  1. ゆけむり より:

    なるほど、不浄の左手ですか
    自分は宗教的な事や、何か特別信じるとかって事が無いのでこのような事はイマイチ理解できません
    でも、インドの方でも左手を使う方がいると聞いてなんだかホッとします
    トルコ人のガイドさんがイスラム教だったのですが、生ビールは飲むし豚骨ラーメンが大好物と聞いて、国によっては戒律が緩い場合もあると驚いた事があります
    そうですか、またインドに行きたくなりましたか
    やはり不思議な魅力があるようですね
    カレー以外の料理、自分も興味があります
    終わりの方でカースト制度に触れていましたが、現実的にはなかなか無くならないのではないでしょうか?
    日本でも出身地などによる差別が根強くあったりしますし、インドだったら尚更ではないでしょうかね?
    アメリカだっていまだに有色人種に対する差別が多いし、下手すると何もしていないのに警官に撃たれるなんて悲惨事もありますしね
    なかなか難しい問題でしょうね・・・

  2. 凡蔵。 より:

    ありがとう、ゆけむりさん。
    イスラム教は、厳格なイメージがありましたが、そんなイスラム教徒もいるんですね。イスラム教徒と言っても、世界中にたくさんいらっしゃるから、厳格さも、それぞれなんでしょうね。こういうのも、行ってみないと、実感として解らないですよね。インドも、絶対に左手で食事をしてはいけないと思っていたのですが、実際には、色んな人がいて、安心しました。
    インドも料理に関しては、もっと貪欲に食べればよかったと思うのですが、次回に行った時に、そう出来るかは自信ありません。注文する時に焦ってしまうんですよね。その辺、若い女の子がインドに行ったときのブログなんかで、色んな料理に挑戦している写真などを見て、スゴイなあと思うんです。女性の方が、やっぱり強いのかな。
    差別に関しては、これは無くならないですよね。アメリカも、オバマさんが大統領になっても、変化なし。
    インドについては、今も根強くあるんですが、私なんかが見ても、解らないんですよ。明らかに違うというのもあるのですが、1段階ぐらいは違っても、私にはわからないです。

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