平 凡蔵。の 創作劇場

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散散歩歩。(561)凡、退職す。そして、アイラブユーみゆきさーん。

おせちの内容につきましては、このブログを書いた時点での感想であり、2018年のお正月に頂いたときは、少し違っておりましたので、その旨をここに追記しておきたいと思います。(2018年11月02日追記)

あけましておめでとうございます。
と言ってはみたものの、凡にはグレゴリオ暦の1月1日を特別に祝うという趣味は持ち合わせてはいない。
12月31日と同じ1日だし、1月2日と同じ1日である。
とはいうものの、今年の1月1日に限っては、どうにもまだ実感は湧いてこないのではありますが、1日前の12月31日とは違うのでありまして、また昨年の1月1日とも違う心もちなのであります。
何故なら、凡は昨年の12月31日で勤めていた会社を退職したからです。
いつもなら12月31日まで仕事をして、1日は休んで、2日からまた出勤というパターンを何年も繰り返してきたのでありますが、今年は1日も休み、2日も休み、3日も、4日も、ずっと休みなのでありまして、言うなら無職という事になる訳で、世間体的には格好の悪いことになっているのではありますが、これは凡自身から望んだことなのであります。
凡は大学を卒業してから40才過ぎまでずっと陶器の会社に勤めていたのですが、そこを退職して、今度は日本茶の会社に14年弱の間勤めていました。
そして昨年のある時に気が付いたのです。
凡の年齢が56才であることにです。
年齢の数字を数えるなという凡の目標というか指針のせいか、その時までは漠然と自分の年齢を55才だと思っていたのですが、実際は56才であったことにビックリしたのでありまして、その瞬間に凡は今までの人生何をしてきたのだろうかと思ったのであります。
そしてこれからの人生を考えた時に、普通なら60才まで今のまま働いて、そして65才までどこかでアルバイト的なことをして、それで年金生活、まあ実際は年金だけでは食べてはいけないので、何か仕事を見つける必要はあるのですが、そんな風に考えるのじゃないだろうか。
でも、凡はそれまで今の会社について少しばかり悩むところもあって、このままでいいのかなと漠然とした不安と言うか疑問を感じていたのです。
そして今なら軌道修正も出来るのではと思った次第でありまして、それは何も確固とした自信や裏付けがある訳ではなく、今から65才または70才ぐらいのスパンで考えたら、今この時に一旦リセットしたいとわがままに考えたのです。
とはいうものの、本心を言うと、そんな冷静な判断というか理論だけで辞めたのではないのかもしれないのではありまして、ただ単に今の仕事に疲れたというか、今の仕事に根を上げたという理由の方が大きいのかもしれません。
意気地なしで根性なしの凡でありますから、その理由の方がぴったりと説明できる。
最近売れている本で、「置かれた場所で咲きなさい」という本がありますが、残酷な言葉だなと思う。
そんなら、東南アジアやアフリカの途上国でゴミの山でゴミを拾ってお金に換えて生活をしている人に、そんな風に言えるだろうか。
いつも戦闘状態にある国の国民に言えるだろうか。
学校でいじめにあっている子供に言えるだろうか。
そんなの残酷すぎると思わないですか。
そしてそんな人は、実際にはその置かれた場所で暮らすしか方法が無くて、そんな場所で咲くことも出来ずに枯れていかなければいけない状況であったりする訳で、そんな人がこの言葉を聞いたら、どんなに傷ついてしまうかを考えるべきである。
はじめこの言葉を聞いた時は仏教者が言っているのかと思った。
仏教では因縁果報と言って、今の自分が不幸なのは前世や過去に悪い行いをした業によってそうなっている訳で、その業を開放しなければ、たとえその場から逃げてもまた違った形で不幸になるという理屈が成り立つからだ。
逃げても無駄だということだ。
なら、その場でその業が消滅するまで徳を積むしかない。
徳のない凡には、その徳とはなんぞやということではありますが、それは置いておくとしてね。
でもキリスト教徒なんですってね。
どうにも、そこも理解が不能だ。
神は、それを克服できない人にその試練を与えないということだと思うのだけれども、もしそうであるなら、そんな神様はいらない。
もっと人間を伸びやかに、そしておおらかに導いてくれるのが神様じゃないのだろうか。
そんな訳なので、凡がもしタイトルをつけるなら、「置かれた場所から逃げなさい」とするだろう。
その方がよっぽど生身の人間には優しいアドバイスだと思う。
ということで、凡は置かれた場所から逃げることにしたのであります。
そして、その経緯としては10月半ばに上司に辞めたいという意思を伝えて、ただ急に辞めると皆に迷惑をかけるので、12月31日まで続けて働くことになったのであります。
それにしても、よく凡が会社を辞めることをミニボンが許してくれたと思う。
辞めたいということは、ミニボンも解っていたのかもしれないけれど、凡が陶器の会社から日本茶の会社に転職する時に1年間のブランクがあって、その時がよっぽど堪えたようで、辞めてもいいけれども次が決まってからという条件があったのです。
でも今回はまだ次は決まっていないのです。
ノープランなのです。
それでも許してくれたことで、凡はミニボンが、いい加減な血液型のO型で良かったなとつくづく思った次第であります。
ただ凡が辞めたいと思ったことについては、逃げたいという気持ちだけではなかったのです。
それはある質問を凡自身に発した時に気が付いたことなのであります。
その質問とは、「凡はいま、イキイキとしているのか。」そして「凡はいま、凡であるのか」というものだ。
その質問に対する凡の答えは、「イキイキどころか半分死んでいるじゃないか」そして「本来の凡という人間を自分自身で抑え込んでしまっているじゃないか」だった。
それは、凡もそうして生きて行かなければ生活が成り立たないからである。
自分を殺してまでもお金を工面することをしなければならないからである。
それは凡にとっては今までの仕事だったんだ。
ただ、そのことを後悔している訳じゃないし、これまでの事を否定している訳でもない。
その時は、そうするしかなかったし、実際にたつきを立てることもできた訳で、今までの会社にやメンバーに感謝をしている。
そんな時に、壁に貼ってあった岡本太郎さんの言葉が目に入った。
青山の岡本太郎記念館に置いてあったものを凡は壁に貼っている。
「壁は自分自身だ」
そうだ、逃げるという形でもいい、今の状態から抜け出して、新しい凡に新しい命を吹き込もう。
そう思った瞬間、何とも凡自身が自由になった気がしのであります。
なので、逃げるというよりも、どちらかというと希望に満ちた感覚なんです。
そして、今年は取りあえずは思うままに行動して、好きなことをやってみようと思う。
ただ手許から考えて1年以内には収入を得る手立てをとる必要はあるのでありますが、気楽に考えよう。
それにしても、凡の今の考え方は岡本太郎さんの影響が大きい。
生きるということについて、この時期になって考える機会を得た。
これは本当に感謝したい。
とはいうものの、何で急に岡本太郎さんに傾倒するようになったかというと、みゆきさんだ。
凡が4年前にみゆきさんを好きになって東京へコンサートを見に行った時に、偶然次の日に青山にある岡本太郎記念館を訪れたことに始まる。
凡は岡本太郎さんの絵については分らない。
でも、その考え方や書かれた文章に大いにこころを動かされたのです。
みゆきさんが好きになって、東京へ行った時に岡本太郎さんに出会った。
詰まりは、みゆきさんからの岡本太郎さんに繋がったのであります。
ということは、凡がみゆきさんを好きになっていなかったら、今の凡の退職はなかったかもしれません。
詰まりは、みゆきさんが凡をして無職にしたのであります。
そして、みゆきさんが凡をミしてニボンのパート収入でやっていくジゴロにしたのであります。
もう、どうしてくれるのよ、みゆきさん。
みゆきさんのせいだからね。
凡が今年最悪な年になったら、全部みゆきさんのせいだからね。
責任とってよね、みゆきさーん。
とはいうものの、そんなみゆきさんにも感謝せずにはいられないのではあります。
さてさて、凡の2016年はどうなりますことやら、乞うご期待!

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12月31日の夜は、吉例によって大阪キャッスルホテルのおせちを頂く。
市販されているおせちの中で、大阪キャッスルホテルのおせちは、見た目の豪華さも、そして楽しさも、群を抜いていると思う。値段を考えると凡のイチオシである。

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食べるときはお品書きとにらめっこで、1品1品確認して食べるのが楽しい。

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普通ならここまでだけれど、大阪キャッスルのは、上のおせちを食べると下にもおせちが詰まっている。楽しくなる瞬間だ。

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大晦日におせちも食べて、さて2016年は縁起のいい年になりますように。

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sansanpopo@tairabonzou.jp
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コメント

  1. ゆけむり より:

    あけましておめでとうございます
    なんと、凄い決断をなされたんですね
    でも思い切って正解ではないかと思います
    あっ、正解か失敗かはこれから次第
    これから次第というよりも、辞めて正解だったと思えるよう充実したライフスタイルを送る事が肝心ではないかと思います
    何を隠そう自分も転職経験者で、休みが取れないけどまぁまぁ収入が良かった前職を捨て、収入はガクッと減るが休みが多い今の会社を選びました
    数年前に管理者側へ引き上げてくれる話がありましたが、頑としてそれを固辞し、気ままな平社員で通しています
    転職する際に自分は誓いました
    これからは自分自身の為に生きると!
    そして好きな旅行の為に有休は全部使い切るつもりでと・・・
    まぁ自分のように極端になる必要もないと思いますが、せっかく思い切った決断をなさったなら、一度しかない人生ですから後悔の無いようにやりたい事を思い通りにって思います
    若輩者が生意気な事を言ってスイマセン
    でも凡蔵さんの決断が他人事とは思えずなんだか嬉しくなってついつい熱く語ってしまいましたm(__)m

  2. 凡蔵。 より:

    ありがとう、ゆけむりさん。
    そして、力いっぱいのエールも、ありがとう!
    はてさて、今年はどうなりますでしょうか。
    不安というか、まさまだ、不安になる以前の状態でありまして、どちらかというと、楽観的に考えています。
    どうせ、悩んでも同じなのですものね。
    奥さんも、今年1年は好きにさせてくれるようなので、(今の所ですが)自分の思うようにやってみようかなと思っているところです。
    とはいうものの、お金も必要なので、早めに何かをやらないとというのもあります。
    今年の後半にでも、ゆけむりさんに「面白いね」と言ってもらえるようになれたらいいですね。
    それにしても、ゆけむりさんも、私は旅行の行きっぷりにいつも「あっぱれ」と叫んでいますよ。
    特にヨーロッパなんて、思い切らないと、休みもそうですし、行けないですもんね。
    今年も、そんな思いっきりのいい旅行をされることを期待しています。

  3. ゆけむり より:

    全くです!
    悩んでも始まらないし、決めたんだからドンと構えなくっちゃ
    そして豊かな人生を送らなくっちゃね!
    自分はお金は使ってこそその価値が発揮させる、そう思っています
    たしかに病気になった時とかにお金が無ければ困るけど、お金があるのに使えない体になっちゃった時は悲惨だし、後悔の何物でもありませんからね
    自分の先輩は(独身)つましい生活を送り、小さなアパートで傍から見るとけして幸せそうでない人生を送っていました
    その先輩が脳幹出血で倒れ、約1週間後に亡くなりました
    その人とアパートの整理を遺族と共に手伝ったんですが、何と新築の一軒家が買える貯金があったんです
    それを使わず死んじゃうとは、非常に考えさせられる出来事でした
    まぁこれは極端な例えでしょうが、生きているうちに楽しむ、元気なうちに楽しむってのが自分の信条となりました
    その少し後に自分も体を怖し、それ以後会社の為ではなく自分の為に生きる決意をしました!
    何しろ自由になる時間がたくさんあるって事は素晴らしい事です
    近くの海へ行って、何もせずに海を見ながら過ごすのも楽しいですし、知らない街へ行くのも良し、何しろ有意義な1年を過ごして下さいね!

  4. 凡蔵。 より:

    ありがとう、ゆけむりさん。
    周りからは「大丈夫か?」なんて心配されているのか、或いはバカにされているのか、
    それはどうなのか解りませんが、否定する人も多いです。
    でも、ゆけむりさんは、私の行動を肯定してくれるので、やっぱりコメントを読んでホッとします。
    私の父親も、これは私や家族を守るために一所懸命働いてくれました。
    そんな父の夢は、定年したらエジプトに旅行することだったのです。
    でも、結局、定年したら体を壊して、というか定年前からも入院したりしていたのですが、それで旅行には行けなかったのです。
    そんな父を見てきて、そして今までの私の考えもそんな父と同じだったのですが、何かをしてから、自分のしたい事をしようと考えるのは、やっぱりダメだなと思うのです。
    仕事を終わってからとか、今は忙しいから来年からとか、それじゃダメだなと気が付いたのです。
    仕事も、したいワガママも、同時進行でなきゃと。
    そんな訳で、今までの会社だと同時進行は出来ないので、辞めて、収入を得るということと、楽しむということを同時にしていこうと思っています。
    そんなことが出来るのかどうかは、まだ解りませんし、自信もある訳ではないのですが、兎に角、始めないとと思うのと、年齢的に今だと思っています。
    そんな私を肯定してくれて、ありがとう。

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