平 凡蔵。の 創作劇場

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散散歩歩。(552)アイラブユー・ほたえてくれ!みゆきさーん。(202)

11月18日、東京で迎えた2日目の朝。
昨夜のみゆきさんのコンサート一会の楽しかった瞬間も既に過去のことである。
過去ってツマラナイな。
勿論、凡の脳細胞には電気的なのか化学的なのか、何らかのみゆきさんの記憶が残存しているのだろうけれど、それを鮮明に引き出す能力を持っていない凡にとっては、少しずつそして確実に失われていくことが悲しいのである。
今はただ、みゆきさんへの愛しい気持ちだけが、東京のホテルの凡のまわりに穏やかに漂っている。
さて、そんな優しい気持ちで、東京のホテルの朝ごはんでも食べに行くことにしよう。
今回は、朝食付きのプランを選択した。
しかもバイキングである。
吉例に従ってまずは和食でそろえる。
味噌汁には具も多くて、しかも係りのお姉さんがよそってくれるので嬉しい。
自分で好きな量を取るのも気楽でいいけれども、誰かが凡のためにごはんやおかずをよそってくれるというのは、どうにも嬉しくて幸せな気分になりますよね。

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(みそ汁が美味しかった。サラダ関係も充実していたな。)

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和食を頂いたら、今度は洋食仕立てで更に食欲を満たす。
食欲を満たすというか、和食の段階で食欲は満たされているのであるけれども、貧乏人の欲というのだろうか、何かの欲を満たす為に更に食べたのであります。
そんでもって、このホテルの朝食の評価は如何に。
大変美味しかったし、バイキングの朝食として品数もあって、何よりアットホームな雰囲気も良かった。
とはいうものの、満点ではない。
エライ辛口の評価だとホテルの人から怒られそうではありますが、朝食そのものについては満点だ。
何も知らずにこの朝食を頂いたなら、そして他のビジネスホテルと比較したら上位に入れてもいいと思う。
でも、凡はこのホテルを予約するときに、ホームページに書いてあるコピーを読んで
、それがすごく印象に残っていたものですので、満点ではないとなったのであります。
どんなコピーかというと、朝食について「日本一の朝食を目指しています」とあったのです。
もちろん正確には「目指している」のであって「日本一」とは書かれていない。
とはいうものの、これを書いた時点で「日本一」がインプットされている。
なので、これはホテルの朝食をケナシテいるのでは決してありません。
ただ折角の美味しくてアットホームな朝食が、「日本一」のせいで、「なあんだ。」という気持ちになったことを書きたかったのであります。

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何かこのコピーで損してると思う。
だって、もっと豪華な品数の多い朝食を普通の価格で提供するホテルがあるものね。
というか、「日本一」という言葉が、凡にはどうにも好きになれないのです。
そもそも日本一ということが褒め言葉なのだろうかと思う。
それはスケールで計れる客観的な数字を伴うものだったらいいよ。
日本一高いビル。
日本一長いトンネル。
とかね。
何より正確だし、だから聞いてもスッキリと納得できる。
でも、スケールで計れないものだったら、それはもう凡には想像と同じレベルである。
日本一ハンサム。
日本一美味しい。
なんて、その日本一という言葉の響きが虚しく聞こえてしまう。
「たぶん」とか「そんな気がする」という言葉を付けてくれたならスッキリとするのになあと思う。
凡の大好きなみゆきさんだって、「日本一美しい」とは凡には書けない。
(ひょっとしてみゆきさんへの気持ちがたかぶって勢いで過去に書いているかもしれませんが、その場合はお許しくださいませ。)
それは凡の気持ちを正確に表していないから。
日本人の女性に全員会ったことがないしね。
なので、凡にとっては日本一という言葉は、褒め言葉ではなくて、単なる曖昧な自慢でしかないのである。
そもそも、人間も物も日本一である必要はない。
人間はただ生きているだけでいいんだ。
物はただそこに存在しているだけでいい。
というよりも、そうしてこの世にただ存在しているしか、存在している方法がないじゃなか。
ただ、存在して生きている。
それだけでいい。
日本一でなくて「一」でいいんだ。
とはいうものの、「オンリーワン」ということではない。
凡は今世間で使われているオンリーワンという言葉が大嫌いだ。
(それについては、以前に書いたのでお時間のある変わった人は是非読んでくださいまし。)
ということでありまして、優しいレストランのスタッフの用意してくれた朝食を美味しく頂きまして部屋に戻ったのであります。
朝ごはんのブログで長々と書いてしまったのでありますが、東京の2日目であります。
どこへ行くというプランもないのでホテルの椅子に座って今日の予定を考えてみる。
その時に思い出したのが「小野照崎神社」だ。
少し前に超ムーの世界Rという番組で紹介されていたのを思い出したのです。
なんでも、渥美清さんが願掛けをした神社ということで有名だそうです。
他には思いつかなかったので、取りあえず行ってみることにした。
支度をしてホテルを出る。
駅へ向かうとある大きな木に目が留まった。
駅の近くにあるその大きな木には「一口(いもあらい)太田姫神社」と書かれた説明書きが貼りつけてあった。

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この神社は室町時代に太田道灌の娘が天然痘にかかったときに、京都の一口にある稲荷神社にお願いをしたところ治ったということがから東京へ勧請されたのが始まりのようで、この木は今現在の太田姫一口稲荷の遷座する前にあった場所だそうです。
その木は橋の近くに急に存在するものだから不思議だし、その説明も手作り感満載なのである。
そしてそこには誰でもが持って帰れるお守りが吊るしてあった。
お守りを捨てようなんてブログを書いたことのある凡なのですが、こんな不思議なものは大好きである。
なので、1つ頂くことにした。

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見るとどうにも年配の人が書いたと思われるような字でお守りと書かれている。
そのコピー用紙を開けると裏面に神社の由来がこれまた味のある字で書かれていた。
というかコピーされている。
そして、更に手書きの説明書きについてのワープロで打たれた説明書きが中に折りたたまれて入っている。
しかし、肝心のお守りは入っていない。
おかしいなと思っていると、木に貼りつけられたお守りの説明に「外袋」と書かれていたので、つまりはこのコピー用紙がお守りであるらしいと判明した。
そして朱色で押された「御守」が、昔から残っている版木の字らしい。
おもしろいね。
コピー用紙のお守り。
でも、今は誰がコピーをしてこの木にぶら下げているのだろう。
今現在の神社の関係者だろうか。
それなら、なかなか律儀な人というか、人との縁を大切にする人なんだろう。
何故かというと、このコピーを最初に木にぶら下げたのは、今このコピーをぶら下げている人ではないからだ。
このコピーを最初にぶら下げた人は、このコピーの文章を書いた人で、今はたぶん亡くなられているのかもしれない。
それを引き継いでぶら下げている人がいるのだ。
何故かというと、中のワープロのコピー用紙に、この手書きの文章が書かれたのが24年前だろうというような説明が書かれていたからです。
そんなことを考えていると、どうにも楽しくなってきて、そのいきさつを知りたくなったのですが、それは諦めてロッカーに荷物を預けて小野照崎神社に向かったのであります。
今日は朝からおもしろい発見をしましたね。

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