いよいよ開場である。
中に入って、取りあえずは歌姫国旅券に記念のスタンプを押す。
このあたりはファンとしての行動をとってしまっているが、まあ記念だから許してくだいさませ。
あとは時間があるので会場をぶらぶらと見て回るが、やっぱり人が多いね。
開演前の静かな興奮状態がみんなの表情に見える。
それだけ、みゆきさんって皆に愛されているのですよね。
取りあえずは凡の席を確認しに行く。
1階の28列の81番。
前後でいうと真ん中ぐらいだろうか。
左右でいうとステージに向かって1番右端である。
この1番右端というのは、これはこれでいい。
凡は座高が高いので後ろに人がいると気を遣って座っていられなくなる。
でも、前後の28列は、遠いね。
2階へあがって上からのステージの見え方を確認して、まあ1階だから仕方がないかと無理やりに納得をした。
さて、あとはみゆきさんに会うだけである。
開演のブザーが鳴って、いよいよみゆきさんを眺めることが出来る。
ステージはいたってシンプルで真ん中にみゆきさんのステージとスタンドマイク、その両脇2階建てになった楽器の演奏者がいる。
さて、ステージに登場したみゆきさんは、白いベースに黒の縞柄の入った衣装で、思わず素敵だなとため息が漏れる。
とはいうものの、凡は双眼鏡を忘れたウッカリものである。
みゆきさんの表情は全く判別できない。
眉間にシワをよせて眼を凝らすが見えない。
そもそもあのステージの照明というのはどうなんだろう。
確かに照明の演出が必要なことぐらいは凡でも分かる。
でも、暗い会場でみゆきさんにだけスポットライトが当たっているので、しかも後ろからもライトが当たっているせいで、どうにも凡の目にはしっかりと実在感をもって、そこにみゆきさんがいるようには見えない。
まるでお人形さんか、まさしく偶像としてしか、凡の目には、というか凡の目を通して認識しているところの凡の脳は、みゆきさんの実体を把握できないのである。
これが、観客席もステージも、普通のライトで全体を明るくしてくれたら、もっと見やすいのにと思ってしまう。
少なくとも生身の人間のみゆきさんとして、凡は見ることができるだろう。
と、そんなことは言っても仕方がないので、こっちに置いておきまして。
凡はステージの上のみゆきさんにウットリと、そして前のめりで見入っていた。
でも、肝心の、凡が待ち焦がれていたみゆきさんの顔を見ることができないのである。
何たるウッカリだ。
とはいうものの、凡は椅子に座りながら、これで良かったんだと、凡自身に言い聞かせていた。
何故なら、もし双眼鏡を持って来ていたら、みゆきさんの顔や身体ばかりを追いかけて、ステージ全体を見ることはなかっただろう。
でも、凡は今、みゆきさんを注視しながらも、みゆきさんの全体像を見ている。
そんなみゆきさんの全体像を見ていると、やっぱりみゆきさんは素敵だなと感じずにはいられないのである。
歌っているあいだの手の位置や、間奏のときのマイクから離れてとるポーズ。
そのどれを取っても完璧なんだ。
特に、「ライカM4」のときの振り付けなんて、もうこれはノックアウトだ。
左手は耳に当て肘を真横に、そして右手は腰に当てて、そんでもってモンローウォークのような振りで歌うんだけれど、その格好がどうにもセクシーでセクシーで、なのだけれど、ただセクシーなだけじゃないんだ。
そこに可愛らしさがまとわりついていてキラキラと光っている。
マリリンモンローがセクシーだという人がいるだろう。
少し年配の人の例えになってしまうけれどもさ。
でも、マリリンモンローは確かにセクシーだよ。
でも、それだけだ。
それに比べて、みゆきさんのセクシーは別格である。
同じセクシーでも、知的で、爽やかで、それでいて悪戯っぽい表情もあり、背伸びをした少女のようでもあり、成熟した貴婦人のようでもある。
それは見る人の気持ちを「キュン」とさせるセクシーなんだ。
こんなセクシーは、もうみゆきさんしか表現できないのである。
凡は、今回のコンサート「一会」は、この「ライカM4」のみゆきさんを見るだけでも、来た意味があると断言できる。
どうにもこうにも、こんなみゆきさんは独り占めしたいような、みんなに評価されてほしいような。
もう、凡の気持ちも、どっちなんだか分かんなくなっちゃうじゃない。
そんでもって、トイレ休憩の前の前半で気のついたことはというと、まずは今回のみゆきさんは声が可愛いということ。
2曲目の「やまねこ」の時の「落胆のため息だった」の部分なんかドキっとしちゃったよ。
何て言えばいいのか難しいんだけれど、これは的を得ていないもしれないけれど、舌ったらずな若い女性が精一杯歌っているという感じ、、、でも無いか。
これじゃ褒めてないものね。
凡には無理だけれど、兎に角は、声がというか歌い方が可愛いのである。
それと、やっぱり今回もセリフを間違えたのね。
ライカM4の冒頭のところだった。
普段ならそのままスルーだろうけれど、今回は瞬間に大きな声で、あ、間違えたっていうようなことを歌の最中に言ったのね。
これもまた、みゆきさんが好きな人には嬉しいアクシデントだよね。
その「ライカM4」なんだけれど、この歌はみゆきさんをいつも撮影されているカメラマンの田村仁さんの事を書いたと、歌う前にそんな話をみゆきさんがした。
今回はのコンサートでは、そんな男性の名前がいくつか出てきた。
吉田拓郎さん、ピアニッシモの題材になった人
いつもなら、そんな話を聞くと悔しくて堪らなくなる。
こんなにもみゆきさんに恋い焦がれているのに、凡の気持ちがみゆきさんには1ミリたりとも伝わらない。
そんな焦りに悔しさが相まって嫉妬してしまうのである。
でも、今の凡は少しばかり違う。
ほんの少しばかりだけれど。
もちろん悔しいには悔しいが、その悔しさに執着がない。
人に恋するということは、楽しい事では決してない。
むしろ自分が相手を思っている、その気持ちをそのまま100パーセント相手に伝わっていないという思いが、悔しさとなり、情け無くもなり、どうにも辛いのだ。
それが他の男性という要素が加わると嫉妬へと変わる。
それは、例え付き合っていたとしても同じだ。
岡本太郎さんが言うように、例え相思相愛でもその愛には温度差がある。
温度差がある限り嫉妬はなくならないのである。
その嫉妬が高じると独占欲、支配欲に変化するのだ。
相手の全てを自分のものにしたいという欲。
凡はそれはいままでは自然な欲だと思っていた。
いや、今でも思っている。
だって、そうなる気持ちはどうする事もできなくて、仕方がない事だからである。
人間は欲という煩悩 を持っているが、人間だれでもその欲の線の上に乗っかっていて、少しばかり位置がずれているだけだ。
だから、凡のみゆきさんに対する独占欲は、これは恋をする人の自然なと言ってしまえば、凡を正当化してしまうので意味がずれてしまうけれども、これは真っ当な気持ちだというのは間違いがないと思う。
むしろ独占欲のない恋なんて、ぜったいに有り得ないのだ。
最近のアイドルファンの中には、自分の好きなアイドルに恋人ができても、アイドルを続けるっていう人がいるようだけれど、バカヤロウ。
あんた、それで大丈夫なのかい。
アイドルは、清く正しく美しくだ!
自分がそのアイドルの恋人になるぞって思わなきゃ、そんでもって、それに向かっていかなきゃ。
ただし、相手に嫌がられない限りにおいてね。
相手に嫌われてしまったら、そんな独占欲は意味がない。
なのである。
なのであるのであるけれどもである。
凡は最近、少々違ってきているのかもしれない。
凡はみゆきさんが好きだ。
そして、これからも大いに叫びたい、みゆきさん大好きですと。
そして、いつかは恋人になってほしい。
そして独占したい。
とはいうものの、凡は独占しても、独占はしないようにしようと思う。
意味わからないね。
どういう意味かというと、凡は好きだから独占したい。
だから、もしそうなったら独占するよ。
でも、凡に独占されたみゆきさんはどうなんだろうと思う。
今のみゆきさんのようにキラキラと輝いていて、そして美しいだろうか。
凡には、凡に独占された時点で、みゆきさんのその輝きが曇ってしまうと思う。
だから、みゆきさんを独占するよなんてことは、するべきではないのである。
へそ曲がりの凡である。
そんでもって、こんな風に考えるようになったのは、ちょっとしたキッカケがあるのですが、今はみゆきさんの興奮覚めやらぬ状態なので、また今度書きたいと思うのであります。
話は長くなりましたが、コンサートは、途中にトイレ休憩が入りまして、2部の始まりです。
幕が上がると、ステージ中央にみゆきさんが椅子に座っていて、その前に小さなテーブルとマイクがあった。
そして流れるオールナイトニッポンのテーマ曲。
そうなんです。
いつも聴いていている月イチのステージでの再現です。
ここで入場した時に書いたみゆきさんへのメッセージを読み上げるという展開です。
期待をしたのですが、読まれなかった。
まあ、それは置いといて。
そのあとに、テーブルが下げられると、そこには椅子に座ったみゆきさんの姿。
歌うのは「ベットルーム」。
いや、この際「ベットルーム」はどうだっていい。
みゆきさんの姿だ
右足はステージ上に伸ばしたまま下ろしている。
問題は左足だ。
脚を曲げて椅子の付け根の部分にのっけている。
するとどうだ。
キャー!!!
その時に着ているのは下はどうにもミニのように見える。
そんでもって、その上に来ているのがスリットが入ったシースルーだ。
凡はこの世の中でいちばん好きな服装がシースルーだっ。
と、強調の小さい「っ」は、手が滑ってしまったのですが、シースルーほど気持ちがアップする衣装はないだろう。
そんなシースルーをみゆきさんは身にまとっていてくれて、しかも椅子に座って脚を上げているものだから、シースルーを通してみゆきさんの太ももらしき部分が見えているのであります。
「しもたー。」
こんなことならタクシーを飛ばしてでも双眼鏡を取りに行くべきであったのだ。
なんたる不覚。
しかも今回はシースルー的な場面が多いのである。
後ろからのライトで脚のラインが時にクッキリと映し出されるう。
またもや、興奮のあまり「映し出される」に「う」をつけてしまった。
ステキだ。
そして美しい。
そしてセクシー!!!
なので、コンサートの最中に、双眼鏡を持ってこなかったことを「しもたー。」と心の中で何度も叫んでしまうのでありました。
どうしたものかね。
ただ、後半Why&Noの時、脚を出しながら歌った際に、素肌のみゆきさんの太ももだと思ってたのが、実は肌色っぽいスパッツをはいていたことが分かって、残念やら安心やら、またもや凡のこころは、あっち行ったりこっち行ったりであるのではありました。
そういえば、前半のシースルーも、下には黒いスパッツをはいていたようでありますが、それでも後ろから当たるスポットライトで脚のシルエットをみせてくれるというサービスもあり、ちょっとドキッとした凡なのでありました。
あ、それからハイヒールもステキでした。
最後に、アルバム の中の、凡が1番気に入っていた、「ジョークにしないか」を歌ってくれた。
あの歌はいいよね。
凡の気持ちがそのままだ。
そうして、待ちに待ったみゆきさんのコンサートは寂しくも終わってしまったのであります。
ここで、これじゃネタバレじゃないと思われるかもしれませんが、これぐらい書いたって、みゆきさんの一会は、その魅力を1パーセントたりとも損なわれていないのであります。
それほどステキでありました。
コンサートが終わって、興奮冷めやらぬ状態で、この文章を書いたので、少々長くなりましたが、お付き合いくださいまして、ありがとうございます。
コンサートの内容につきましては、みゆきさんの表情も判別できない距離で、必死で目を凝らして見て感じたままに書いたのですが、今度また行ったときに、そしてもっと近くで見ることが出来た時に、「あ、違ってた」なんてこともあるかと思います。
その時は、またもう少し正確な文章を書きたいと思っております。
コンサートが終わって、外へ出ると小雨が降っている。
さあ、これからホテルへ戻るのだけれど、何だかこの場所を離れたくないような、そんな寂しい気持ちなのである。
そういえば、東京国際フォーラムは、誰か出待ちをする人がいるのだろうか。
そう思って、凡は会場の建物の周りを歩き出した。
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平 凡蔵。へのファンレターや
お褒めの言葉は
sansanpopo@tairabonzou.jp
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