平 凡蔵。の 創作劇場

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散散歩歩。(536)奥入瀬リゾート満喫の旅。(6)

奥入瀬渓流ホテルを後にして、また1時間30分バスに揺られて新青森まで送迎バスで移動。
そして新青森から青森駅までJRで移動した。
青森駅は、学生の時に来たことがあって、急行「きたぐに」で着いた時は夕方で、その時は2月だったのだけれどホームに雪が積もってて、ホームで待つ駅弁売りのワゴンから味噌汁なのか湯気が立ち上っていて「飲みたいなあ。」なんて思ったけれどお金が無くて飲めなかったのですが、その時の何とも本州の北のハズレの街に来たんだという旅情をずっと青森の記憶として凡の中で持っていたが、今いる青森駅は記憶よりも小さくて、「あれ、こんなだったかな。」という拍子抜けな感じだった。
さて、青森市内で観光をしてみようと思う。
青森といえばねぶた。
駅の近くに「ワ・ラッセ」というねぶたの資料館がある。
実物のねぶたが展示されていて、これは迫力がありました。
このねぶたがお祭りのときには市内を練り歩くんだから、実際に青森の夜に市内で動くねぶたを見たなら、これは圧巻だろうな。

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とはいうものの、凡は見るだけだ。
ねぶたは衣装を揃えれば、誰でも参加できるそうです。
これは素晴らしい。
ねぶたで跳ねたいと思ったら、すぐに参加できるんだ。
そして、自分をさらけ出して兎に角、跳ねる。
お祭りの原点がここにある気がする。
青森という北の国の人は案外と開放的な人なのだろうか。
とはいうものの、凡は参加しないだろう。
自分を素直に解放できないからだ。
たとえ参加しても、周りを気にしながら飛ぶことになって、一心不乱に参加するなんてことは凡には不可能だからだ。
どこか恥ずかしさというか、自分を意識しすぎているというか、自信が無いというか、そんな部分でブレーキをかけてしまう。
なので、このラ・ワッセでも、凡が行った時間にちょうど体験の時間があったのだけれど、そそくさと逃げて出て来てしまった。
そんなことで凡は祭というものが苦手だ。
それは恥ずかしいという気持ちがあるのでありまして、さっき書いたように祭りに参加している自分が恥ずかしいというか見られるのが恥ずかしいということを克服できないからなのであります。
それと祭りはセクシャルな部分と切っても切り離せないところがあって、男女の関係の古代からの儀式と言うか営みが、祭をとおして行なわれてきたのであって、昔から奥手の凡にとっては、どうにも苦手な分野でもあるからであります。
その祭りのセクシャルな部分は、また古代のおおらかさでもあり、隠れた秘め事でもあるのでありまして、ねぶた祭りでも、今は「ラッセー、ラッセー、ラッセーラ。」と言いながら跳ぶのでありますが、昔は「イッペコ・ラッセー」と言ったという説を聞きました。
イッペコとは、津軽弁でエッチのことらしいのでありますが、つまりは、女性の大事な部分を出せという意味だというのです。
青森で確認しようと思ったのですが、そんな記載はラ・ワッセにはなかったのであります。
この説は本当なのかどうなのか、、、どうなんでありましょうか。
でも、ロウソクを出せとかいう解釈より、当たっているようには思うのでありますが。
さて、ラ・ワッセを逃げるように出来てきたら、あと1カ所ぐらい観光してみたいと思う。
そこで棟方志功記念館に行くことにした。

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棟方志功さんと言ったら、版画で有名な人だ。
本人は板画といったそうですが。
青森と言えば棟方さんと言うイメージがあったのですが、観光案内所にちょうど今やっている展示の案内があって、そこに「無事」とあったのです。
凡は無事という言葉が好きです。
これは普通に使う何事もなく平穏であるという意味もあるのですが、知れば知るほど奥の深い言葉でもあります。
普通に使われている無事という意味だって、これは伸びやかで素晴らしい意味だと思います。
でも、これを仏教的な因縁果報の法則でもって考えるなら、凡は無事ではいられないだろうと思うのです。
普段と変わりない平穏な自分であるためには、つまりは無事であるためには、その無事であるための因と縁をもってなきゃいけないのであります。
毎日毎日、苦しんで、楽をすることばかり考えている凡には、そんな因も縁もありません。
なので、そんな凡は無事以下でしか生きていけないのでありまして。
なんとか無事であれるように善をおこなわなければダメということになるのではあります。
でも、それは因縁果報を前提としてですけれどね。
凡は、そこはまだ、本当はどうなんだと思っているのではあります。
そして、禅に登場するような「求心やむ処即ち無事」というような、ちょっとカッコイイ意味もあります。
でも、普通に使われている意味も、カッコイイ意味も、突き詰めて行けば「あるがまま」というところに行きつくような気がします。
そしてそれは「無茶」や「無為」「実相」にも通じるような感じ。
とはいうものの、そんな無事は凡には似合わない。
何もしない、何もない、そんな意味が凡には似合う。
何もない凡。
前向きな意味ではなく、仕方がないという、そんな「好きにしてください」という諦めた意味。
そんな無事という言葉に惹かれて棟方志功記念館に行くことにしたのであります。
地図で見ると歩いても近いだろうと歩き出したら、これが結構な距離があった。
やっていた展示は「日々是好日・茶をたのしむ」というテーマだった。
棟方さんの語った「遊びということが出来たら、茶はそこまで行かないと駄目じゃないですか。こころを偈い、体を養い、自らたのしくって仕方がないことが、茶だと思います。」ということを取り上げて、形式に凝り固まった現代の茶道を否定して、無心で茶を楽しむということがテーマのようです。
つまりは、無心で楽しむということが、無事だということだと凡は思ったのであります。
展示内容は、ちょうどいいぐらいのスペースに、ちょうどいいぐらいの作品が展示されている。
そして、凡が何より訪れて良かったと思ったのは、ビデオコーナーだ。
椅子が数席置かれているスペースにテレビが設置されていて、棟方志功さんのビデオが流れる。
鼻歌を歌いながら板を彫っている映像を見ると、その息遣いや、彫っているスピード感などが直に伝わってきて、ビデオのある時代にいて良かったと思った。
このビデオだけでも凡には値打ちがある。
それと、訪れる前は、ちょっと変わった人だと思っていた棟方志功さんが、実は共感する部分が本当に沢山あったということを知ることができたのが、今回の青森旅行の大きなオマケだった。
もっと知りたいと思う。
さて、往路は結構歩いたので、同じ道を歩いて帰るのはちょっとツライので、バスを探していたらタクシーが来たので乗った。
行きもタクシーにすれば良かったと思った。
さて、もうあまり時間は残されていないのだけれど、お昼をまだ食べてなかったので、空港に行くまでに何か食べたい。
青森名物のラーメン「味噌カレー牛乳ラーメン」を食べることにして、観光案内所で聞いたら、「味の札幌・大西」さんを教えて貰った。
お店に入ってカウンターに座る。
そしてお目当てのラーメン。

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味噌、カレー、牛乳と3つもブレンドしているのですが、どれも1つだけ味が利いているというのではないので、食べやすい味という表現になる。
それよりもボリュームがあるので、お腹いっぱいになった。
さて、時間に余裕を持って16時のバスで空港に向う。
そして、17時50分発の飛行機で伊丹に19時40分について自宅へ帰ったのであります。

回の旅で良かったことは、奥入瀬渓流ホテルの岡本太郎さんの暖炉を見たことと、ホテルの美味しい水。
そして、棟方志功さんを知ることが出来たことだろう。
それにしても、すべてが良かった青森と奥入瀬でありました。

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(帰路の飛行機で、何故か越後ビールを頂く。)
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◆「悩み多きブッダたち」

 なんだこれはという小説ですが、
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コメント

  1. ゆけむり より:

    イッペコ・ラッセーはビックリですね
    でもちょっと笑っちゃいますね(笑)
    噂の味噌カレー牛乳ラーメンですね
    美味しいと言う表現ではなく、食べやすいと言う所に本質を見た気がします・・・

  2. 凡蔵。 より:

    ありがとう、ゆけむりさん。
    名物はやっぱり食べなきゃと思うのですが、その名物を無視して地元の人気店に行くというのもやってみたい。
    迷った挙句に名物のラーメンを食べに行きました。
    バランスの良い美味しいラーメンでしたよ。
    でも、どうしても毎日でも通いたいという感じではなかったかな。
    そんでもって、このお店の普通のラーメンを奥さんは注文したのですが、
    それは普通に美味しかったです。

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