平 凡蔵。の 創作劇場

恋愛ストーリーや、コメディタッチのストーリー、色んなストーリーがあります。
どれも、すぐに読めちゃう短編なので、読んで頂けたら、うれしいです。

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散散歩歩。(524)アイ・ハブ・ア・ドリーム。

通勤途中の地下鉄の扉の前に立っていると横に立っていた30才ぐらいのお兄さんが本を一所懸命に読んでいた。
見たことのある本だなと思っていると岡本太郎さんの「強く生きる言葉」だった。
その姿は、自分の夢に向かって進んでるんだけれど、なかなかうまくいかずに、こころが折れそうになる自分自身を鼓舞しているようにもみえた。
その本を見るとかなり読み込んでいるようで、岡本太郎さんの言葉はやっぱり若い人にも響くんだなと改めて思った。
と、そんなことを思って扉のガラスの上に貼られた広告が目に入る。
転職支援の会社の宣伝だ。
そこに、「友よ。今こそ、夢を見よう!」
と書かれていた。
転職関係の会社だから、何となく納得だ。
現状を変えて新しい目標に向かって進んで行こうということだろう。
そして、コピーの下に英語が書かれていて、
I have a dream today!
とある。

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ここでもまた、へえ、そうなんだぐらいにコピーをみていたのでありますが、ふとその下を見ると、マーティン・ルーサー・キングとあるでないですか。
その瞬間、この日本語の「友よ。今こそ、夢を見よう!」に非常なる違和感を感じたのです。
ここでおことわりをしておきますが、凡は英語はからっきしでありまして、英語の訳に関してどうのこうの語れる知識はありません。
中学時代から何冊も、英語が喋れるようになるという本を買ってきたのではありますが、どれもこれも中途挫折をして何も残ってはおりません。
この原因はすべて日本のローマ字教育にあると思うのでありますが、それは以前に書いたので、時間のある方はそちらも是非読んでみて下さいね。

そんでもって、凡はキング牧師についても、その本を読んだこともないですし、知識もないのであります。
ただ、リンカーンの像の前でやった演説は有名なので、それは聞いたことがあるのです。
とはいうものの、英語の演説なので意味は解りません。
でも、聞いていると意味はわからないのですけれど、涙が出てくるんですね。
素晴らしい演説は、意味が解らなくても人を感動させる事が出来るものなのであるようです。
そして、最初にかいた英語の
I have a dream today!
は、この演説の時に喋った言葉の一部なのです。
それを考えると、転職会社のコピーの言葉が腹立たしく思えるのである。
特に気に入らないのが、「夢を見よう」の部分だ。
キング牧師は、リンカーン以降まったく変わらない黒人の現状を訴えて、非暴力の方法でみんなで団結して自由と平等を勝取ろうと、みんなに語りかけている。
そこで出たドリームである。
普通は、これを訳す時に「私には夢がある。」とすることが多い。
それは必ず実現しようとする強い意志を含んだドリームである。
そこには今までの悲痛な現状に対する心情が込めれていて、それをみんなが解った中で、それでも必ず実現するドリームなんだ。
黒人の子供と白人の子供が同じテーブルにつく日が必ずくるというドリームであり、
肌の色で差別されるのではなく、キャラクターで認められるようになる日がくるというドリームだ。
そんな強い気持ちのこもった「アイ、ハブ、ア、ドリーム」という英語は、やっぱり「私には夢がある。」とストレートに訳すしかないのだと思う。
それに対して、「夢を見よう」なんて訳はどうにも安っぽくないかいと思うのだ。
夢をもとうという場合の夢には、どうせ夢だからとか、叶わない夢というような、そんなペラペラっとしたものが含まれてるように、知らない人にはとらえられる可能性が高い。
一体に於いて、夢を持つなんてことは非常に容易いことなのである。
凡だって夢をもつぐらいは簡単に出来る。
みゆきさんとデートするんだっていう夢とかね。
大金持ちになるぞっていう夢だとかさ。
どうですか、凡も立派に夢を持ちましたよ。
エッヘン、、、と。
凡は思うのであります。
「夢」なんて言葉はいらない。
なまじっか夢なんて言葉があるから人は夢をみようとするのである。
中途半端な夢というものを持って、それでもって夢が叶えられない現実に苦しみ悩む。
自分で自分の悩みを作ってどうするの。
だから夢なんて言葉は要らないし、使っちゃいけない。
ただ、こうなりたいとか、ただ、こんなことをやりたいとか、ただ、あれが欲しいとか、その欲望だけでいい。
その欲望に向けて進めばいいだけだ。
凡のように、欲望に向けても踏み出せない人間もいる。
でも、それはそれでいいんだ。
そういう風にしか生きられないなら、そういう風に生きればいい。
仕方がない。
人生って、そんなものだ。
だから、凡も含めてだけれど、今日からは夢なんて言葉を使うのは止めて、欲望と言い換えよう。
凡の夢は、、、というのじゃなくて、凡の、、、欲望はこうなんだと。
ここで、始めの「夢を見よう」に戻るんだけれど、あのキング牧師の言葉を、わざわざに、或いは意図的に「夢を見よう」と、通例で使われている「私には夢がある。」という訳を変えてまで、そう訳したのは、凡には理解が困難なのであります。
このコピーの訳者が、読まないだろうけれど、もし凡のブログを見ることがあったなら、その理由を教えて欲しいものである。
更に、「友よ」という部分や、「今こそ」という部分も、ひっかかる。
そのひっかかりについては、今日は止めておこう。
英語も解らない、そしてキング牧師のことも知らない凡が偉そうなことを書いているのでありますが、凡がスピーチを聞いて受け止めた印象は、地下鉄の電車の車内広告のようなコピーではないと、凡は感じるのであります。
それよりも何よりも、英語が喋れるようになりたいものではあります。
そんでもって、最後に凡は凡の夢を語ろう。
「凡は、みゆきさんとデートするという夢を持っている。」
ではなかったですね。
「凡は、みゆきさんとデートするという欲望を持っているのであります。」
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平 凡蔵。の本。


◆「悩み多きブッダたち」

 なんだこれはという小説ですが、

◆「アルカディアのレフュジー」

 中島みゆきさんの「一会」を見に行く前に
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