平 凡蔵。の 創作劇場

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散散歩歩。(435)アイラブユー・ほたえてくれ!みゆきさーん。(130)谷川さんの「しんでくれた」

好きな女性が好きなものは、無条件で認めたい。
好きな歌。
好きな食べ物。
好きな言葉。
そして、尊敬する人。
ただし、カッコイイ男性を除いてはね。
凡の場合、中島みゆきさんが大好きだ。
なので、みゆきさんの好きなものは、無条件で認める。
勿論、ここでも男性以外はという言葉をつけておかなきゃね。
それで、みゆきさんが敬愛する詩人に谷川俊太郎さんという方がいらっしゃる。
みゆきさんの卒論は谷川俊太郎さんについて書かれたという。
だから、凡もまた、無条件で谷川俊太郎さんを尊敬していた。
とはいうものの、書かれた詩をまったく読んだことはないのだけれどね。
でも、無条件で認めていた。
それが先日のことだ。
ふとネットのアマゾンで本を探していたら、谷川俊太郎さんの書かれた絵本を発見したのです。
「しんでくれた」という題名の絵本です。
凡は、その詩を読んだ時に、吐きそうになるぐらい気持ちが悪くなった。
何故かというと、「しんでくれた」という考え方にである。
これは非常に危険な発想だと思う。
その絵本に関してのコメントなどでは、大体において「いのちをいただく」ことに感謝することの大切さを褒めている人がほとんどだ。
ある人は、小学校で読み聞かせをするなんて人もいた。
冗談じゃない。
こんな考え方を子供に教えるべきではないと強く思う。
この詩は、「うし しんでくれた ぼくのために そいではんばーぐになった ありがとう うし」という文章で始まる。
凡は谷川さんに言いたい。
牛は「しんでくれた」のではなく、「殺した」のだと。
それも、自分で殺したのじゃない。
誰か知らない人に、間接的にお金を渡して、殺して貰って、誰か知らない人に、間接的にお金を渡して、その死体を切り刻んでもらって、そしてお金を払って綺麗な肉を食べている。
汚いやり方だ。
いっそ自分で殺して食べる方が潔い。
この考え方に似た絵本があって、「いのちをいただく みいちゃんがお肉になる日」というのがある。
これもまた、多くの方が「いのちをいただく」ということに関して、感謝して食べることの大切さを説いている。
「いのちをいただく」って、何という不遜な考え方か。
ただ、この本の方が、まだ谷川さんの絵本より現実味のある話で、牛を食べるという事を考えるには、いい機会になる本ではあると思う。
子供のこころの純粋さが、表現されている。
それに加えて、お父さんの仕事をやめたいと思う気持ち。
少女の優しさ。
牛を売らなければ年を越せない生活の現状。
そんな実際の話は、説得力もあり、力強い。
この本は、「いのちをいただく」という部分にスポットを当てるのではなく、
人間は、それぞれが、そうすることでしか生きていけない性を受け入れて生きているものだということを、考えてみる機会にする題名にした方が良いのではないだろうかと思う。
そうすれば、すごくいい本になると思うのであります。
なので、話は谷川さんの詩に戻します。
牛は死んでくれたのではなく、殺したんだという事。
牛だって、殺されたくはなかったに違いない。
牛に感情があるのかどうかしらないけれど、牛の親だって、自分の子供を殺されたくはない筈だ。
でも、無理やり殺された。
この牛を殺すという行為は、その人の価値観によっていろんな解釈ができるだろうけれど、凡は罪というくくりに入る行為だと思う。
つまりは、間接的にだけれど牛を殺してる訳だから、これは凡もだけど毎日罪を犯していることになる。
それを1日3回、食事をする時に、「牛さん、ありがとう。頂きます。」と綺麗なテーブルの前で、わずか数秒言っただけで、その罪が帳消しになるものだろうかと思うのであります。
牛1頭を殺す罪と、数秒の感謝と、それがつろくするとは到底思わないのです。
あまりにもバランスが悪すぎる。
感謝して食べましょうなんて言っている人も、感謝して食べているから、牛を食べてもいいんだというような免罪符的な発想を他人に押し付けるべきじゃない。
感謝するなら、牛を殺してくれた人に感謝したい。
それなら、納得ができる。
誰もがやりたくない仕事だから。
こんなことを書くと、人間は他の命を食べなきゃ生きていけないじゃないかと言う人がいるかもしれない。
でも、それは正解じゃない。
世の中に、ベジタリアンという人たちがいるのは誰でも知っていると思う。
植物しか食べない人たちだ。
彼らは、ベジタリアンだから、20年しか生きられないとか、病気になって苦しんでいるとか、そういうことは聞いたことが無い。
つまりは、人間は、この肉体を生物的に機能させていくのに、牛や豚を食べる必要はないのである。
ということは、人間は、牛を殺さなくても、豚を殺さなくても、生きて行けるのだ。
だから、他の生物の命を頂かなくては生きていけないという考え方は、間違っている。
それじゃ、何故に人間は牛を食べるのか。
その理由は何かというと、「美味しいから」なのである。
人間は、牛を美味しいから、わざわざ殺して食べているのである。
ものすごい欲である。
ものすごいエゴである。
とはいうものの、凡はそれを悪いとは思わない。
だって、人間とは、そういう欲でもってなりたっている存在だから。
じゃ、どうやって牛を食べたらいいのか。
それは、欲を丸出しにして食べるべきなのです。
まずは、お皿の上のステーキに向かって、「ザマーミロ、今から食ってやるからな。」と捨て台詞を吐く。
そして、思いっきり美味しい肉を、お腹いっぱい食べて、「ああ、美味かった。」というのが正解だ。
牛だって、食べるときに感謝してほしいなんて、これっぽっちも思ってはいない。
無理やり殺しておいて、「ありがとう」は、ないだろう。
そんなことを言うぐらいなら、「殺さないでくれ。」と思うだろう。
むしろ、「お前が負けたから、お前を食うんだぞ。」って言われた方が、牛にしたってよっぽど納得がいく。負けたんだからね。
牛の尊厳なんてことを言う人もいるかもしれないけれど、尊厳をいうなら殺すべきでない。
そんなことを、谷川俊太郎さんの絵本を見て感じた。
それから、続きがあるんだけれど。
その詩に続いて、「ぼくはしんでやれない だれもぼくをたべないから」という言葉が、少し間を置いて続く。
「だれもぼくをたべないから」という発想も、これは少しばかり気持ちが悪い。
人間は、他の生き物を食べる側にいると、普通に思っているけれども、荒野でトラやライオンに出会ったなら、絶対に人間が食べられちゃうよね。
これがそんな獰猛な動物に限らない。
アリだって、ネズミだって、大量に向かってこられたら、人間なんて堪ったものじゃない。
すぐに寄ってたかって食べられるだろう。
そして、アリもネズミもいうだろうね、「ザマーミロ。負けたから食べられるんだよ。」ってね。
凡は、中島みゆきさんが好きだ。
だから、みゆきさんが敬愛する谷川俊太郎さんも好きである。
でも、みゆきさんには、この「しんでくれた」だけは、嫌いな詩であってほしいと切に願う。
そんでもって、みゆきさんと2人で焼肉屋に行って、お互いに食べさせ合いっこをしたいものであります。
「はい、凡ちゃん。あーん。」
「はい、みゆきさん。あーん。」
「美味しいね。あーん。」
「うん、美味しいね。あーん。」
「あーん。」
「あーん。」
「あーん。」
「あーん。」
「あーん。」
「あーん。」
「あーん。」
「あーん。」
、、、、、、、。
凡の妄想は、何時間も続くのでありました。
PS.
みゆきさんの好きな人の作品を批判して、みゆきさん、「ごめんなさい」。
そして、谷川さんの詩の解釈が間違っていたなら、谷川さん、「ごめんなさい」。

コメント

  1. 北のトド より:

    谷川俊太郎の詩に「本当のことを言おうか」という一節がある。大江健三郎はこの言葉に触発されて「万延元年のフットボール」を書いた。確かに「本当のことを言おうか」と面と向かって言われる場面を想像すると連合いから発せられるのは勿論、他の付き合いがあった誰からであっても一瞬凍りつく自分が目に浮かぶ。そのあとに続く言葉はひょっとしてそれまで生きてきた自分の全否定に繋がるかもしれない。みゆきさんの「永遠の嘘をついてくれ」は「本当のことをいおうか」と語りかける相手を制して発した返詩ではないかと初めて聴いたときから思ってきた。「その先は言うな」と。自分には言えるほどの「本当のこと」を持っているか時々自問してきた。                    卒論に谷川俊太郎を選択したほどである。みゆきさんは当然「本当のことを言おうか」という谷川俊太郎の詩の一節を知っていた。年月を経て返した答えが君よ「永遠の嘘をついてくれ/いつまでもたねあかしをしないでくれ」だった。 
     確かに「本当のこと」は口に出した途端、その価値を失うのが常でしょう。みゆきさんは谷川俊太郎の問いかけに見事に「風のようにあざやかに」切り返して応えましたね。

  2. 凡蔵。 より:

    ありがとう、北のトドさん。
    北のトドさんのお蔭で、谷川俊太郎さんの「鳥羽」という一連の詩を知ることができました。
    これも何かの縁でしょうか。
    何か北のトドさんに、雑誌の付録を貰ったような気持ちで、嬉しいです。
    僕は、詩というものがよく解らないんです。
    特に谷川俊太郎さんの詩は、難解というのだろうか、読んでも意味が理解できないんです。
    他の人の詩も解らないものが多いです。
    詩と言うものは、たぶん谷川さん自身でも言葉として表せない深い部分のこころの動きを、あえて言葉にする挑戦なのだと思うのですが。
    ただ、それで人が理解できないものになったら、その詩には意味があるのかなって、天邪鬼な私は思ってしまう。
    谷川俊太郎さんの詩は、感覚的で直感的で、私には理解できない人の1人です。
    鳥羽にしてみても、読んですんなり納得のいく人は、どのくらいなのかと思うし、理解できない自分は、よっぽどのバカなんだろうかと自信がなくなるんです。
    そんなコンプレックスを抱かされてしまう。
    「本当のことを言おうか」というフレーズは、すごく印象に残るものですね。
    そして、私はまたも立ち止まってしまう。
    本当のことを言おうとしている人は、何をもって本当のことと言っているのだろうかと考えてしまう。
    自分のことだろうか、相手のことだろうか。
    その前に、本当のことを解っているということが、すごい。
    私などは、いつも、こころも考え方も、ふらふらと揺れ動いていて、何が本当なのか、どうなのか、考えても解らない。
    解らないことが本当だ。
    (続く)

  3. 凡蔵。 より:

    (続き)
    谷川さんの、詩人ではないと続くフレーズは、ちょっと置いといて。
    それに、この本当のことを言おうかというフレーズには、上から目線と言うか、何か威圧感があって、怖い。
    そんなことを言われたら、臆病な私なら逃げ出してしまうかもしれない。
    ただ、私はそんなフレーズを言われたら、子供の用に好奇心丸出しで、「何?何?本当のことって何?」って聞けるような人間になれたらなあと思う。
    おそれを知らない無邪気さが私には必要な気がします。
    などなど、書いてはみましたが、北のトドさんのコメントのお返事になっていないかもしれませんし、しどろもどろの文章ですが、またしても考える良い機会を貰ったような気がします。
    あ、それから、みゆきさんの「永遠の嘘をついてくれ」は、私は吉田拓郎さんへのラブソングというか、応援歌みたいなものだと思っていたので、大好きな曲なのですが、聞く度に少しばかり焼きもちをやいておりました。
    拓郎節全開のノリだし。
    北のトドさんの解釈もあるんですね。
    それから、それから、谷川俊太郎さんの事を批判しているような文章に見えるかもしれませんが、けっしてそんなことはありません。
    ただ、谷川俊太郎さんを知らないだけです。
    それに、谷川俊太郎さんは、大好きなのです。
    みゆきさんが尊敬している人だから。
    それは、無条件に。

  4. 北のトド より:

    若きみゆきさんが谷川の詩のどこに魅かれたのでしょうか。卒論は大学にも残ってなく指導教官の記憶では難解すぎてよくわからなかったとか。 
     みゆきさんは作品としての「詩」には魅力を感じたとしても谷川俊太郎本人に対しては尊敬もせず、好きでもないような気がします。私の詩人のイメージは中原中也や石川啄木のように貧乏、病人、薄命といった成功者とは対極にあるのですが、谷川俊太郎はよくマスメディアにも登場し、絵本やCMソングなどマルチな才能で稼ぎもよく、顔は真っ黒に日焼けし小柄だけど頑健な体型とおよそ伝統的な詩人のイメージと隔たっています。詩そのものも私生活も みゆきさんのほうがよっぽどストイックで詩人らしい。 
     活字型人間の習癖から みゆきさん関連本、記事、解説など大好きです。評価は分かれそうですが私が最も心打たれたのが高本茂「中島みゆきの世界」。現代詩にも詳しい方のようで、みゆきさんと谷川俊太郎の詩の比較など勉強させてもらいました。書いてある詩から逆に みゆきさんの曲に出会うことができたことも多いです。 
     要するに自分の耳、感性に自信がないので他人の解説、評価に頼ってしまう。ですから、凡さんのように全く新しい独自の観点からみゆきさんの魅力を見つけ出す才能には心底尊敬申し上げます。

  5. うかれぶた より:

    ごきげんよう♪
    凡さま、北のトドさま♪
    おふたりの 愛読書の幅には到底ついていけない私ですが、今度 探索してみようと思います(^o^)/
    飽き性で、読みかけだらけの本の中、、
    なんとなく筒井康隆さんと、
    福田 健さんの 二冊を机に出し、読み進めると、、
    「あるTV出演で筒井康隆さんとご一緒させて頂き…」とあり、、
    また、「糸井重里さんが一番聴き上手であると 私は…」 と、
    そういえば、みゆきさんと対談していたなぁ~♪
    とか、なんにつけ~♪
    みゆきさんに繋げてる私。更に、そこに出てきた 筒井康隆さんを読もうと、無意識の内に置いてる私。
    筒井さんのフィクションの
    テレパス保持者は、私ではないかとさえ錯覚する
    (^-^ゞ
    超能力者にもさまざま、、人の心を読む「精神感応能力者」「透視能力者」「時間旅行者」…
    時々、なってみたいのは、テレパスと、タイムトラベラーだけど、本当になれるのかは 定かではない(^3^)/

  6. 凡蔵。 より:

    ありがとう、北のトドさん。
    北のトドさんの、みゆきさんは谷川俊太郎さん本人に対しては尊敬もせず、好きでもない気がしますという解釈は、すごいですね。
    でも、その意見受け入れさせていただきます。
    谷川俊太郎さんも男性ですものね。
    私のヤキモチの対象なのであります。
    ただ、北のトドさんの詩人に対するイメージが、かなり偏ってますね。
    それはそれで、面白くて笑ってしまいました。
    そう言われれば、私の好きな山之口貘さんも、そういえば超貧乏。
    案外、北のトドさんの解釈も当たっているのかもしれません。
    谷川俊太郎さんのことを、みゆきさんは谷川先生と呼んでるようですので、一応は尊敬されているとは思いますが、「中島みゆき読本」に谷川さんとみゆきさんの対談が掲載されていて、それを見ると、少しばかり話が噛みあっていないような。
    なので、波長は違うのじゃないのかなと思います。
    北のトドさんは、すごいですね。
    色んな本からみゆきさんの情報を得てらっしゃるようで、その知識はすごいあなと感心しています。
    私は、他の人の書いた、所謂、中島みゆきさん論というものは、あまり読まないんです。
    何故かというと、それを描いた人はみゆきさんを、少なからず好きな人だと思うので。
    つまりは、みゆきさんに宛てた他人のラブレターを読むようで、なにか居所が亡くなる感じなんです。
    でも、何を書いているんだろうってことは、思うんですけれどね。
    それに、私は恐ろしく遅読なので、その本を買っても、他に読んでない本があるので、なかなかそこにまで到達しないかもしれません。
    なので、北のトドさんの情報が意外と私には役に立っているんですよ。

  7. 凡蔵。 より:

    ありがとう、うかれぶたさん。
    私もそうなんですよ。
    うかれぶたさんと同じで、飽き性で、読みかけの本が積み上げられています。
    それに恐ろしく遅読なので、なかなか読み進めません。
    なので、速読の本を買って挑戦したりしたんだけれど、やっぱり私には無理。
    私も、超能力を身に付けたいですよ。
    なので雑誌「ムー」を定期購読している私。
    ヒットラーがペンタゴンの地下でまだ生きている、とかいう記事をフムフムなんて読んでいる。
    自分でも笑ってしまう。
    それにね。
    超能力者になってしたいことっていえば、宝くじを当てて、お金持ちになるとか。
    すごく貧乏人的な発想しかでてこない。
    でも、やっぱりタイムトラベラーには憧れるなあ。
    若い時のみゆきさんにも会えるしね。
    それか、相手のこころを自由自在に操れる超能力とか。
    それはもう、若い女の子にモテモテで、こんな幸せないですよね。
    というか、お金と女の子っていう発想が、悲しいです。

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