フォレストホールに着くと、入り口に向かう広い階段に、既に人が並んでいた。
ここは別にすることもないので、凡も列の後ろに立つ。
思えば、東京、福岡と行って、今また名古屋に来ているのであります。
それを機嫌よく行かせてくれるミニボンに、ありがとうと言った。
とはいうものの、名古屋からじゃ聞こえてはいないけれどね。
入場が始まって中に入ると、館内を少し見て回ろう。
ひょっとして来年もコンサートがあるとしたら、名古屋はここでする確率高いものね。
まずは階段を上って4階まで行った。
フォレストホールは、なんと4階まである。
ただ、2階は5列、3階は4列、4階も4列なので、ある意味他のホールの2階、3階よりは見やすいのかもしれない。
そして、4階である。
立った瞬間、怖いと思った。
高所恐怖症の人は、果たして耐えられるのだろうか。
凡には無理だ。
しかも、4階の最前列なんか当選でもしたならば、どういたしましょう。
多分、最前列の席に座ることも、その場所まで階段を下りていくことも、できないだろうな。
足がプルプル。
腰がカクカク。
お手手がパタパタ。
操り人形じゃないんだからさ。
そんな屁っ放り腰の凡を想像したら、自分のことながら吹き出しそうになった。
さて、3階、2階と見て回って、いよいよ凡の1階である。
1階のフロアーは、前の方に1本と、中間に1本の横の非常口に繋がる通路がある。
凡の席は、その真ん中の通路のすぐ前の19列の席だった。
つまりは、凡の後ろはすぐに通路なので、福岡公演みたいに後ろに背の低い人がきて身の置き所のない気持ちになることはないのである。
これは、いいですね、ゆっくりと見ることが出来る。
足の前の空間も、今までに比べると少し広めだ。
席に座って待っていると、凡の右隣に20才ぐらいの男の子とその母親と思われる人が座った。
親子でみゆきさんのコンサートか。
何となく仲の良さそうな親子である。
どっちがファンなんだろうか。
年齢的には母親だろと推測はできるのであるけれど、男の子の方が緊張しているようである。
席に座っている間に、何度も小さな咳をしていた。
それは喉が悪いから、風邪を引いているからという咳ではない。
緊張のあまり喉が渇いて、喉に違和感を感じてする咳だ。
ということは、若い男の子がファンなのだろうか。
ということは、ファンの男の子がチケットが2枚当選したからと、母親を誘って見に来たという事になる訳でありまして、母親と仲がいいととるのか、彼女がいないととるのか、どうなのだろう。
無くはない可能性として、母親と書いた人は、本当はかなり年の離れた彼女だったりということもあるのかもしれない。
みゆきさんのファンという事で、年上の女が好みということも理屈ではなりたつ話ではある。
それで、本当は彼女は末子っていう名前なんだけれど、無理やり彼がみゆきさんって名前を付けて、普段はみゆきさんと呼んでたりしてさ。
それでもって、彼女も折角出来た若いボーイフレンドだから手放したくない訳。
それだからみゆきさんって名前で呼ばれても、それに甘んじて付き合ったりしたりしてるのかもしれない。
だって、いつまでも若い男の子が、何十才も年の離れた自分と付き合える訳じゃない。
悲しい女心。
そして、罪作りな無邪気な青年。
辛い名古屋の恋の物語。
まったく関係ない隣の人の詮索もね、コンサートの前の時間は手持ち無沙汰さだものね、いろいろ想像するわけよ。
そろそろ始まるかなという時間になると、男の子は膝に置いたバッグから目薬をだして差した。
すると、凡の斜め前のサラリーマンも目薬を差した。
そして、凡は1人黙って肯く。
そういうことなんだよね。
男の子もサラリーマンも、そうなんだ。
凡もそうだ。
見たいのであります。
凡は、みゆきさんを見たいのであります。
勿論、歌も聴きたいよ。
だって、コンサートはその為に開かれている。
でも、突き詰めると見たいのです。
そして、会いたいのです。
だから、良く見えるように目薬が必要なんです。
凡はみゆきさんの、どこが好きかというと、見た目かもしれない。
顔やスタイル、そして動き。
その表情や、声、そして何と言っても絶品の笑顔。
そして、そして、白目と頭蓋骨も忘れちゃだめだ。
そういうところが好きだ。
勿論、歌も好きです。
でも、凡には歌を語るほどのセンスはない。
今の凡のアイフォンには、すべてのアルバムの曲を入れてある。
そして、通勤時間に聞いているのです。
でも、それを聞きだした理由は、みゆきさんの声をずっと聴いていたかったからなんです。
みゆきさんの声を聴く1番簡単な方法が、歌を聴くことだったんです。
でも、毎日聴いていると、歌もいいなあって思うようになって、みゆきさんの歌も大好きな凡が出来上がりつつあるのでありますが。
さて、コンサートが始まると、やっぱり1階はいいなあという思いと喜びを感じた。
そして、もっともっと近くでみたいという欲望が湧いてくるのであります。
もっと、もっと。
もっと、もっと、もっと。
もっと、もっと、もっと、もっと近くで。
みゆきさんのことになると、凡の煩悩がどんどん膨らんでいって、全身煩悩になってします。
どうやら、みゆきさんがこの世にいる限り、凡は極楽へはいけなさそうであります。
コンサートの始めと終わりに、少しこの夜会工場についてのトークがあるのですが、今回は東京、福岡にないフレーズがあった。
「反省点として、トイレ休憩は必要だった。」
ここで会場に笑いがおきる。
続けて参加すると、こんな違いも分かるんですよね。
さて、最高のコンサートも終わって、どこに行くと言う予定もないので、出待ちすることにした。
会場の建物をぐるっと裏手に回ると、通用口らしきところに人だかりが出来ている。
その数なんと100人ぐらいだろうか。
今までは10人足らずだったのに、びっくりして凡も道路沿いに立った。
通りすがりの人が、これは誰を待っているのか係員に聞いているが、それは教えられないと断っている。
通用口に停まっているバンに乗るんですかと係員に聞くと、そうだと答えてくれた。
誰出てくるか分っている人には教えて呉れるようだ。
みゆきさんの出待ちをしてみて分ったことは、出てくる時間の事だ。
メイクを落として出てくる場合は、10時を回る。
9時にコンサートが終わって、それぐらいの時間は掛かるのだろう。
東京の場合がそうだ。
そして、その時にみゆきさんの素顔を見た。
そして、福岡はマスクをしたまま窓は開かれなかった。
これは多分化粧のままなのだろうと推測。
そして、名古屋はと言うと9時30分ぐらい。
バンに乗り込む瞬間、大きなマスクをしたみゆきさんを見た。
そして、バンがゆっくりと動き出す時と、道路に出て走り出す時に、スモークの掛かったバンの窓のガラス越しに、みゆきさんの白いマスクがぼんやりと見ることができた。
名古屋もメイクのままだったからだろうか、窓は下されたままだった。
終わった。
金山駅の方にあるいていくと駅の横に「明日なる」というレストランなどが集まっている建物があった。
明日なるか、、、。
どうなるというんだろうね、この凡は。
みゆきさんの影を求めて彷徨っているだけ。
実体を追う事を忘れて、影を追ってしまっている凡。
それだけ、みゆきさんは遠いんだよね。
金山駅の周辺は、楽しそうではありましたが、ホテルの近くまで帰って、晩御飯でも食べることにした。
コメント
親子ほどの年代を飛び越して、万民に浸透する♪
アーティストは、日本で 唯一 みゆきさま だけ
と、誰もが認める実績でありますょね!
反面、マイナーであったなら もっとお近づき コンサートに なったであろう などと 思うですが。
聖地を みゆきさまが決めるとすれば…
まだ、故郷をさがしもとめてる 途中なので 決められないのじゃないかと…
一生、故郷を追い求める 旅人だわ♪私は
もし、あたしが みゆきさまだったら こう言ってるな。
でも、あたしは…
あたしをわかる誰の心をも 聖地にするょ♪
なんてね、きっと
みゆきさん って、誰より奥ゆかしいから、、、
とんでもないそんな大それた聖地なんて、私には、、って言うに違いない。
大それた人だから、本当は そこらじゅうに造って、そこらじゅうに 現れて気軽に逢えたらいいのにね
ありがとう、うかれぶたさん。
そうなんですよね、みゆきさんは今も現役バリバリだから、いつも遠くにいるんですよね。
同じ年代の歌手でも、少し人気の落ちている歌手だったら、もっと小さなホールとかでやってたりするんですよね。
それに、もっとファンに近い存在のような。
でも、みゆきさんには、もっと走り続けてほしいものね。
とはいうものの、近くにもいたい。
聖地については、うかれぶたさんの意見に賛成。
みゆきさんが行った場所や、みゆきさんが好きな場所は、すべて聖地。
どこかの喫茶店でもみゆきさんが行ったら聖地だし。
みゆきさんが転んだ道路も聖地。
みゆきさんが笑った場所も聖地。
日本中、みゆきさんが行ったところは聖地でいいよね。
というか聖地になっちゃう。
でも、1番の聖地は、これから私とみゆきさんが出会う場所。
なんて、また妄想が始まりそうです。
ミニボンさんて寛大な方ですね。みゆき様追っかけで地方遠征したいなど言おうものなら我が家では そのまま帰ってこなくていいよ と返ってきそう。 私もときどき自分がなぜ 中島みゆきに魅かれるのか考えることがあります。多くの人が触れているように、彼女の言葉が 1対1の関係として直接心の奥深い所に届いてくると感じられるからでしょうか。他人には隠していた、自分でも忘れかけていた奥深い部分。みゆき様の詞は平易な言葉で暗喩を多様しますから、ありふれた言葉が思わぬ喚起力を持って輝き、自分自身でも説明できなかったモヤモヤが こういうことだったのかと胸にストンと落ちる時があります。
ありがとう、北のトドさん。
私も、こんなに地方へも足を延ばせるのは奥さんのお蔭だと、これはいつもそう思っています。
これが10年ぐらい前だったら、たぶん怒っていたのじゃないかと思います。
最近は、私も奥さんも、ある程度の年になって、もうこれから先の人生は、思うほど長くないんじゃないかっていう気持ちがでてきたからなんです。
一昨年だったかな、学生時代同級生が集まる会があったのですが、2人無くなっていました。
それはショックでした。
また、父親も定年までは苦労して私を育ててくれたのですが、そしてやっとこれから行きたかったところへ旅行もできるなという時になって、持病が重くなり入退院を繰り返して結局行くことができませんでした。
なんて、新春早々暗い話になりましたが、私も奥さんも、行けるときに行こうという考えに変わったのです。
なので、行きたいと言うと、今は行かせてくれています。
これは素直に感謝であります。
北のトドさんも、文章からみゆきさんに対する思いが伝わってくるようです。
今年も1年、お互いにみゆきさんに近づけるよう、頑張りましょう。