渋谷駅に再び戻ってくると、あることに気が付いた。
この渋谷には、岡本太郎さんの壁画があると駅の柱の地図に書かれている。
これは、是非とも見るべきだ。
というより、見たい。
どこにあるのだろうと、駅周辺を探し回る。
やっと見つけたのは、JR渋谷駅と井の頭線の2階の連絡通路だった。
何の知識や情報もなく、その壁画と対面した。
「明日の神話」
兎に角、デッカイ。
30メートルの長さがあるという。
連絡通路いっぱいに広がる、その壁画は、圧倒的な迫力をもって、そこに存在していたのである。
凡は、岡本太郎さんに傾倒しているのではありますが、その生き方、考え方を文章で読んで感銘を受けたのであって、岡本太郎さんの芸術作品については、素人そのものなのであります。
なので、壁画についても何も知らない。
でも、そのことが却って、明日への神話を見るのには、良かった。
前もって、その壁画についての情報を知っていたなら、その評価のままにその壁画をみていただろう。
でも、今、凡はその壁画に真っ白な状態で対面する。
真っ先に目に飛び込んだのは、真ん中の骸骨だ。
何やら、地獄の業火ともいえるような炎で燃えている。
苦しんでいるようにも見えるし、何かのエネルギーを発しているようにも見える。
そのまわりには、雲のようなものが描かれている。
その形は、どうも目のように凡には感じた。
岡本太郎さんは、目が好きですね。
でも、明日への神話に描かれた目は、その目のどれもが、何か歪んでいたり、ドロドロしたような色合いだ。
この壁画には、何やら重い苦しい感じが伝わってくる。
「あれ?」
でも、ある部分に目が止まった。
骸骨の左にある赤い目だ。
この赤い眼だけが、その目をイキイキと鮮やかな赤、白、黒で、それもハッキリと描かれている。
そして、何やら口から水のようなものが噴出していて、骸骨の炎を消そうとしているようにも見える。
赤い目の生き物は、この壁画の中で、唯一ポジティブな、いきいきとした、明るいイメージを与えてくれる。
これだ、これだったんだ。
この目だったんだ。
この絵全体に広がる重く苦しい世界を、この小さな目が、この1つの目が、救おうと勇猛果敢に働いているのである。
詰まりはね、岡本太郎さんが描きたかったのは、この絵の真ん中に、如何にもこの絵の象徴であるかのように描かれている骸骨ではなかったのだ。
これは、この作品のモチーフの1つにしか過ぎない。
岡本太郎さんが、この作品を書くときに、その核としたかったのは、この小さな赤と白と黒の目だったんです。
そして、この暗い苦しい世界、そこに生きている人々の重く悲しいこころを、救えるのは目だということを表しているのだ。
そして、この目には、どうしても白が必要だった。
この目に白目がなかったら、どうなっていただろう。
赤、、、情熱、欲望。
黒、、、暗黒、見えない。
凡には、そんな風にイメージされる。
これでは、世界や人々の苦しみは救えない気がする。
やっぱり白が必要なんだ。
白、、、純粋、美、ポジティブ、明るい、穢れていない、光。
そんな、イメージだ。
だから、この目にも白目が必要だったんだ。
というか、白目だけでもよかったのである。
やっぱり白目なんだ。
岡本太郎さんは、この白目を描く為に、この30メートルもある壁画を製作したのである。
そして、その白目が意味するところは、白目こそが、地獄のような苦しい状態に光を与えることが出来るのであるという事だ。
そこで、つながっていくのが、みゆきさんだ。
そして、このみゆきさんと岡本太郎さんが繋がっていくということについては、昨年11月に東京へ来たときに、岡本太郎記念館で、何かの縁でもって発見した。
これは、かなり真理をついていると思う。
(お暇な方は、読んでくださいね。)
凡は、偶然にもみゆきさんの白目の魅力に気が付いてしまった。
みゆきさんの白目は絶品だ。
中島みゆきさんほどの美しい白目を見たことが無い。
それは、綺麗という相対的な評価ではなく。
「美」という絶対的な要素を完璧に備えている。
詰まりは、みゆきさんの白目は、絶対的な美として、この世に存在しているのである。
だからこそ、みゆきさんの白目こそが、人びとの地獄のような苦しみに耐えているココロに光と希望を与えてくれるのである。
凡が、みゆきさんの白目に惹かれて、見ているだけで癒されていく。
その理由がここにあったんだ。
岡本太郎さんは、その真理を絵画と言う芸術を追及することで感じ取っていた。
ただ、岡本太郎さんは、みゆきさんを知らなかったがゆえに、赤い丸い生き物で白目を描いたが、もしみゆきさんを知っていたなら、ここにみゆきさんの絵を描いただろうことは間違いがない。
この壁画「明日の神話」の主張する部分が不完全だと思うのは、みゆきさんが描かれていないからである。
みゆきさんの白目。
大好きです。
旅行から帰って来て、この壁画について調べてみると、この絵は、第五福竜丸が被爆した際の水爆の炸裂の瞬間をテーマにしているそうです。
そして、ただ悲劇を描いているのではなく、悲惨な体験を乗り越え、再生する人々のたくましさを描いたとされているそうです
なるほど。
凡の感じた印象とは違うけれど。
でも、やっぱりこの説明を見る前に、壁画を見て良かったなと思った。
(みゆきさんの白目)
(この白目もいいなあ。)
コメント
みゆきさまの白目。。
わかる気がする~
写真に映ると…
鏡だったりすると、
尚更
可愛いのだ
永遠の美少女的 女神的 な。
桜の下の私も…
もしかして、
見られていた?
私は、ほぼ通行人としてましたから
そして、ピアノの音色が流れてた時は~
おじゃましちゃいけん。
営業しませんでしたし~
午後、また みゆきさまを 聴きつつ ミシン
永遠に 聴けるし、
仕事、絶好調
ありがとう、うかれぶたさん。
みゆきさんの家の前で、ピアノの音って、
それって、
それって、みゆきさんが弾いているんですよね。
これはもう、天国ではありませんか。
そんなん、
そんなん、羨ましすぎます。
1度でいいから聴いてみたいな。
それも完成されたものじゃなくて、
みゆきさんが気ままに弾いているというか、作曲してる途中だとか。
つくずく、あの近所の人がうらやましい。
桜の下の、うかれぶたさんも見られていますよ、きっと。
だから、今度行く時は、思いっきりお洒落しなくちゃ。
赤いドレスダラリーンとかね、それか白いシャツにジーンズにギターとか。
みゆきさんに分かるようにね。
散散歩歩。(334)アイラブユー・ほたえてくれ!みゆきさーん。(89)
完璧なるもの。
それは、みゆきさんの白目。
それを発見して以来、
凡は、それが真実であることを、いろんな場面で確認してきた。
それは、みゆきさんが完璧な美を備えているということを証明する旅でもあった。