平 凡蔵。の 創作劇場

恋愛ストーリーや、コメディタッチのストーリー、色んなストーリーがあります。
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散散歩歩。(157)合邦が辻と生き血は飲めない。

閻魔堂の入り口の合邦が辻の説明文を読んでいると、ある文字に目が留まった。

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「自分の生き血を飲ませると」
生き血なんて飲めるものだろうか。
母親が入院していたときに、ある日病室に入ると輸血をしていた。
それを見たとたん、足が震えた。
理屈ではなく、体の奥深くにある感覚が、それを拒否したのです。
あの赤い濃度のある液体を飲むなんてことは無理だ。
この合邦が辻の物語の生き血を飲ませるシーンは、主人公の俊徳丸が、父の後妻の玉手御前に毒酒を飲まされ病にされて、そしてストーリーの最後で、毒を飲ませたのは俊徳丸と自分の子供両方を救うためだったと告白をして、玉手御前の自分の肝の臓の生き血を飲ませると毒のためにかかった病が治るということを打ち明けて、自分で鳩尾をついて俊徳丸に生き血を飲ませ、そして自分は死んでいくという部分の事を言っているのです。
俊徳丸は、飲めたんですよね。
一応、作られた話なので事実ではないのですが、衝撃的なストーリーですよね。
生き血を飲むということを考えると、友人を思い出す。
彼は大学で講師をしているのですが、ある時期フランスの社会学者の「レヴィ=ストロース」に凝っていた。
大阪の安い居酒屋で飲むと、決まってレヴィ=ストロースの「悲しき熱帯」に話が流れ、人の肉を食べるという事について、医学的にではなく、倫理的にそれを否定する理屈は存在しないということを熱をもって語った。
彼によると、人の肉を食べるということの理由は、2つあるという。
1つは、戦いに勝った時に、その勝ったということを示すために食べるということ。
もう1つは、その人を尊敬するために、その人の魂を受け継ぐという意味で食べるという理由。
そういわれれば、そうなんです。
倫理的に人の肉を食べてはいけないという理屈は見つけにくい。
ここで、殺すということを付け加えてはいけません。
殺すことは倫理的にいけないという理由は簡単に誰でも言うことが出来る。
ここで言うのは、人の肉を食べるという純粋な行動についてであります。
そんなことは死者の尊厳を辱める行為だという人もいるでしょう。
でも、2番目の理由については、どうでしょう。
食べられる人も、自分が尊敬される人物であるから食べられると考えている。
そして、食べる人も相手を尊敬するから食べる。
そのコミュニティも、それが自然だと考えている。
そうなると、その人の肉を食べるということについて、死者の尊厳を辱めるという理屈はそこにはない。
そして、彼は発泡酒の中ジョッキを傾けながら続ける。
実は、人肉食(カニバリズム)は、現代の人間も知らない間に行っているというのです。
皆さんは、コップになみなみと注がれた血液を飲むことができますか?
これは、ほとんどの人が無理って答えるでしょうね。
それでは、コップの下にチューブを付けて血管に差すのはどうでしょう。
母親もやっていた輸血ですよね。
肝臓だって腎臓だって、食べることは無理でも、直接お腹を開いて入れることは皆やっている。
他人の血液や臓器を体の中に、直接入れるか、口から入れるかの違いでしかない。
そういう、凡も、もし病気になって、そうしなければ死ぬって言われたら輸血も臓器移植もするでしょう。
だって、生きたいですもん。
そして、凡もその行為を否定する気持ちは全くありません。
でも、やっている行為自体は、人肉食と同じだ。
ここまでは、友人の受け売りであります。
「もう1杯。」って、中ジョッキを店員に見せて、追加をしながら、熱く話が続きました。
それから、凡自身でも人肉食について考えてみることが多くなりました。
そして、人間の肉を食べると言う理由には、まだ2つの理由があると思うのです。
これは凡の考えた理由です。
1つは、嗜好品としての人肉食。美味しいから食べるということ。
そしてもう1つは、「薬」としての人肉食。
昔中国では、人の肉はどんな病にも効くと信じられていたようです。
なので偉い人も、健康の為に子供の肉を食べたということもあったと言われています。
そして、こんな話もあります。
ある貧乏な家族がいて、親が不治の病に掛かっていたそうです。
その息子が、何とか親の病気を治したいと、自分の足の腿の肉をナイフで切って親に食べさせたそうです。
この話などは、どちらかというと親孝行の美談だとも言えるのではないでしょうか。
この2つの理由についても、倫理的な食べてはいけない理由を発見するのは難しい。
とはいうものの、凡はどうかというと、人の肉を食べるなんて、理屈ではなく無理であります。
輸血をしている母を見て、足が震えるぐらいですから、肉を食べるなんて絶対に無理。
というか、積極的に食べる必要自体もともとないのでありますが。
そんなことを思い出しながら、冒頭の「自分の生き血を飲ませると」なのであります。
俊徳丸は、よく飲めたなあと思う。
ストーリーでは、この時は毒のせいで目が見えなくなっているので、飲めたのかもしれないな。
やっぱりあの赤い色を見たら、ビビっちゃうだろう。
そして、このストーリーを考えたひとは、すごいですよね。
そんなことを考えながら、パワースポットの清水寺に向かった。

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