神様というものがいらっしゃるのなら、どうしても是非ともお聞きしたいことがある。
「神様。凡の余命は後、何年でしょうか。何ヶ月でしょうか。何日でしょうか。」
人間は何時死ぬか判らない。
今この瞬間に何かの具合で死んでしまうかもしれない。それは事実だ。
でも、何年生きられるかは人によって違う。
20歳の若者と凡とでは、長く生きる場合の年数が明らかに違う。
若者には50年先があっても、凡には50年先というのはまずないだろう。
もし、あと何年生きられるかが判っていたら、どんなに気が楽だろうと思う。
もし、あと半年って言われたら、仕事も明日すぐに辞めて、世界一周旅行に出かけるだろう。
そんなことも出来る。
今までお世話になった人にも挨拶したり、ミニボンともゆっくり話しをしたりするだろう。
でも、いつ死ぬか判らないから、色んな思いを残していかなければいけない。
もしそういう時がきたら、すごく心残りで、名残惜しいと思うだろう。
母親がガンでもうダメだといわれた時に、そこの病院ではもうダメと判断したときは個室に移されるのですが、その時もまだ母親は生きるつもり、治すつもりでいたのです。
亡くなる前日に病室に行ったときも、「個室代なんぼするの?高いやろ。」とお金の心配をしていた。
まだ、見た目は明日死ぬなんて思えない。
携帯で友人に「この先どうなるんだろう。」ってメールできるぐらいだったんです。
まだ、死ぬなんて考えられなかった。
看護婦さんから、紙おむつをかってくるように言われたときも、「1週間分もいらないと思うけど。」と付け加えられた言葉に悔しくて泣きました。
そんな母親は次の日になくなったのですが、母親自身もその日に死ぬとは思ってもみなかったでしょう。
そう思うと、死ぬ前にしたかった事や、心残りなことが沢山あったんじゃないかと思うのであります。
もし母親がこの日に死ぬと判っていたら、どんな事をしたかったのかなと思うのであります。
こんな事を書いている凡自身も、同じことなんですよね。
そう思うと、今この時に、今したいことをしなきゃと思うのですが、何しろいつまで生きられるか判らないものですから、そんなに上手くはいきません。
明日から世界一周なんて出来る訳がありません。
でも、取り敢えずは、今は生きているんですから、この生きている世界を楽しもうではないですか。
「神様。私の余命はどのくらいですか。」
「明日ぐらいでどないやろ。」
「えっ、明日?そんな殺生なー。明日は堪忍してーな。」
「そんなら、始めから聞かんといてーな。」
「そらそうですね。神様の言うとおりですわ。」
(でも、神様って大阪出身なん?大阪弁丸出しやけど。)
コメント
私も分かれば知りたい位です。皆さんも同じように考えていらっしゃるのではないでしょうか?
私は勝手に80歳の誕生日まで心も体も健康で生きると決め、その為に運動や頭を使う事を心掛けています。
今年退職しました。貯金を20年で割り使い切るようにも考えています(現在一人住まい)
母、父、兄、、、と立て続けに亡くしました。
人生の最後はすべてあっけなく、突然でした。
凡蔵さん、看護婦さんが言った一週間分もいらないってのはちょっと酷いですね
もう少しオブラートに包んだ言い方をすべきですよね!
医療関係者は人の死を一般人よりも多く見ているのでしょうが、当事者はかけがえの無い家族なんですからね・・・
毎日ニュースでどこかの人が無くなるニュースをやっていますが、気の毒とは思いますが悲しくないのも事実ですよね、でもその家族は深い悲しみと絶望感にさいなまれているのですから、その辺の事を医療関係者は配慮すべきですよね・・・
会社の先輩が過労死し、友達は脳溢血で数年前に他界、後輩も脳出血で出勤途上で倒れ、その6時間後に死亡・・・
自分も過労でダウン、その後色々な病気が発見され、現在に至っています(ガンの疑いで色々な検査をし、幸いガンではありませんでした)
自分がよく言う人生は一度きりだから楽しまなきゃって言うのはそんな事があったからなんです・・・
だから元気なうちに、旅行もグルメも楽しみたいと思っています!
ある程度の貯えも必要でしょうが、「お金は使ってこそその価値がある」と言って、ささやかな旅行を楽しんでいるんです
人間いつ死ぬか分かりませんからね~
凡蔵さんが言うように、いつ死ぬか分かったらまた違う考えにもなるんでしょうけどね・・・
明日って言われたら、「もう生きていけない
」から聞かないかな(笑)
今娘達を残していくなんて、どんな苦しみより辛いから聞かな~い、聞けな~い。
それに制限された中で過ごすより、聞かないようが自由だと思うの(*^_^*)
あと30年ですって言われたら。。。
普通に寿命じゃん!(笑)
ありがとう、羅輝さん。
そうなんですよね。
私も80歳ぐらいまで生きたいです。
それに何といっても健康でいたい。
でも、運動もせず、自堕落な生活をしてしまうのは私の駄目な部分です。
それに比べて羅輝さんはいろんな活動もされていらっしゃるようで、ちょっと見習わないといけません。
ありがとう、とっちゃん。
この年になると、自分とかかわりのある人が亡くなる事も多くなってきますよね。
自分と同じ年代の人が亡くなると余計に、私もいつかはって思ってしまいます。
そしてそんな人は決まって急に亡くなっています。
私も奥さんや他の人に伝えたいことが、そのときに伝えられずに死ぬのは、心残りです。
その人らも、心残りだったでしょうね。
でも、仕方がないですね。
とっちゃんさんの考えもよくわかります。
いつ死ぬか分からないから、今を楽しもうっていう気持ち。
私もそう思います。
でも、年金定期便の年金の額を見てから、これは少しでも貯金しとかなきゃ大変だぞっと思っているところです。
でも、貯金できるほど稼ぎもないのですが。
ありがとう、oriverさん。
娘さんは、ブログを拝見していると、もう立派な考え方をされているようですが、やっぱり親から見ると心配なものでしょうね。
それに長生きするのも健康でなくっちゃね。
というか健康が一番だと思うんです。
「あと50年は大丈夫だよ。
、、、、ベッドの中でね。」って神様に言われたら、それも辛いですからね。
『今の世界を楽しもう』
が好きですね。
文章にするのは難しいんですが、明日、死んでもいいような生き方をしたいなあ、って思ってます。
後悔しない生き方をね。
でも、住宅ローンも払ってるし、仕事の年間計画も立ててる。
夏休みの予定も立ててますけどね。
『最期の晩餐』ってありますよね。
最後に何が食べたいか?
ボクは最近思うんです。
毎日、食べてるものが一番うまいんじゃないかって。
だから、ご飯と味噌汁と目玉焼きとか。
そんなんでいいんじゃないかと。
最後に会いたい人も毎日一緒にいる家族なんじゃないかと思うんですね。
『たまに食べたいもの』は、たまにでいいものだから。
すき焼きは好きだけど、毎日はいらない。
そんな感じかなぁ。
主題とズレていたらごめんなさい。
やっぱりうまく書けないのですが、そんなことを思いました。
ありがとう、kojiさん。
「最後の晩餐」の「毎日食べてるものが一番うまい」というのは言いえてると思う。
私も頷いてしまいました。
奥さんとお茶漬けでもサラサラって食べながら、「あー、美味しかったね。」って笑ってから、ガクっといきたいですね。
でも、私と奥さんどちらが先にいくのかも問題ですけどね。
奥さんを置いて先に行くのは、何となく心残りでもありますよ。
とはいうものの、年齢的には私が先ですけど。
もしも死語の世界があるとして、そっちの方が楽しいのだったら、
「じゃ、先に行っとくね。」ぐらいいえるのですが。
中々、難しいですね。
とまあ、そんなことも考えても仕方がないですし、神様にでもお任せしといて、生きている間は楽しくしたいな。