平 凡蔵。の 創作劇場

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散散歩歩。(1435)ブログから、年賀状。今年もよろしくね。

あーだこーだ

新年、開けまして、おめでとうございます。

旧年中は、こんな凡にお付き合い下さいまして、ありがとうございました。

今年も、どうぞ、よろしくお願いいたします。

それにしても、新年早々、石川県の地震や、日航機と自衛隊機の事故など、大変な年明けとなりましたね。

これから1年、無事に過ごせることを願うところであります。

無事ということが、これほど、大事だと言う事を、改めて、気づかされた気がします。

凡は、折に触れて、凡の創作四字熟語「無事如意」という言葉を、ブログなどの文章に使うことがあります。

これは、「百事如意」という言葉を、ふざけてモジった言葉なのですが、ちょっとだけ、お気に入りの言葉でもあります。

と、新年早々、自画自賛。

凡の尊敬していた、ある宗教の教祖さんが、揮毫を求められた時に、色紙にこう書くこともあったそうです。

全ての事が、思い通りになるという意味でしょうか。

何とも、自由自在で、伸びやかで、、、そんな風に、その時は感じました。

でも、この凡に、百事如意なんて、無理、無理、絶対に無理。

だったら、凡の場合は、いっそ、「無事如意」とでもしておこうかなと、その時に、誕生した言葉なのです。

思い通りになることは、何も無い。

みたいな感じです。

全く以って、凡を象徴しておりますね。

いつも人の顔色を見て、こそこそと生きている。

願いなんて叶ったことがない。

生まれてこのかた、何も為したことが無い。

人の役に立つことも、何もしたことがない。

ただ、生きているだけ。

とはいうものの、これが、ある程度の年になると、このただ生きているだけということの重要性に気が付くようになってきたのです。

同じような年の知り合いが亡くなったり、大切な人が病気になったり。

ただ、生きていることさえも叶わない人がいるという事実。

それを考えると、ただ生きているという、何の役にも立たないけど、生きているということの重要性を感じるのであります。

とはいうものの、この考えは、生きているのが良いことだということが前提となっているのではありますけれどね。

たとえ、生きていても、苦しんだり、悲しんだりすることばかりなのではありますが、そんなシンドイ事ばかりの人生ですが、それでも、たまに、ちょっとした楽しいことや、嬉しいことがあったりしてね、まあ、差し引きしたら、どうなんだろう、ゼロよりは、ちょっと、良いのかもしれません。

凡で言ったら、旅行に行って、美味しいものを食べたり、ミニボンが、1度の人生を、凡と過ごしてくれたり、まあ、ミニボンについては、本人は、どう思っているのかは分かりませんがね。

昔、日記をつけていたことがあって、その日のページに「無為」としか書かない日が続いたんですね。

何も為さなかった1日。

でも、今思うに。

その無為も、また善き哉。

というか、無為もまた、仕方がない。

よく、人間が生きている意味なんて事を、言う人がいるが、そんな問いを発することは良いことだけれど、そこに善なる解を求めるのは、ナンセンス!

人間の生きる意味は、ただ、生きること。

それだけ。

なので、今現在、生きている人は、全員、生きている意味を達成しているのであります。

と、新年早々、ぐだぐだと、書いてしまいましたが、これもまた、生きている証拠と、お諦め頂きまして、どうぞ、お付き合いくださいましたら、嬉しいです。

凡は、百貨店でパートをしておりますので、年末年始は、メチャ、忙しい。

年のせいか、もうヘトヘトなのであります。

んでもって、元日から初売り。

やっと、今日、お休みになったので、久しぶりに、ブログの更新という訳であります。

どうも、これまた、グダグダなものになりそうなので、どうぞ、無理してお付き合いくださいませんように。

凡の文章を読むなんて事は、時間の浪費でしかありません。

でも、時間が、ありあまってるっておっしゃる方は、お付き合いくださいましたら、ホント、嬉しいです。

みゆきさん。無断で乗せて、ゴメンナサイね。

さて、新年と言えば、年賀状。

今年もまた、みゆきさんから届きましたね、(印刷された)素敵な年賀状が。

可愛いなと思いながら、眺めるのですが、みゆきさんって、こんな字を書くんだと、毎年、思ってしまいます。

可愛い字。

これは、凡の年賀状。

年賀状も、凡は、いつも手抜きで、しかも、ギリギリに出したりするのですが、あの年賀状と言うのは、必要なんだろうかね。

もう、凡の顔も忘れちゃったんじゃないのという人にも送ったりして。

昨年、来なかったから、今年は出さないでいたら、今度は、向こうから来たりする。

なので、来年、また、その人に出すのだけれど、今度は、また来年は、来なかったりする。

年賀状、あるあるかもしれないですね。

年賀状は、誰でも、もらって、悪い気がするものではないのですが、それでも、中には、特に嬉しいなと思う年賀状もある。

好きな人からの年賀状だ。

相手にしてみれば、ただ挨拶としての年賀状なのだが、凡にしてみれば、キュンとする年賀状。

そう思うと、凡の年賀状を見て、キュンとしてくれている人はいるのだろうかと思う。

、、、、、いないね。

最近、今年を持って年賀状の挨拶を遠慮するという文面が書かれている年賀状を受け取ることが多くなった。

誰も、年賀状なんて形式だけのものだという気持ちになっているのだろう。

凡も、そうしようかなと思うが、どうしよう。

凡の年賀状を待っている人なんて居ない訳なんだから、悩む必要もないのかもしれないが。

と、改めて、みゆきさんの年賀状を見ると、宛先の下にファンクラブの有効期限が、ご丁寧に印字されている。

悲しくなるよね、

年貢を納めて、その見返りとして送っていただける年賀状。

みゆきさんの本当の年賀状を受け取っている人は、どんな気持ちなんだろうね。

手書きなのかな、プリントゴッコなのかな、そうだ、みゆきさんって、パソコン使うのかな。

想像しても、イメージが浮かばないよ。

まあ、腐っていてもしょうがない。

今年は、みゆきさんのコンサート歌会が始まる。

凡も2月に、取り敢えず、2回行くことが決まっている。

今は、それを胸に、日々を過ごしていきましょうか。

今年も、(というか、昨年になるのだけれど)元日も仕事なので、おせちは、大みそかに仕事から帰ってから頂く。

セブンイレブンで予約していたおせちだ。

コンビニで、おせちなんて注文するなんて、想像もしてなかったけれども、近所のセブンイレブンの年配のお姉さんが、熱心に進めるものだから、最近は、クリスマスの鶏のから揚げも、おせちも、節分の巻きずしも、セブンイレブンで注文している。

注文すると、本当に、喜んでくれるんだよね。

やっぱり、そんなお店で買いたいよね。

というか、そんな人から買いたい。

ということで、速水もこみちさんの監修のおせち。

美味しく頂きました。

ということで、今年は、もこみちさんにあやかって、女の子にモテる1年であればいいな。

もとい、若い女の子に。

もとい、ミニスカートの若い女の子に。

もとい、サラサラロングヘアーのニットのワンピースのミニスカートの女の子に。

もとい、、、、、。

相変わらず、アホな凡である1年になりそうです。

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