昨日の朝の事である。
新聞紙を広げると、みゆきさんの写真と共に、「リトル・トーキョー」の劇場版の広告が載っていた。
寝ぼけ眼で、ウットリと眺めている。
可愛いなあ。
ああ、こんなみゆきさん、凡の夢に出てきてくれないかな。
布団の上で、うつ伏せに、ゴロリと寝ながら、ひとつため息をついた。
この「リトル・トーキョー」の劇場版も、新型コロナの影響で、延期になっていた。
それが、やっと、この7月23日から上映が始まるのである。
もちろん、ブルーレイの「リトル・トーキョー」も持っているのだけれど、やっぱり大画面で見たいものね。
1回だけでは気が済まなくて、何度も足を運びそうだ。
それにしても、最近のテレビにしろ、映画にしろ、映像がくっきりと鮮明だよね。
テレビなんて、凡が生まれた時は、無かったんだよね。
それが、テレビというものが家に来た。
当時は、勿論、ブラウン管で、白黒だ。
これでも、当時は、画期的な装置だったんだよ。
それが、カラーになって、液晶になって、ハイビジョンにまで到達した。
テレビの大相撲中継を見て、観客の表情まで見えた時は、ビックリしたのを覚えている。
この進歩を見ると、ああ、この時代に生きていて良かったと思うのである。
ところがどっこい、進歩はこれで終わらずに、今や、4Kとか8Kとかと言う時代じゃないか。
しかも、大画面。
これはひょっとしたら、凡が死ぬ前には、もっともっと、高画質になって、大画面になる可能性はある。
今までの、進歩の速さを考えればね。
もう、壁一面が画面なんだ。
厚さも5ミリとか、もう壁紙と変わらない。
んでもって、50Kとか、ひょっとしたら100Kとかね。
ものすごいことになって行くわけ。
もう、みゆきさんのコンサートの映像でも、ほとんど、本人と変わらない見え方になるだろう。
いや、大画面で大きく映しても細かいところまで再現できる。
そうなればさ、もう、みゆきさん以上のみゆきさんが、そこに映っているのよ。
凡は、大画面にみゆきさんを映すね。
そして、それを更に拡大して映す。
その時代になると、画面の1部を拡大するぐらいの機能は備わっているだろう。
目の前の壁には、凡の身体より大きなみゆきさんの鼻がある。
まあ、特に鼻を拡大したいと思っている訳じゃないが、顔の中心にあるからね。
顔を拡大したら、当然、鼻もデカくなる。
なかなか迫力のある映像だ。
よく見ると、みゆきさんの毛穴まで見えるだろう。
まずは、「みゆきさん、ごめんなさい。」と謝らなければいけない。
静かに画面に向かって、手を合わせて、頭を下げる。
何しろ、女性の毛穴を、ジロジロ見るなんて行為は、これはやってはいけない行為である。
なので、これから拝見させていただきますという、挨拶と言うか、そのゴメンナサイだ。
でも、そこにみゆきさんの大きな鼻があるなら、そして、毛穴があるなら、これは見ない方が、精神的に病んでいる筈だ。
だって、みゆきさんの鼻は、可愛くて、美しいからである。
美しいものは、正常な精神の持ち主なら、見たいに違いない。
そして、凡は、みゆきさんの鼻の毛穴を堪能したら、今度は、みゆきさんの鼻の穴を探索するよ。
「1本、2本、3本、、、、100本」
鼻毛の数を数え始めるに違いない。
まあ、みゆきさんの鼻毛が100本あるかどうかは、その時の楽しみに置いておいて、そんなことも出来る訳だ。
んでもって、ルーペで、その鼻毛の1本ずつを確認だ。
うん、黒々と光っているね。
とりあえずは、鼻毛で健康チェック。
凡には、子供はいないけれども、もし、そうだなあ、小学生ぐらいの子供、いや、孫がいたとしたら、そして、凡と一緒にみゆきさんの映像を見ていたら、もちろん、鼻のアップをね。
そしたら、そこにあるものを発見するだろう。
凡の様に、もう心が穢れてしまったものは見ることのできないものを。
凡の孫の女の子が、大きな画面のみゆきさんを見ている。
当然、目の前に大きなみゆきさんの鼻。
その鼻の穴の鼻毛を見つめているんだ。
すると、急に、目が輝く。
「あっ。」と言って、凡を嬉しそうに見るね。
凡は、「どうしたの?」と優しく尋ねるはずだ。
女の子は、画面の中にいる誰かに気づかれないように、声をひそめて「い、る、よ。」って言いながら、小さな人差し指でみゆきさんの鼻毛を指さすんだ。
画面を見ると、暗い鼻の穴の中に、黒々としたみゆきさんの鼻毛が、アマゾンの密林のように、生い茂っているだけだ。
「何かいるの?何も見えないよ。」
っていうと、女の子が、「フェアリーがね、いるの。ほら、鼻毛の後ろから顔を、ちょこんと出したりしてるよ。あ、あっちの鼻毛に飛んで行った。」
これだからこそ、みゆきさんは、みゆきさんなんだ。
可愛くて、美しい女性は、世の中には、沢山いる。
でも、鼻の穴に、フェアリーが住んでいる女性は、どこを探したって、みゆきさん1人だけだ。
女の子に、その様子を聞いたら、薄いレースのワンピースを着て、淡いピンクの羽を付けたフェアリーが3人、みゆきさんの鼻毛の間を、恥ずかしそうな笑顔を浮かべて、飛び回って遊んでいるそうだ。
凡は、何度も、みゆきさんの鼻毛の後ろにいるフェアリーを見ようとするのだけれど、見えないんだな。
頭の中が、欲で詰まっている大人には、見えないものだからだ。
仕方がない、と諦めて、画面を元に戻すよ。
そして、画面にみゆきさんの全身を映す。
すると、赤いワンピースのみゆきさんが、ステージの上で歌を歌っている。
その笑顔は、どうにも美しい。
あの笑顔の鼻の穴の奥には、フェアリーが住んでいるんだなと思うと、不思議な気持ちになるのだろうな。
或いは、妙に納得するのかもしれない。
んでもって、呟く。
「あんなの鼻の穴に住まわせて、くすぐったくないのかな。」
その辺は、現実的な疑問である。
ただ、こういうことに疑問を持ち始めると、収拾がつかなくなるものだ。
みゆきさんが、鼻をかんだら、あのフェアリーちゃんたちは、どうなるのだろうとか。
鼻水と一緒に、ティッシュに飛ばされちゃったりして。
いくら、みゆきさんの鼻の穴が美しいからと言って、ずっとそこにいたいのかなとか。
たまには、外に遊びに行きたくならないのかなってね。
その辺は、まあ疑問であるが、触れないでおくべきだろうな。
技術の進歩が、みゆきさんの鼻の穴のフェアリーを映し出すまでに発展するのは、まだ、だいぶんと先だろうけれど。
何とか、それまで生きていたいものである。
それまでは、普通の映画館の大画面で、みゆきさんをジロジロと見つめることにしましょうか。
23日、上映開始だ。
さっそく、行ける日を検討しなくちゃね。
そうだ、みゆきさんも、出来ることなら、3Dの映像を撮って欲しいんだよなあ。
これなら、今の技術で出来るし、実際に他のアーティストでも、3Dの上演会とかしてるので、ノウハウも出来上がっている筈だからね。
と、そんなことも期待しつつ、取り敢えずは、今度の「リトル・トーキョー」の劇場版を、見に行こう。
新聞のみゆきさんの広告の写真を見て、ニヤリとイヤラシソウニ、凡は笑うのでありました。
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