平 凡蔵。の 創作劇場

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散散歩歩。(855)。アイラブユー・ほたえてくれ!みゆきさーん。(306)東京その5。

1月23日(火曜日)。
中島みゆきさんの夜会工場vol.2のブログであります。
舞台の暗転から、ライトが当たると、みゆきさんがパジャマ姿でステージの上で寝っ転がっている。
「LALALA」だ。
もうこれは文句なく、可愛い。
前にも書いたが、この時のみゆきさんは、メイクも明るく変えているように見える。
そんな短時間でメイクも変えるのかどうかは知らないけれど、そう感じさせる少女のような可愛い演技なんだ。
もう、少女の様に手をアゴのところに持って行って、笑顔で歌うみゆきさんなんて、この時間が永遠に続いてくれと、歌の間中、ずっと思っていたね。
そのみゆきさんの笑顔なんだけれど、凡は、今までは、みゆきさんの笑顔は、やや目を伏せた状態で、それでもって、目尻は下がっていて、その下がった目の付けまつ毛が最高に可愛いんだと思っていたが、今目の前のシーンを見たらば、目尻は下がっているけれども、最後は少しだけアイラインが上に上がっていることに気が付いた。
ほんの少しだけね、最後が上に向かって上がってる。
その時によって、みゆきさんも、笑顔の見え方が違うのだろうけれど、あの笑顔には、というか、あの笑顔の目尻には、本当に、やられた。
もし、日本中の女子が、あの笑顔の目尻のメイクの仕方を覚えたら、これは大変なことになるね。
もう、全ての男性が、全ての女性を好きになってしまう。
誰もかれもが、誰もかれもを好きになってしまうよ。
今は、たぶんこんなことはやってないだろうと思うけれども、凡が中学生のころだったかな。
ひょっとしたら高校かな。
卒業が近づくと、女子だけを集めて、2時間ぐらいのメイクの練習の時間というものがあった。
朧げな記憶だけれど、これは確かにあった。
資生堂だか、そんな化粧品メーカーの人が教室に来て、メイクの仕方をレクチャーするのだ。
或いは、これから社会に出て行く女性のためのものだったのか。
或いは、資生堂の宣伝活動だったのか。
今では、そんなことは出来ないだろうけれど、当時は、そんなものかと思ってたね。
んでもって、もしだよ。
もし、その時に、みゆきさんの化粧の仕方をレクチャーでもされたなら、あーた。
もう、男子は、メロメロになっちゃうよ。
女子がみんな、みゆきさんの笑顔の目尻になるんだよ。
それは、もう天国なのか。
或いは、女性に振り回される地獄の始まりとなるのか。
兎に角ね、メイク担当の泉沢紀子さんには、是非とも、「みゆきさんになるためのメイク術」みたいな本を出版して欲しいものであります。
そして、LALALAが終わったトークでは、これまた、みゆきさんの手が落ちて身体に当たって「パタン。」と音が聞こえた。
というか、聞きたくて耳を澄ませていたら、聞くことが出来た。
でも、遠い。
んでもって、今回は、みゆきさんは、途中から座ってトークをするのだけれど、綿の国星のチビ猫のように、足を前に出して座るのはしないで、正座していた。
正座も可愛いけれど、みゆきさんのチビ猫が見たかったなあ。
そうだ、これも書いておきたいのだけれど。
今回の夜会工場に来る前に、みゆきさんのDVDの邯鄲のパジャマ姿のところを見直したんだよね。
もう、若いみゆきさんの可愛いこと。
これは、もう堪らなく可愛いね
でも、同時に思ったことがある。
ひょっとしたら、凡は、今のみゆきさん、詰まり今回の夜会工場のみゆきさんのパジャマ姿の方が、好きかもしれないということだ。
笑顔が進化しているんだね。
もう、若いころのみゆきさんのパジャマ姿は、見たらば、メロメロになっちゃうけれど、今のみゆきさんのパジャマ姿を見たら、もうこれは、メロメロを通り越して、トロトロというか、ドロドロ?、、いや、ぐちゃぐちゃでもないし、ヘロヘロにさせられてしまう。
特にね、笑顔だ。
そんでもって、今回は、足許が若い時のように靴下じゃなくて、モフモフのぬいぐるみのスリッパのような?靴下なものだから、余計に、チビ猫感が出てて、もうヘロヘロに可愛いのである。
いやあ、本当に、可愛いです。
凡が、家に帰ってから、ミニボンに、「みゆきさんのパジャマ姿は、むかしよりも、今の方が可愛い。」と言ったら、ミニボンが、「そんなアホな。」と言った。
解ってないね、ミニボンも。
女性の魅力は、進化するんだよ。

画像

(昔の邯鄲のキャプチャー。ちょっと画像が荒いですけど、可愛いですね。でも、今の方が、数段んカワイイ気がする。)
そして、次のみゆきさんの歌は、「EAST ASIA」だ。
これもまた、書くとしたら、「美しい」に尽きる。
日本の美の原点である。
リズムに合わせた軽やかなステップも好きだけれど、ゆったりと柔らかく舞う踊りも、凡のこころを静かに揺らしめる。
今日の昼間に、凡は静岡浅間神社へ行った。
その時に、境内に赤と白の衣装をまとった若くて可愛い巫女さんとすれ違った。
ドキリとしたね。
みゆきさん以外の女性にドキリとして、凡って節操がないねと思われるかもしれないが、若い女性の赤と白の衣装は、なんだろう、そこに大きな力も加わってドキリとしてしまっても仕方がない。
とはいうものの、赤と白の衣装を着ていなくても、ドキリとすることは、割とよくあることのではありますが、それもまた、仕方がないのではあります。
特に、ミニスカートだとドキリとする。
身体のラインの出る、白のニットのワンピースにもドキリとするな。
そうだ、シースルーは間違いなくドキリとするね。
だってね。
凡だもの。
でも、赤と白の組み合わせは、その衣装の中に聖なるものを感じて、その女性の中に、飛び込みたいけれども、踏み入れてはいけないスピリチュアルな領域を感じてしまって、それがまた、飛びこみたい気持ちを増長させる。
不思議なジレンマを感じる組み合わせなのだ。
たとえ、みゆきさんじゃなくて、普通の巫女さんでもね。
手に入れたいものだけれど、穢してはいけないもの。
そんな普通の女性でも、赤と白の聖なる魔力を発生させるものなのに、それを、みゆきさが見にまとったなら、もうエライことになるのは、これは致し方ない。
ただ、ただ、みゆきさんの言うなりにならなければいけないのである。
ああ、ウズメ様、何なりとお申し付けくださいませ。
あの白と赤の組み合わせは、どちらが主体なのだろうかと思う。
白が主体なのか。
或いは、赤が主体なのか。
白が主体なら、穢れなき清らかな世界を表しているのかもしれない。
赤が主体なら、熱き血潮を表現しているのかもしれないし、赤い砂漠の太陽を表現しているのかもしれない。
みゆきさんの衣装の白と赤は、どちらが主体なのだろうか。
赤だというなら、急に艶めかしくなる。
聖なるものから生なるものへ変わってしまう。
そっちの方が、みゆきさんらくしもあるよね。
とはいうものの、やっぱり赤1色が主体ではなくて、半分半分なのだろうね。
赤と白があって、それでもって、ドキリとするのかもしれない。
そんでもって、すこしあって、「羊の言葉」がある。
これは、みゆきさんは、歌わない。
でも、中ちゃんと、石田さんが、デュエットするのだけれど、これは良かったですね。
中ちゃんも、アナウンサーの役で演技をしながら歌うのだけれど、これって、かなり難しいと思うのだけれど、演技もうまくて、歌もうまくて、もう、完璧だと思う。
それに、この23日のバージョンは、たぶんだけれど、中ちゃんがアドリブをしたんだよね。
アナウンサー役で、隣の男性のキャスターと演技をするのだけれど、その仕草が、「雪が降って、雪かきをしたから、腰が痛い」みたいなジェスチャーだったんだよね。
たぶん、この日だけのアドリブだったような気がする。
何か、ちょっと得した気分になったよ。
そんな感じて、まだステージの途中ですが、次に続くとしたいと思います。
前も書いたぞ、というような話もあるかもしれませんが、何度も見るたびに素敵だなと思うので、また書いてしまうのは、これは、、、、仕方がないのであります。
それにしても、今回の東京公演は、みゆきさんのホームグラウンドだからか、トークも言い回しが、砕けているというか、観客と近い感じで話されていたなと感じた。
ということで、みゆきさんの夜会工場vol.2は、まだまだ続きます。

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