聞いて気持ちの悪い言葉というか字がある。
「道」という言葉だ。
この場合の、「道」は、「みち」と呼ぶ言葉ではなくて、何かの名詞や固有名詞に引っ付いて表される「どう」と呼ぶ言葉の事だ。
とはいっても、「鉄道」じゃない。
なんて、アホな1文を入れたくなるのが凡なのであります。
最近、相撲に関するテレビ番組を見る機会が多い。
凡は、別に相撲が特に好きという訳じゃないのですが、白鵬さんや、貴乃花さんの、本当かどうかソースの解らない情報をもとにしたモーニングショウで、毎日のように取り上げているので、どうしても見てしまう。
そんな時に、相撲関係者や相撲評論家が、「相撲道」という言葉を使う事があって、聞くたびにブルブルと、気持ち悪さに身震いしてしまう。
兎角、スポーツなり、趣味なり、仕事なり、そのやっていることに「道」と付けた時点で、もともと持っている、そのスポーツなどのイキイキとした自由さを失って、そして明快さを失って、気持ち悪く、極めて窮屈なものになってしまう。
野球道などという言葉も、そんな風に使われることがある。。
ラーメン道とか焼き肉道とかも誰かが言ってるかもしれないね。
柔道や剣道は、もう1つの名詞として定着しているから、柔道などは、これで良いかもしれない。
書道や華道は、難しいところ。
書や華だけでも、充分に意味が通じるし、見た目もスッキリしている。
そんでもって、相撲道だ。
本来なら、相撲だけで良いものを、わざわざ「道」を付けて相撲道と言っている。
その瞬間に、誰が言い出したか知らない暗黙のルールや、偽善的な行動規範を無意識的に強要されてしまって、それ以外を美しくないだとか批判する、非常にドロドロとした世界になってしまう。
暗くて、汚い。
最近の話題では、白鵬さんのかち上げや張り差しを、美しくないとか、横綱らしくないなんて、批判するワイドショーが多い。
かち上げが、そんなに悪い技なのだろうか。
悪い技なら、禁じ手にすればよい。
それで解決することだ。
白鵬さんのかち上げは、ちゃんとルールとしてあるのだから、別に批判される筋合いじゃない。
かち上げが美しくない技なら、ボクシングのアッパーカットでノックアウトなんてのは、みっともない勝ち方になってしまう。
こんなことを書くと、ボクシングと相撲は違うと、バカにされるのかもしれない。
違うことぐらい、いくら凡だって知ってるものね。
しかし、勝負は勝負だ。
勝つことに意味がある。
貴乃花さんは、相撲は、ただ勝つだけじゃイケナイ。
相撲とは、もともとは神事だったから、そこに品格や美徳というものがなければいけないというようなことを書いておられるのを拝見したことがある。(細かところは、違うかもしれないけれど、そんなことをおっしゃってられる。)
相撲に神事の要素があるのは、それは凡も知っている。
その神事ということに第1の重点をおいて、勝敗は2番だというのは、今の相撲というものを否定しているように思う。
そんなに神事が大事なら、神社の前で興行をすればいい。
勝敗が2番なら、横綱とか大関とか、そんな階級制はやめればいい。
横綱は、何回か連続で負けると、途中で休場したりするらしいね。
横綱の権威を落とさないようにしているのかもしれないけれど、あれって、相撲道から見ると、美徳なのだろうか。横綱の名前を汚さないようにと休場するのが品位ある行動なのだろうか。
凡には、そうは思えない。
品格がないことを隠しているだけだ。
どんなに批判されても、どんなにカッコ悪くても、相手がいるなら受けて立つ。
そっちの方が、品格もあるし、美徳だと思う。
それに、白鵬さんのかち上げだって、落ち着いて考えると、至極まっとうな戦い方だということが解る。
ウィキペディアの受け売りによるとね、「相撲司家の吉田家の故実では、禁じ手制定以前の相撲の戦い方について『相撲の古法は、突く・殴る・蹴るの三手である』と伝えられている。」らしいんだよね。
ということから考えると、白鵬さんは、相撲の歴史を尊重して、古来からの伝統的な戦い方をするために、かち上げしいていると解釈できるじゃない。
素晴らしいじゃない。
それに、貴乃花さんだって、本当は、どういう気持ちでいるのかは知らないけれど、協会に不満があって、自分の考える改革が思うようにできないのなら、さっさと新しい団体を立ち上げてはどうだろうか。
「新日本相撲」とかね。
きっと、面白い時代になると思う。
そんでもって、道からは、少し離れるかもしれないけれど、外国人力士についてだ。
今の相撲の格付けは、モンゴルの人たちが、上位を占めている。
でも、何となく、各界の中に、それに対する不満があるように思える。
何か事あるごとに、日本人じゃないということで、批判されたりする。
何とも、相撲の世界というのは、器が小さいなと思う。
そんなに日本人が好きなら、始めから、外国人力士を認めなければ良い。
でも、一旦、受け入れたなら、大きく両手を開いて、こころよく受け入れるべきだ。
これだけモンゴルの人が多いのに、それに、モンゴルでも日本の相撲に関心を寄せているのに、どうして、モンゴル興行をしないのだろうかと不思議で仕方がない。
モンゴルで大相撲。
きっと、盛り上がること間違いないし、何より両国の縁が深くなるよ。
楽しいじゃない。
相撲については、凡はよくは理解できていない。
でも、テレビを見ていて、素人の相撲を知らない凡が、素直に思って、テレビに向かって呟いたことを書いてみました。
もし、見当違いなことを書いていたら、ゴメンナサイ。
そんでもって、「道」(どう)に戻ると、どうにも、道という字を付けたがる人もいる訳で、そういう人は、凡は苦手に思う。
でも、「みゆきさん道」なるものがあったら、どうなんだろうね。
中島みゆきさんを極める人の志す「道」。
すなわち、「みゆきさん道」。
(ゆうびん.jpで、はんこ作成。4文字までしか作れないけれど、楽しいツールですね。)
「みゆきさん道の心得」
その1。
まず、朝起床したら、洗顔をし、衣服を整え、東京の方角に向かい合掌し、「今日も1日、みゆきさんが幸せを感じますように。」と3回唱えるべし。
その2。
常に、みゆきさんの歌を携帯などにダウンロードし、時間があるときは、満面の笑みでもって、静かに聴くべし。
その3。
コンサートの時は、颯爽と席に座り、静かにみゆきさんを鑑賞。終わったら、ステージに1礼し、「みゆきさん、素敵でした。」と呟いて、会場を後にすべし。
その4。
コンサートグッズは、「これ買っても使わないだろうな。」と感じても、「えっ、これこんな値段するの。」とドキドキしても、これも修行だと捉えて、微笑みながら、スタッフさんにお金を差し出すべし。
その5。
いつも鏡に向かって笑顔の練習をし、常に周りの人にも、笑顔をふりまくべし。
、、、、、妄想が膨らんで、いくらでも出てくるね。
でも、こんな心得を強要されたら、いくら大好きなみゆきさんの道でも、凡は、やらないだろうな。
人それぞれ、みゆきさんを好きな理由がある筈だ。
その理由の数だけ、みゆきさんラブがある。
そのみゆきさんラブを、大切にして、潔く大らかに、叫ぶことが、本当のみゆきさん道なのかもしれない。
と、これまた「道」がでてきてしまって、これまた、気持ちが悪いですね。
みゆきさんに、みゆきさん道は、似合わないですね。
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