平 凡蔵。の 創作劇場

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散散歩歩。(758)アイラブユー・ほたえてくれ!みゆきさーん。(264)12月12日~14日編。

中島みゆきさんの夜会vol.19「橋の下のアルカディア」の内容について、今までに書いたものも、もしお時間ありましたら、みゆきさんの好きな方は、覗いてみてくださいませ。

11月21日の夜会は、⇒⇒⇒
https://tairabonzou.jp/201611_article_16_html
11月28日の夜会は、⇒⇒⇒
https://tairabonzou.jp/201612_article_2_html
11月29日の夜会は、⇒⇒⇒
https://tairabonzou.jp/201612_article_4_html
11月30日の夜会は、⇒⇒⇒
https://tairabonzou.jp/201612_article_6_html
そして、12月12日の夜会は、今日のブログになります。
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12月12日(月曜日)。
さて、ACTシアターの入場が始まった。
凡は、中に入ると、受付の様子を窺う。
でも、悩んでも仕方がないので、スタッフに声を掛けて、プレゼントを預ける。
暫くして、また受付に見に行ったら、凡のプレゼントがテーブルの上に、名前を伏せておかれていた。
「お願い。みゆきさんまで、届いてね。」
と、陰から合掌。
さて、会場を見ると、両脇にカメラが設置されている。
DVD用のカメラだろうか。
でも、何かカメラが小さく感じる。
或いは、記録用か。
今回も、DVDにして欲しいんだけれどなあ。
そういえば、3年前の「夜会工場」は、まだDVDになっていない。
あれも、見たいのであるけれど、もう作らないつもりなのかな。
さてさて、12月12日の夜会の、凡なりの感想である。
まずは、幕が上がって、みゆきさんが登場。
入り待ちの時は、元気がないような気がして心配していたのだけれど、ステージでは、元気が満ちていた。
それに、どうしたものか、いつもより美しい。
ひょっとして、カメラが入っているからなのか。
今日の席は、N列の、ステージに向かって右側のブロックの、やや外側だ。
ステージは、ちょうど良いぐらいに見えるのだけれど、凡は何しろみゆきさんを見たい訳で、なので双眼鏡も使いたいのだけれど、その辺が、迷う距離ではある。
今まで書いてきた、九曜さんが勧告書を渡すシーンのみゆきさんの笑う顔や、暴漢が入ってきて、みゆきさんがシャッター街の歌を歌う時の顔や、2幕の赤い服でカードをめくるときの顔や、最後に扉が開いて歌う「国捨て」という曲なのかな、その時の顔は、最高に可愛くて、美しかった。
何回も描いたけれど、また書きたくなるぐらいに、素敵なんだ。
今回のステージで、ドキリとしたシーンがある。
みゆきさんの前髪だ。
それに気が付いたのは、1幕の最初の方で、みゆきさんが、中ちゃんを、猫じゃらしで、からかうシーンがあるのだけれど、中ちゃんに猫じゃらしを取られては、だんだん次に出てくる猫じゃらしが大きくなってくるんだけれど、その猫じゃらしを持って走るときのシーンを見て、凡はドキリとなったのであります。
1幕では、みゆきさんは、ベールを頭にかぶっているので、見えるのは前髪だけだ。
そのシーンで、みゆきさんが走ったら、前髪が、その走るのに合わせて、揺れていたんだ。
ベールから少しだけ出した前髪が、おでこに掛かっているのだけれど、それの少しカールさせた前髪が揺れている。
、、、前髪が、可愛い。
アルプスの少女ハイジがね、草原を吹き抜ける風に向かって走っていくときのような、幼いような、あどけないような、そんな可愛らしさが前髪に乗っかったような、そんな前髪の揺れなんだ。
いや、そんなアニメ的なものじゃない。
あれは、天使だ。
その前髪には、清らかさと、純粋さが宿る。
とはいうものの、天使は羽根で空中に浮かんでいるものね、走って前髪は揺れないか。
なら、何なのか、なんて、何かにたとえるなんて、もう無意味だ。
ナンセンスである。
その美しい前髪は、みゆきさんの前髪であって、たとえるもなにも、みゆきさんの前髪が最高なんだから、むしろ、何か他の美しいものがあるなら、反対にたとえられるものとして存在すべきものなのである。
凡は、その可愛くて、美しい前髪の揺れを、双眼鏡で、ずっと見ていた。
あれには、やられた。
そういえば、美しいのは、前髪だけじゃない。
2幕になると、衣装も変わって、赤い服になって、ベールもない。
みゆきさんの前髪は、そのままで、更に、長い髪が背中に流れるようにセットされている。
というか、ウイッグをつけている。
あれも、いい。
凡は、もともとロングヘアーも好きなのである。
それが、みゆきさんのロングヘアーとなると、これはもう最高に美しい。
というか、あれはウイッグなんだけれどね。
それにしても、いつも思うのは、みゆきさんの本当の髪は、どのくらいの長さなんだろうってことだ。
いつもコンサートでは、ウイッグを付けているしさ、出待ちでも帽子をかぶっていて、髪を中に入れてるからね。
普通に、みゆきさん自身の髪を下した時の長さって、どうなんだろうって、いつも思うんだ。
まあ、どんな長さでも、きっと美しいとは思うのだけれど、見たいのであります。
間違いなく素敵であるに違いない。
それにしても、2幕で付けていた、後ろに流したウイッグだ。
柔らかいウエーブが掛かっていて、ややブラウン系の色が入っているのかな。
長いウイッグが、歩いたり、走ったりするたびに、揺れる。
その揺れが、もう素敵なんだなあ。
あのウイッグに1度触れてみたい。
というか、どうしてウイッグを褒めているのだろう。
ウイッグなんだから、これは、みゆきさんじゃない。
考えてみると、あれは化学繊維である。
化学繊維を、ウットリと見ている凡の趣味というのは、どういったものなのか。
とはいうものの、みゆきさんが付けていると、これが実に美しい。
とはいうものの、結局は、ウイッグだ。
いや、それでも、そのウイッグが愛おしい。
いや、ウイッグだけじゃ、それほど愛おしくない。
いや、でも、愛おしい。
いや、でも化学繊維。
いや、それでも愛おしい。
いや、いや、いや、、、もう、解んないや。
兎に角であります。
兎に角、ステージで揺れるみゆきさんのウイッグは、最高に素敵なのであります。
さて、ステージを見ていると、今日は何か違う気がした。
どこがとはハッキリ言えないが、何となく今までと違う部分があるように思う。
例えば、九曜さんが、シャッター街の入口が塞がれたことが解ったときに、無線で、中にまだ人がいることを伝えようとするのですが、今回は、ハッキリ大きな声でセリフを言っていた。
今までは、これは記憶だけれど、マイクには声が入っていなかったように覚えている。
或いは、座っている場所のせいで、今までは、聞こえなかったのかもしれないが。
それから、シャッター街の入口が閉められて、そこで、みゆきさんと中ちゃんが、九曜さんのお父さんか誰かから貰った手紙を読むシーンで、川の水が流れ込んできているということを演技するのに、中ちゃんは、床几の上に足を乗せるのだけれど、みゆきさんは、片足を乗せていた。
と、その片足を乗せた時の、膝小僧の美しさについて、まえのブログで書いたのだけれど、今回は、両足を前に出したままだ。
或いは、凡が片足を乗せたのを見た時のが、特別だったのかもしれないが。
それに、何より、今日も何となく、雰囲気が良いのだ。
何か、違うけれども、良い意味で違うので、それはそれで、良いのだけれどね。
そうだ、これも書きたいな。
いや、書くべきことがあった。
今回は、夜会だから、色んな表情をしなくちゃいけない。
なので、困った顔や、悲しい顔や、怒った気持ちを表した顔をするシーンも多い。
そんな場合は、口をへの字にしたり、或いは、それで歌うときは、口の形を、口をへの字にしたまま上下に開いた形、つまり台形のような形にして、口を開く。
これって、ものすごく、重要な出来事であることを、見ている人は、知るべきである。
今、凡を含む、夜会を見ている人は、歴史的な瞬間に立ち会っているのである。
どんな歴史的な瞬間かと言うと、美というものの価値基準を、根底から覆される瞬間である。
今までの、審美ということの、その判断を、一新してしまう出来事なのである。
詰まりは、みゆきさんのへの字の口、或いは、台形に開かれた口である。
一般的な、美の基準で言うと、その口における美と言うのは、笑顔の口でなきゃいけなかった。
詰まりは、口角がやや上がって、少し開いている。
それが、口における美しさの基準だった。
一時、流行ったアヒル口も凡はすきなんだけれど、それも含めて、口の端は上に上がってなきゃダメだった。
間違っても、への字の口は、美しくなかったのである。
それが、全世界共通の美の基準だった。
それが、どうだ。
今、目の前に見ている、みゆきさんのへの字の口は、その美の基準を、超越して美しいではないか。
今までの基準には合わないが、確かに美しい。
そして、への字の口だけでなく、口を台形にして開いて歌う、みゆきさんの口もまた、美しい。
驚いたね。
こんな、ことができるのも、みゆきさんしかいない。
みんな、困った顔で歌うみゆきさんや、悲しい顔で歌うみゆきさんや、怒った気持ちを表す顔で歌うみゆきさんを、ウットリしながら見ていたのである。
詰まりは、美しいからだ。
この観客が、この事実の証明者である。
こんな素敵な発見はない。
そして、会場の全員が、その発見に気が付かなかったかもしれないが、凡だけは、その発見に気が付いていたのである。
ただ、他の全員は、その基準が大きく変わったという発見には気が付かなかっただけで、その美しさに、こころを奪われていたのは、凡と同じである。
この発見は、人類にとって、大きな福音となるはずである。
とはいうものの、このへの字の口で美を表現できる人は、今現在では、みゆきさんをおいて他に知らない。
ただ、への字を以って美を表現できる人は、そうそうはいないのだから、普通の人は、するべきではないのかもしれないね。
街中に、への字の口が増えてしまったら、これは大変だ。
以前、凡は、みゆきさんの笑顔について、他の人の笑顔は、あれは笑顔じゃなくて、笑い顔だと書いたことがある。
テレビのバラエティ番組のタレントの笑う顔は、笑い顔だ。
それに比べて、みゆきさんのは、笑顔なのである。
みゆきさんの笑顔が、美しいということは、これは誰もが思うところだろう。
今回の、夜会で、何度も書いているのですが、みゆきさんが九曜さんから勧告書を貰う1幕の最初の方のシーンで、みゆきさんが、笑うのですが。
あれは最高に、可愛い。
とはいうものの、このシーンの顔は、今までの理屈から言うと、笑顔じゃない。
みゆきさんが、笑った顔だ。
みゆきさんの笑顔は最高で、他の人のは、笑顔じゃなくて、笑い顔だからと批判をした文章も書きましたが、この勧告書のシーンは、確かに、みゆきさんが笑った顔だ。
笑顔と言う範疇には入れるべきじゃない。
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みゆきさんの笑顔と、他の人の笑い顔については、
お時間がありましたら、昔のブログですが、⇒⇒⇒
https://tairabonzou.jp/201210_article_4_html
みゆきさんの笑顔が人を幸せにする笑顔であることも書いたのですが、お時間がありましたら。⇒⇒⇒
https://tairabonzou.jp/201507_article_2_html
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とはいうもののである。
みゆきさんが笑った顔というのは、これもまた、最高に美しいということを、ここに付け加えなきゃいけない。
笑うという行為は、対象が可笑しい時に、自然に出るもので、それは誰もが日常行っている行為だ。
とはいうものの、その日常に行われている行為の中でも、特に最高なのが、目の前にいる相手を受け入れて、無邪気に笑う姿である。
天真爛漫な笑った顔。
これに勝る表情はないだろう。
赤ちゃんが、母親をみて笑う時の顔に、極めて似ているものだ。
みゆきさんの笑った顔はね、目の前の人、周りの人を、全部、受け入れて、許して、手放して、純粋に笑う顔なんだ。
その笑った顔を見ると、その笑った顔を見ている人も、自分が受け入れられているということを感じて、こころを開く。
そして、その笑った顔に、包まれてしまう。
見勇気さんの笑う顔は、詰まりは、目の前の人の、すべてを自然に受け入れているのである。
この姿こそ、マリア様であり、観音様の姿である。
だからこそ、みゆきさんの笑った顔を見ると、何か温かいものに包まれたような感覚になって、こころの凝り固まったものが解けていくのである。
見ている物を脱力させてしまう何かがあるのである。
そして、見ている人を、幸せにする。
そして、またそれが可愛いのであるから、堪らないのである。
と、ここで、みゆきさんの笑った顔を、「笑った顔」と書いて、「笑い顔」と書かなかったのには、凡なりの、こだわりがある。
テレビのバラエティ番組で見る、タレントが笑っているのは、「笑い顔」であって、何も生み出さないし、それを見ても、自分が受け入れられたという感覚にはならない。
だから、凡は、それを「笑い顔」と書く。
みゆきさんの、「笑った顔」と別次元のものであるということを、明確に区別したいからであります。
他にも、夜会で、みゆきさんの素敵な部分を、いくつも発見したのでありますが、長くなるので、それに、まだ13日、14日と、夜会を見るので、その時にまた、続きを書いてみたいと思います。
そんな素敵なステージも終わり、出待ちの場所に向かった。
今日は少し遅いかな、23時前ぐらいだっただろうか。
まず、車のトランクが開けられて、みゆきさんのバッグが運び込まれる。
その時に、白いスーパーのビニール袋のようなものも、一緒に積み込まれた。
あ、ひょっとして、あの白いビニール袋の中に、凡のプレゼントが入っているのかもしれない。
そう思ったら、ちょっとドキドキである。
みゆきさんが、乗り込み、凡の待っている道路側に曲がったときに、ちょうど対向車が凡の前を通り過ぎて行った。
とはいうものの、一瞬ではあるけれども、みゆきさんの顔がはっきりと見ることが出来たのであります。
というか、この5日間で、1番良かったかもしれない。
道路に出るときに、車が曲がるものだから、遠心力で身体が傾くのを、みゆきさんは、半分開いた車の窓のガラスの上の部分を、右手でつかんでいたのです。
ガラスの上から見える、みゆきさんの指。
どうにも、可愛いのである。
そして、その手を放すと、凡の方に向かって、手を振ってくれた。
黒い服の袖から、みゆきさんの白い手が見えて、こちらに向いている。
小さいなあ。
そう思った。
白くて、小さくて、可愛い手。
この日の、みゆきさんの手だけは、もう特別に素敵だった。
可愛さに、ヘロヘロになりながら、その場を離れる。
ホテルに戻るのに、どこかで食べて帰ろう。
時間も時間なので、迷わず、前回に行った中華料理屋「かおたん」さんに行く。
餡かけ焼きそばと、半チャーハン。
生ビール2杯。

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このお店は、結構、気にいったのですよね。
餡かけ焼きそばは、凡が、前の前の会社に勤めていた時に、お昼によく食べに行っていた、大阪の北浜の「龍門」さんの味付けに似ていた。
龍門さんは、好きで、しょっちゅう行ってたので、懐かしい味が食べられて、嬉しい。
食べ終わると、お皿に、2ミリぐらいの油が残っている。
それほど、油を使っていて、味付けも濃い目だ。
凡の好みである。
まあ、身体に良いかどうかは、置いておいてね。
ふらりふらりとホテルに帰って、もう1箱買っていた、マカダミアナッツチョコを食べる。
今頃、みゆきさんも、食べていてくれないかなあ。
なんて、そんなことを思った。

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平 凡蔵。へのファンレターや
       お褒めの言葉は
sansanpopo@tairabonzou.jp
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コメント

  1. ゆけむり より:

    餡かけ焼きそばと半チャーハンですか?
    これは魅力的なメニューですね
    自分の好みの餡かけ焼きそばって少ないから、見つけると嬉しいですよね!
    美味しい物を食べるのに、体に良いとか悪いとかって関係無くなっちゃいますよね(笑)

  2. 凡蔵。 より:

    ありがとう、ゆけむりさん。
    ここの餡かけ焼きそばは、好き嫌いがあるかもしれませんが、私の好きな味です。
    油をたくさん使ってあって、味付けも濃くて、甘い。
    私の昔、好きだったお店の味に似ているという理由もあるかもしれませんが。
    私は、意志が弱いので、ついつい、食べちゃうんですよね。
    そろそろ、ダイエットをしなきゃ、動くのがつらいです。

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