平 凡蔵。の 創作劇場

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散散歩歩。(736)ムーチューブを見に行って、ムー的迷走の旅。(6)

11月5日(土曜日)。
今日は、朝から羽黒山へ行ってみる予定だ。
まずは、HOTEL STAY IN 山王プラザアネックスさんで用意されている朝食で元気をつけよう。
無料の朝食は、パンと飲み物とポテトサラダ。
パンも、市販の普通のパン。
とはいうものの、宿泊代金から言ったら、十分満足だし、朝食なんて、これぐらいでいいんだよと気づかせてくれる機会を与えてくれた。
というか、温かみのあるホテルで、温かみのある朝食。
元気出ました。
山王プラザアネックスさん、オススメです。
チェックアウトをして、キャリーケースを預かってもらう。
ホテルは駅前なので、羽黒山行きのバスは、目の前から出る。
羽黒山行きのバスは、朝イチの07時52分発に乗車。
乗客は、少ない。
普通のちゃんとした考えの人は、随神門というバス停で降りる。
そこから、山の中の参道を上って行って、本殿に当たる三神合祭殿に参拝するというルートをとる。
なのですが、凡は、もう体力に自信がなかったので、そのまま羽黒山頂のバス停まで行く。
そこから、随神門まで、逆方向に参道を降りてこようという算段だ。
08時45分、羽黒山頂着。
バス停を降りたのは、凡以外に、中年の御夫婦1組。

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参道を逆に、進んで行く。
すぐに歴史博物館があったので、入ってみる。
鏡池から見つかった古鏡などの展示物が興味深かった。

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そのまま進むと、すぐに本殿に着くのですが、その手前に、というか普通のルートなら、奥に、末社が7つ並んでいた。
それだけでも、何か、神聖な場所だと伝わってくるのですが、健角身神社(たけつぬみ)などは、足の悪い人の参拝が絶えないようで、靴などが奉納されている。
本殿とは離れているんですけれどね。
今でも、息づいている。

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その奥に、霊祭殿がある。
出羽三山は、先祖の霊魂を祀る山としても信仰を集めているそうです。
そして、いよいよメインの三神合祭殿である。
神仏習合の名残をとどめているという特異な造りの重要文化財は、その萱葺屋根は、東北随一の規模を誇るそうです。
本来は、出羽神社(いでは)なのですが、昔から、冬期は、月山、湯殿山に登拝できないので、ここ羽黒山に、月山、湯殿山の神様を合祀して三神合祭殿としているそうです。
正面に上ると、障子が閉まっていたので、それぞれの神様の前の障子を開けて、別々にお参りをした。
と、参拝の仕方、これで良かったのかな。

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さて、これでお参りも済んだので、山の入口に向かって進んで行こう。
帰路、というか本来なら往路なのですが、の坂道を下っていくと、摂社、末社が、いくつも点在している。
それぞれに、説明の看板が付いているので、見て歩く。
山の神気とでもいうべき、身の引き締まる空気を感じながら、長く続いている階段を歩いていると、修験道の歴史の凄さに圧倒される。

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松尾芭蕉も、この辺りに、奥の細道の途中だろうか、逗留をしている。
昔だったら、大変だっただろうなと想像したら、松尾芭蕉という人物は、のんびりと俳句を詠んでいた老人ではなく、元気いっぱいの人物だったのかもしれないとイメージが変わった。
案外、松尾芭蕉スパイ説も本当なのかも。
歩き続けて、国宝の五重塔を見て、さらに進むと、入口の随神門にたどり着いた。
それにしても、山自体が神聖な雰囲気に包まれていた。
参道に、杉並木が続く。
何とも、深山幽谷の修験の世界を垣間見た気がした。
とはいうものの、ここで、ハテナと考えることがある。
この杉並木の杉は、350年から500年前に、植林されたものらしいのです。
ということは、西暦1500年より後のことだ。
そしたら、それまでの山は、どうだったんだろうと思う。
羽黒山の開祖の蜂子皇子が羽黒山に社を建立したのは592年らしいです。
ということは、今見ている山の様相とは違ったものじゃないだろうか。
ひょっしたら松尾芭蕉が生きていたのも1644年から1694年だそうなので、今、凡が見ている風景とは違った風景なのかもしれないなと思った。
とはいうものの、スギは本州に自生する固有種らしいので、もともと、この杉並木にも自生していたのかもしれませんが。
ただ、見えている風景は、もっと雑然とした風景だったのかもしれないと思う。
そんなことを想像して、入口にたどり着く。
随神門の近くに、「いでは文化記念館」があるので入る。
山伏の資料などを展示していて、面白いものがたくさんある。
もっと、ゆっくり見たかったのですが、帰りのバスの時間に合わせて、駆け足で見て回る。
中でも、その時に特集していた「於竹大日如来」(お竹さん)に、興味をもった。
江戸時代に、生き仏と言われた女性で、庶民の間で、一大ブームが起こったそうです。
詳しい話は、長くなるので割愛しますが、面白い話なので、もっと知りたい女性であります。

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さて、帰りのバス停は、この、いでは文化記念館の前から出ている。
12時過ぎぐらいだったかな、バスに乗り込む。
12時45分、鶴岡市駅前に到着。
お昼ごはんでも食べよう。
昨夜、歩き回った場所を、またウロウロ歩いて見る
ラーメンでも食べるかと思っていると、昨夜は、値段でパスをした鰻屋がある。
うなぎ蒲焼の「若林」さん。

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店頭の手書きのメニューを見ると、煮魚・唐揚げ定食1500円とある。
何となく、煮魚も良いなと思った。
戸を開けて入ると、客は誰もいない。
オッチャンが、椅子に座ってテレビを見ていた。
「あ、失敗か。」と心の中で思う。
カウンターに座る。
注文した料理を待っていると、まず、小鉢が出て来た。
そして、真ん中の小鉢は「もってのほか」だと説明してくれた。
それは何かと、尋ねたら、食用の菊の花だという。(真ん中の小鉢の紫色のがそう)
菊の花は、皇室の紋なので、それを食べるのは、もってのほかなので、そこから名前が付いたとのこと。
成る程ねと、いろいろ聞いていると、オッチャンも、いろいろ説明をしてくれる。
店には行ったときの印象は、ガラリと変わって、気さくで話しやすい人に、話も広がる。
次に来たのが、唐揚げと書かれていたので、てっきり鳥のから揚げだと思っていたのですが、魚のから揚げだった。
柳カレイだそうです。

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味噌汁は、いろんな魚のアラの具。
そして、最後にサクラマスの煮物が出て来た。
これは、ヤマメが、海に出て、帰ってきたものだそうです。
どれも、庄内浜でとれたものだそうです。
何でも、鶴岡市は、「ユネスコ食文化創造都市」に認定されたそうです。
そんな話を、いろいろ食べながら、させていただいて、帰る頃には、また鶴岡に来た時は来ますねと言って店を出た。
入ったときの印象とは、違う気さくな店だった。
なのだけれど、濃い味の好きな凡には、少し味付けが薄味だったかな。
醤油を掛けたりしたかったのですが、ずっと対面で話をしていたので、気になって掛けれなかったのでありました。
でも、良かったです。
さて、これからの予定だけれど、大阪とは反対の方向へ行こうと思う。
ここまで来たんだから、ついでに、もう少し。
というか、改めて大阪から来るには遠いもの。
どこへ行くかというと、秋田県の黒又山(くろまたやま)である。
地元では、クロマンタと呼ぶそうです。
何故、ここに行こうかと思ったかというと、この旅の出発点の東京で、ムーチューブを見に行ったときに、雑誌ムーの編集長とかmi-coさんが、ちょっと前に、黒又山に言ってきた話をやってたんですね。
それを思い出したんです。
黒又山には、ピラミッドがある。
というか、黒又山自体が、ピラミッドだ。
ここで、この旅の初日の「ムー」と、繋がるのであります。
と、無理やりな繋がり。
ということで、これから秋田に向かいます。
15時19分、鶴岡発。
15時56分、酒田着。
酒田駅では、ソフトクリームを食べる。
16時30分、酒田駅発。
ここから秋田まで、約1時間50分ぐらい。
今日のホテルをアイフォンで検討。
駅からの距離は、少し歩きそうだけれど、アパホテルに決めた。
税サ込、6200円。(アパホテル〈秋田千秋公園〉)
と、それよりも、明日は、黒又山で良いとして、その後の予定を決めなくちゃいけません。
詰まりは、帰路の予定。
明日は、秋田なので、秋田空港から伊丹というのも、楽だろう。
ANAなら、マイルを使った特典旅行で、タダで帰ることが出来る。
そう思って、ネットにつないだら、特典旅行は、旅行日の4日前までしか受け付けてくれないことが分かった。
というか、以前も、そういうことがあったのに、覚えていないというか、学習してない。
少しばかりショックというか、アホやと凡自身が寂しかった。
普通運賃で乗ったら、37000円ぐらいだった。
それは論外だろう。
となると、秋田から仙台まで移動して、ピーチに乗って関空まで帰るか。
と見てみると、普段は安いピーチなのですが、移動時間を考えて、明後日の便を見たら、25000円ぐらいする。
腰が抜けそうになった。
ピーチで、仙台、関空が、25000円。
しかも、秋田から仙台まで、バスでも4100円かかる。
それでも、信じられなくて、何度も再検索するが、ピーチの値段は変わらない。
ピーチを信じ過ぎていた凡の失敗。
これじゃ、ダメだ。
ということは、今まで来たルートを、逆に戻るか。
秋田から鶴岡に戻って、夜行バスで東京。
そして、大阪へというルート。
値段的には、これが1番安いだろう。2万円ぐらいか、それ以下で帰れる。
ただ、少し気が重い。
或いは、新潟まで行って、敦賀までフェリーに乗るか。
これも、気が重い。
というか、気が重いというか、気持ちが折れて、身体の楽な方法を選びたい凡がいたのです。
というようなことを考えていたのですが、結局、これと決まらず、全部を保留。
とりあえず、秋田のホテルに泊まって考えることにした。
詰まりは、結論を先延ばした。
酒田駅を出て、山形から秋田に入ろうかというあたりになると、17時ごろかな、場所的には、女鹿駅あたりだ。
車窓からの風景を見ていると、日の暮れかかった日本海の海岸線が見える。
怖い。
まだ暮れてはいないのだけれど、それでも、今にも闇に落ちそうな気配に目をそらすことが出来ないでいた。
かろうじて残っている曇り空のブルーは、東郷青児のブルーとグレーの混ざった深さで低く不透明に押し寄せてくる。
いつも見ている、この世界とは違う色合いの異次元が、そこに存在しているようだ。
海の黒と、曇天のブルーの間の一筋が、重い茜色を呈していることで、そこが海と空の境界線であることが分かる。
怖い。
ぽっかりと空間が抜けたような黒とブルーの中に、打ち寄せる波の白だけが、ボンヤリと浮き上がっていた。
凡は、心の奥に怖さを感じながらも、子供のように、手のひらを双眼鏡のようにして、その白を見続けずにはいられなかったのであります。
18時19分、秋田駅着。

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sansanpopo@tairabonzou.jp
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コメント

  1. ゆけむり より:

    なるほど、鶴岡を後にし羽黒山に向かわれたんですね
    山の神気とでもいうべき、身の引き締まる空気を感じながらとありますが、これ分かる気がします
    自分も去年だったかな?永平寺に行った時に同じような事を感じました
    それと松尾芭蕉、この方も凄いですよね
    いつか奥の細道をたどった旅をしてみたいものです
    煮魚・唐揚げ定食は思ったよりも良かったようですね
    ビールは飲まなかったんでしょうかね?
    次は秋田ですか?
    やっぱりすごい行動力ですね
    自分だったら帰路の途中を選びそうです
    しかし帰りの交通手段が高いようですね
    さて、これからどうなるんでしょう?

  2. 凡蔵。 より:

    ありがとう、ゆけむりさん。
    今回の旅で、松尾芭蕉のことに興味を持ちました。
    奥の細道を訪ねて歩くのも面白いかもしれませんね。
    最後は、大阪で亡くなってますし、ちょうど、最後は、私の自宅の大阪に帰ってこれる。
    それと、東海道五十三次を歩くのも、少し惹かれるんですが、なかなか、すぐには無理かな。
    煮魚、唐揚げ定食は、品数もあったし、良かったですよ。
    ただ、味が薄味なので、良いような、物足りないような。
    ビールは、意外とお昼間は飲まないことが多いです。
    酔っぱらって、動くの面倒くさくなりますしね。
    そんでもって、秋田に移動です。
    ただ、秋田は、目的地に行ったら、またそこから、移動したんです。
    あと、一泊ぐらいしたら、楽しかったかもと、今は思っています。

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