平 凡蔵。の 創作劇場

恋愛ストーリーや、コメディタッチのストーリー、色んなストーリーがあります。
どれも、すぐに読めちゃう短編なので、読んで頂けたら、うれしいです。
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散散歩歩。(502)骨折それから、神韻公演。

身体の調子が悪いと、どうにも気持が折れてしまう。
折角の機会だから、溜まっている本でも読もうかなとか思うのだけれど、読み始めて少し時間が経つと、首や肩が痛くなって読んでいられなくなる。
その度に、横になったりするのだけれど、スッキリとはしない。
そんなことをしていたら、もう骨折から3週間も経ってしまった。
それでまた自己嫌悪に陥ってしまう。
そんな近況の色々の記録を残しておこうと思います。
守口の敬任会病院へは、毎週木曜日に通院。
毎回にレントゲンを撮って骨の状態を確認。
今のところズレはないので、そのままギブスで骨が引っ付くのを待つ。
それよりも、首の痛みがひどい。
さて、そんな状況の15日に、前からチケットを取ってあった「神韻」の日本公演を見に行ってきました。
2時間ぐらい座っているだけなので、何とか痛みどめでやり過ごそうという計画であります。
神韻とは、ニューヨークを拠点に神韻芸術団が公演を行う中国の伝統音楽や伝統舞踊のことです。
今回の日本公演は兵庫県と東京で行われたのですが、凡はその神戸の兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホールで行われた公演に行ってきました。

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(パンフレット)

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会場につくと、これが中々に良いホールなんですね。
オペラなどを見るのには最適な造りで、みゆきさんのコンサートもここでやればいいのになと、またもやみゆきさんが中心の思考回路ではあります。
客層は、年配の方が多いだろうか。
神韻というと、普通では中々接点が無い人が多いのではないだろうか。
なので、少し変わった雰囲気に開演前の会場が包まれている。
それは、この神韻は、中国本土で弾圧迫害されている法輪功の学習者が始めた芸術団で、今も法輪功関係の人が多いということが関係しているからなのだろう。
なので、少し変わったといっても、それは悪い意味ではなく、どちらかというと真面目な雰囲気なのです。
それに、コンサートの前というのは、どことなく余所行きのワクワク感があるのは、これは誰のコンサートでも同じだ。
凡の席は、あれは何というのだろうか、客席の左右の端っこに横向けに並んだ席だ。
客席は2万円から5千円までのランクがあったのですが、凡の座ったのが5千円の席だ。
これが見やすくて、値段も一番安くて良かったです。
そして、肝心のステージだ。
バックスクリーンに中国を舞台にした映像が映し出され、その前で伝統的な踊りが繰り広げられる。
迫力のあるステージに、綺麗なダンサー、そして素晴らしい踊り。
それは美しく、見に来て良かったと思った。
少し凡の好みを言うなら、京劇のような庶民的なものや、面白い内容のものなどを取り入れたものがあってもいいかなとは思う。
全体的に高尚で上品な踊りが多かったので。
それと、想像以上に「反共産党」の色合いが濃い内容だったことに驚いた。
歌の歌詞も、踊りの内容も、迫害されている法輪功を題材にしたものが多い。
それだけ、現実は迫害のスケールが大きく、切迫した状態であることが、この綺麗なステージからも伝わってくる。
そのあたりのことは、凡も「大紀元」のホームページなどで、聞いてはいるのですが、この会場にいると直に感じる。
ただ、迫害の内容などについては、これは発言を控えたい。
発言できるほど詳しくないからです。
凡は共産党の批判をする訳ではないのですが、表現の自由は確保されなければ、これからの世界には通用しないと思う。
ということで、取りあえずは背景のことは置いておいてステージは素敵なものでありました。
そんでもって、ダンサーは美人揃いでありました。
と、これは書かなきゃね。
そんでもって、話は変わりますが、ハトの話であります。
この前の前の「無償の愛」というテーマのブログで、ハトがベランダに玉子を産んで、親ハトが温めているという話を書いたのですが、これがまたまたビックリでありまして。
ものすごく熱心に温めてたんですね。
これこそ無性の愛なんて思っていたのですが、まさかの玉子温め放棄。
5、6日ぐらい前から、ハトがいなくなって、玉子だけポツリと残されています。

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「もう、何してんの。ハトは。」なんて、ミニボンが、玉子の事を心配していたのですが、もうダメですよね。
或いは、この玉子はもうかえらないと判断して諦めてどっかへ行っちゃったのだろうか。
何とクールなハトなんだ。
かえらない玉子でも、「ぽっぽー。」なんて鳴きながら温め続けて欲しかったなと思うのは、偽善者なのか、第3者の傍観者であるのか。
衣食住も確保されず、医者もいない、生きる死ぬということに人間よりも毎日直面している存在のハトにとっては自然の当たり前のことであるのかもしれない。
凡も、ハトのように、もっとクールに生きるべきなのだろうか。
というような、近況でありまして、何とも進歩のない日々なのであります。

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