平 凡蔵。の 創作劇場

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散散歩歩。(495)アイラブユー・ほたえてくれ!みゆきさーん。(171)

3月27日の金曜日。
朝の9時からNHKのBSで、みゆきさんの番組が放送された。
1994年に放送された番組を再編集したものだそうです。
「中島みゆきスペシャル/もっとみゆきと深い仲・~時代・夜会・そして~」
もちろん、見たのね。
およそ20年前の番組なので、凡がみゆきさんに出会う前の番組だ。
その頃に、この番組を見ていた人、つまりは、この時にみゆきさんが好きだった人が、少しばかり羨ましくもあり、そのときにまだ出会ってなかったことが、少しばかり悔しくもある。
ただもう、そんなことは考えても仕方がないことだ。
人生は仕方がないことが常態である。
そんでもって、番組はというと、みゆきさんに関係する人のコメントと、みゆきさんの歌と映像で構成されている。
みゆきさんに関係する人のコメントは、これは要らない。
どうだっていい。
これは、みゆきさんの番組がある度に言う事だけれど、自分の愛する人の解説を聞くほど、アホらしいことはない。
そんな事よりも何よりも。
凡は、番組をウットリと見ていた。
みゆきさんの若い時の写真や映像が、みゆきさんの歌とともに流れていたからだ。
そのテレビの液晶に映るみゆきさんは、
それはそれは、素敵で素敵で。
その場面だけ切り取ってずっと見ていたかったね。
そして思ったんだ。
思ったというより、思い知らされた。
そして、涙きそうになった。
本当は大泣きしていたんだけれど、何故かミニボンもお休みで番組を見てたんで、こころで泣いていた。
どうして、みゆきさんと凡はこうも違うんだと。
比べるなんてことは、無意味なことは解っているけれども、比べてしまう。
みゆきさんは、才能がある。
そして、可愛い。
そして、努力家でもあり、常に前に進んでいる。
そして、みんなに愛されている。
なのに、凡には、才能もない。
そして、見た目も、これはどうだろう、普通だ。
そして、努力が嫌いで、常に止まっている。
そして、他人にとって凡なんて、どうでもいい存在だ。
そんな違いを考えると、普段に凡はみゆきさんとデートするんだって言ってはいるんだけれど、そんなの、みゆきさんと凡が、つろくする道理もないことであることを、そんな現実を嫌というぐらい思い知らされてしまう。
それも、いつもなら、岡本太郎さんの言葉を思い出して、たとえ片想いでも、おおらかに好きだって叫び続ければいいなんて、そう思うんだけれど。
今回は、あまりにも素敵な映像が多かったからね。
それにしても、どうしてみゆきさんって、あんなに可愛いんだろうね。
いつも思うんだけれど、みゆきさんは存在そのものが美しい。
他に比べる人もいないし、比べる意味もない。
それは、絶対的に美しいということだ。
でも、今回の放送を見たみゆきさんの美しさは、絶対的に美しいのは違いないのだけれど、もっと低レベルな美しさでもって、凡を魅了させる。
花粉症で悩み、背中が痛いと言っては薬を頼み、コレステロールの高い血が流れる、給料の安い、優柔不断で後ろ向きで、高所恐怖症で、そんなどうしようもない凡の、1人の女性を何とか振り向かせたいという、もっとドロドロした欲望の、美しさを求める愛というものじゃなく、みゆきさんを凡のものにしたいという汚い欲望のレベルで、凡はみゆきさんの魅力にウットリしていたのであります。
だって、可愛いんだものね。
だって、素敵なんだものね。
でも、そんな凡のこころ品性を思うと、情けなくなる。
自分のこころの低俗さが、情けなくなる。
自分で自分の尻を蹴り上げたくなるよ。
そんな凡に、みゆきさんを愛してるなんて言える権利も道理もない。
あつかましいんだよ。
、、、、。
でも、凡は、凡。
ただ、ここに存在は、とりあえずはしているんだ。
どうしようもない存在だけれどもね、生きている。
だから神様、お願いなのである。
生きているんだから、認めて欲しいんだ。
人間には、ミルという人の「自由論」によると、他人に迷惑が掛からないのであれば、愚かな行為をすることも許されるという「愚行権」があるという。
だったなら、「愚愛権」というものも許されていいんじゃないだろうか。
他の人の迷惑にならないんだったら、人を愛しても良いという権利。
凡のような愚であり凡である人間でも、美しいみゆきさんを愛する権利。
ただ、愛する権利。
凡は、ここに愚愛権を発動させるものであります。
「みゆきさーん。大好きでーす。」

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