平 凡蔵。の 創作劇場

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散散歩歩。(479)アイラブユー・ほたえてくれ!みゆきさーん。(164)

みゆきさんの「縁会2012〜3」を映画館の椅子に座って見ている。
映し出される姿は、どれも、どの一瞬を捉えても美しいという言葉に尽きる。
そして、凡は新たなみゆきさんの魅力を発見して涙ぐんでいた。
その魅力とは口だ。
それは、唇やその周りの皮膚、筋肉、骨格などを含めた、口のあたりという漠然とした範囲の部分を指す。
アップで映し出されたときは、自然と口を見ることになるのだが、それがまたいい。
柔らかで、しっとりとしていて、温かで、そんな感じが凡のこころを揺さぶる。
あの、柔らかい唇に触れてみたい。
もう想像しただけで、息ができなくなりそうだ。
とはいうものの、目の前のスクリーンの唇は高いところにあるからね。
みゆきさんの唇にチューしたいよ。
ぴょーん。
ぴょーん。
いくら飛び跳ねても届きやしない。
それに、あの唇の正体はスクリーンだものね。
悲しいね。
それに、これもまたメイクさんの腕の素晴らしいところで、ルージュの引き方がいいんだ。
凡の好みに、やや唇からはみ出して引いている。
素敵です、紀子さんのメイク。
みゆきさんの唇は、ただ単にそこに存在するだけでも、美しいんだけれど、歌う時の、動かし方がどうしようもなく美しいんだ。
高らかに歌う時の晴れやかな動き、やや低音や力強く歌う時は少し顎を前に出して、時に喉のあたりが上下に動いたり、少し唇を突き出すようだったりと、そんな動きがどれも素敵なんだな。
口を開ける時に、時によって口の上唇の両端の部分が同時に上に上がる時がある。
上唇の真ん中を残してその両端が上に上がるから、上唇は水平になる。
凡は昔に、あの口の形に憧れたことがある。
その時は、香港映画に凝っていて、ジョン・ウー監督の「男たちの挽歌」で主演のチョウ・ユンファが、あの唇の形で口を開けてタバコを吸ったりするんだね。
あれがカッコ良かったんだ。
凡も真似てみたけれど、どうにも口が思うように動かない。
もともと、話すときも、ほとんど歌うことはないのですが、歌った場合でも、凡は口をあまり開けない。
口の筋肉が弱いのだろうか。
あんな風には、真似たけど出来なかった。
その唇の形をみゆきさんがして、歌うんですよね。
思わず、カッコイイと思った。
今も香港映画はすきで、特に監督のジョニー・トーさんが好きなんだよね。
まあ、それは置いといて。
みゆきさんの口の話しだ。
あれは、きっと意識的に口を動かしていると思う。
でなきゃ、あんなに美しく見ている人を魅了できる道理が説明できない。
特に斜め前からのカメラのショットは芸術的とさえ言える。
凡は以前に、口という人間の器官が、とてもケッタイであると書いた。
口のことを穴とも書いた、そしてお尻の穴に繋がる筒だとも書いた。

そんなケッタイな器官なのですが、そしてそれは、みゆきさんにおいても同じなのでありますが、みゆきさんの手に掛かると、美しいケッタイとなる。
非常にややこしいけれども、ケッタイで、美しいんだ。
この口という器官をよく見てみると、どうにも納得がいかない。
人間は神様に似せて創られたと聖書に書かれているそうです。
ということは、神様もまたケッタイな器官をお持ちになっていらっしゃるということになる。
何故なのか見当がつかない。
普通なら、神様なんだからもっと完璧を求めてもいいはずだ。
この口という器官は、歌を歌う以外に、食事をする時にも使用をする。
また、呼吸にも使う。
勿論、鼻という小さな穴は2つ空いているけれども、その鼻の穴は、直接肺には繋がらなくて、喉という口からの筒を一旦通らなければいけない。
おかしな話だとは思わないかい。
もし神様が完璧な人間を創ろうと思ったのなら、まずは歌う器官と、食事する器官と、呼吸する器官は別々に創るだろう。
その方が生命を維持し行く上で合理的だ。
凡の父親は誤嚥で何度も入院したりした。
食べたものが間違って肺の方に流れて肺炎をおこすんだ。
亡くなる前は4ケ月ぐらい口から食べることを禁じられて点滴だけで維持していた。
そんな時に父親が凡に言ったんだ。
「ビールが飲みたい。」ってね。
今の凡なら、すぐに飲ませてあげるんだけれど、その時は出来なかった。
という話なんだけれど、そんな辛い話は置いといて。
つまりは、食事の穴と呼吸の穴が別々の器官として存在していたなら、そんな辛い思いをしなくてもいいのである。
更にキッス用の穴なんてあってもいいんじゃないか。
キッスをしながら会話も出来る。
ただ、あんまり沢山の穴が顔に空いていたら気持ち悪くはあるだろう。
しかし、現実の世界では、人間の口は、食事、呼吸、歌或いは会話の機能を、同じ1つの器官で賄っているのである。
神様という存在は完璧である筈だ。
そして、神様は完璧であるという大前提から、このことを考えると、これにも意味があらねばならない。
神様は何らかの意図を持って、食事と呼吸と、歌を歌う事、キッスを同じ穴を使うようにしたのである。
その理由は凡には解らない。
ただ、憶測するに、食事も呼吸も人間の生命を維持していくには、無くてはならないものである。
そのスゴク大切な仕事を1つの器官に集約させたのではないだろうか。
ということはだ。
そこから更に類推するならば、食事と呼吸は、これは生命維持になくてはならないものだということは、誰でもが頷けるところであるけれども、歌や会話もまた生命維持と同等のなくてはならないものだということになる。
しかしだ、ここで疑問が生じる。
凡は、ほとんど歌わないし、会話も少ない方だ。
そんな無口な人は世の中には沢山いて、それなりに生命を維持して、それなりに健康で暮らしている。
ドウイウコトナノ。
これらのことから、たどり着く結論は1つしかない。
「神様は、選ばれたごく少数の人にのみ、口という器官を歌や言葉として有意味に使用することを許された。そして、その目的は他の衆生の生命の維持であり、癒しである。」
まあ、普通の人は、普通の人のためにわざわざ別の穴を作るのも面倒だから、選ばれし人と同じ造りで良いんちゃうかなという付け足しの発声器官なんじゃないだろうか。
そう考えるのが自然だし、その答えしかないだろう。
そう考えると、道理でみゆきさんの歌を聴くとウットリといやされるし、みゆきさんのラジオを聴くと元気が出るんだね。
つまりは、みゆきさんは神様に選ばれし女性なのである。
流石だね神様も。
なかなかに女性の趣味が良い。
兎に角、みゆきさんの口は最高なのであります。
美しすぎる口。
凡は、映画館で、大画面のそのみゆきさんの口に見とれて、ただただ情けない口という器官からヨダレを流すのみであった。

コメント

  1. うかれぶた より:

    御機嫌よう♪凡さん♪
    確かに、、、
    みゆきさんは、
    神に選ばれし 女性ですね
    (*^▽^)/★*☆♪
    よく ものまね番組なんかでは、すごく似てる風に 他人が歌うのに 感心したりする。
    でも、前にも書いたけれど、みゆきさんの真似をする人は あまりいない。。
    たまにいても、、
    悪いけど、全くといって類似点を見出だすことは できない。少なくとも私は。
    普通の人には、、
    到底 似せることもできないのは、、
    みゆきさんが、選ばれし、女神のような存在だからなのですね(^o^)/
    何回も 言っちゃいましたが。
    歌も、喋りも、
    みゆきさんの存在がすべて、、、
    癒しと、元気の源ですね
    (*^▽^)/♪

  2. 北のトド より:

    虫の知らせというか、意識がもどった瞬間「大阪市たいらぼんぞう」と読み上げるみゆきさんの声が聞こえてきました。「私、好きだわあ、この名前」。名前が「方」とか「人」になる日も近いのでは。 
     ヤボ用が入ったりして、凡さんの2作目まだ読了しておりませんが(ゆっくり読み進めております)、読み終わりましたら感想などお伝えできればと思っております。

  3. 凡蔵。 より:

    ありがとう、うかれぶたさん。
    そう言われれば、そうですよね。
    みゆきさんの物まねする人は少ないですね。
    でも、たとえどんなに上手く真似ても、ああ、そうなんですか、良かったですねという感想しかないだろうね。
    別にものすごく似てても、それがどうしたです。
    みゆきさんじゃないから、別にどうってことない。
    とはいうものの、顔も瓜二つで、声も瓜二つで、歌い方も瓜二つで、話し方も瓜二つで、性格も瓜二つで、って言う人がいたら、少しは好きになってしまうかもしれない。
    でも、きっと私には解ると思う。
    みゆきさんじゃないってこと。
    でも、DNAも瓜二つだったら、どうしよう。

    も、やっぱりみゆきさんじゃなきゃ嫌だよね。

  4. 凡蔵。 より:

    ありがとう、北のトドさん。
    やっと、ネガティブ川柳の2回目読まれました。
    今回も6通ぐらい出したんですよ。
    それがいつも没なので、もうネタがなくなってきそうです。
    今回は、私の名前が好きだっていってくれて。
    これは、もう感激です。
    それにそれに、最後にまた、私の名前を読んでくれたし。
    ひょっとしたら、名前を覚えてくれてたんじゃないかなとか、いいように、いいように、考えております。
    私の2作目は、どうぞ気楽に読んでくださいませ。
    そんな深い内容は無いものですから。
    これに勇気づけられて、またまた来月もハガキを出そうと思うのですが、なかなか川柳も思いつきません。
    何かないかなあ。

  5. 散散歩歩。(586)鼻の手術@住友病院。

    ただいま、中島みゆきさんのコンサート一会のブログの途中でありますが、こんんなものを挟んでみたいと思います。

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