平 凡蔵。の 創作劇場

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どれも、すぐに読めちゃう短編なので、読んで頂けたら、うれしいです。

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散散歩歩。(280)アイラブユー・ほたえてくれ!みゆきさーん。(46)

東京が日本最大の都会だなと思うところの1つとして、交通網の複雑さがある。
10年以上も来たことがない凡にとっては、いろんな線が交差しているので、どの線に乗ったら、どこへ行けるのかが、実感としてつかめない。
ほとんど、東京迷子。
こんな時は、人に聞くのが1番だけれど、今日の予定がまだ決まっていない。
どこへ行きたいかも分らないので、聞きようがない。
「どこかへ行きたいんですが、どう行けばいいですか。」なんてね。
意味不明。
聞かれた人は、気持ち悪るくて、走って逃げていくだろう。
でも、こんな質問に即答できる人がいたら素晴らしいだろうな。
ハッキリと、目的地と行き方を教えてくれる。
カリスマ教祖的道案内人。
「君は、山手線に乗って、グルグル、グルグル、1日中回っているべきだよ。」
なんて言われたらどうしよう。
取り敢えず、進んではいるけれど、どこにもたどり着かない。
それも、凡らしいか。
とはいうものの、山手線は初心者には簡単なので、取り敢えずは、電車に乗っかった。
そして、山手線の輪っかの中で決めた駅。
上野駅。
そうだ、昔むかし学生時代に東京に来たときに訪れた蕎麦屋に行ってみよう。
そろそろお腹も空いてきたものね。
上野駅に着いたら、行きたい場所を思いついた。

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上野駅13番線ホーム。
ここからは、青森行の電車が出ている。
というか、ここに着く。
学生時代に、友人と北海道旅行に出かけたことがある。
周遊券を握りしめての貧乏旅行。
往路は、大阪から急行「きたぐに」で、確か記憶だけで書くんだけれど、大阪を夜の10時ぐらいに出発して、青森に夕方の5時か6時ごろに着く。
雪の積もったホームで、駅弁を売るワゴンが出ていたんだけれど、そこから味噌汁の湯気が、わーっと上がっていてね。
美味しそうだった。
飲みたかった。
貧乏旅行なので、我慢したけれど、今でも覚えているという事は、よっぽど飲みたかったのか。
当時は、きたぐには青森まで走っていたんですよね。
それでもって、帰路は青森からやっぱり夜行の急行で、東北本線を走って帰ってきたんだけど、上野駅についたはずなんですよね。
ただ、凡が着いたであろう、18番線か19番線、20番線は、もう廃線となって無くなってしまっている。
新幹線が日本中に通るのは嬉しいけれど、在来線の特急や急行がなくなるのは寂しい。
13番線のあるホームは、高架じゃなくて地平にある。
今は、高架ばかりになってしまった地方を含めた中心部の駅なんかに比べて、地べたをどこまでも鉄の線路が延びているという感覚がダイレクトに味わえる貴重な駅だ。
ここからは、北斗星やカシオペアなどの列車が発車する。
そのホームのコンコースにつくと、その雰囲気に圧倒された。
やや薄暗く思えるそのコンコースは、明るい高架のホームとは、その発している波動がまったく違う。
冷たく、重たく、そして静かに、そのコンコースとホームは、魔界への入り口でもあるかのように存在していた。
明らかに、ここは何かの思いをこころに秘めて、乗り込む人々、下りる人々の残像を感じる。
それは、東北から希望と不安を胸に抱えて東京に出てきた人の残像でもあり、故郷に愛する人や、家族を残してきた未練の残像でもあり、仕送りを期待された重い荷物の残像でもある。
湿気に満ちたその場の空気を体中の皮膚で呼吸しながら、凡は、呆然として、そのコンコースに立ち尽くしていた。
来てみて良かった。
みゆきさんは、北海道から東京へ来るときは、どうやって移動していたんだろう。
やっぱり、このホームに降りたったのだろうか。
手編みのセーターと手袋にギターケースを抱えて、白い息を吐きながらホームを踏んだのだろうか。
それとも、もう売れていたから、飛行機で移動したのだろうか。
どちらかは知らないけれど、みゆきさんには、どこか寂しい北の匂いを感じる。
ただ、北海道のどこか抜けた明るさも含んでいるようでもある。
分らないところが、また魅力的なんですよね、みゆきさん。
自分でもびっくりするぐらい、この上野駅にこころ奪われるものを感じた。
そのコンコースに、石川啄木の句碑がある。

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丸い車輪を形どっているようで、かなりの大きさと言うか重量感がある。
「ふるさとの 訛りなつかし 停車場の そを 聴きにゆく」
東北出身の人にとって、故郷がどれだけ大切で恋しい存在だったか。
こんな句碑があることも、初めて知った。
さて、こんなことをしていると、1日中ここにいることになってしまう。
上野の街に繰り出しましょう。
これは、時間的には少し後になるけれども、上野で楽しい時間を過ごした後、東京駅に戻る前に、もう1度このホームへ来たら、ちょうど「カシオペア」が入線していてた。

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上下2段のコンパーメントタイプで、ダイニング車両もついている。
今となっては、東北へ向かう貴重な列車だけれど、どうもお金もちだけが乗る列車でありまして、どうも列車が着線していないときのホームの寂しさや冷たさは、伝わってこなかった。
小学校の子供をつれたご夫婦が記念写真を撮っている。
くったくのない明るさ。
東北行の明るい豪華列車での贅沢旅行。
こんな贅沢を、小学生にさせていいのか。
それは、まあいいとして。
また繰り返すけれど、在来線の普通の特急や、急行がなくなっていくのは、どうも寂しい。
長距離の急行が走っていたころの、暗く寂しい空気というのは、人のこころをより深く考え、感じることの要素の1つであると思う。
そういう意味で、これは文化の退廃でもある。
とはいうものの、凡も1度は明るく贅沢な豪華旅行なるものを経験したいものではあります。

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(1度は食事をしてみたいカシオペアのダイニング。食堂車と言わないところが、また寂しい。)

コメント

  1. うかれぶた より:

    みゆきさまも、上野の… ホームにて♪
    感慨に耽っていらしたと思うと猫
    私も、信越線だった頃…
    18歳で、一人、鈍行で 状況した時を思い出します。
    帰省も、鈍行で…
    それが、景色をゆっくり見つつ…
    横川の 「峠下の釜飯」
    その為に 停車時間が 何分かムード
    窓あけて、ホカホカの釜飯売りのおっちゃんから 買ったり…
    ダッシュ走る人で 買いに
    今は、もう その場面がないのが 寂しい猫

  2. 凡蔵。 より:

    ありがとう、うかれぶたさん。
    鈍行って言葉自体、今は使わないですよね。
    でも、何となく暗いイメージがあって、好きです。
    そういえば、釜飯って、食べた後の陶器の釜は、どうするか迷いますよね。
    捨てるには勿体ない。
    でも、持って帰るには邪魔だしね。
    うかれぶたさんも、手編みのマフラーに手袋で、寒いホームに降り立ったのでしょうか。
    みゆきさんみたいに可愛かったでしょうね。
    18歳って、すごいね。
    って、何がっていうことだけど、若いだけで値打ちがある。
    でも、年とっても値打ちがある人になりたいです、わたしは。

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