平 凡蔵。の 創作劇場

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散散歩歩。(876)阿蘇・内牧温泉紀行(1)前夜。

熊本は阿蘇の内牧温泉に行ってきました。
なので、その旅行記をブログにアップしようと思うのですが、あらためて、ブログを見直したら、4月の28日から更新していなかった。
そういえば、ツイッターも投稿が少ない。
この空白の時間について、旅行前夜ということで、まあ前夜と言っても1ヶ月以上あるのですが、思いつくままに書いてみようと思ったのであります。
取り留めもない話なので、どうぞ、スルーしてくださいませ。
ただ、凡の事が大好きで堪らない女子高生のみなさんや、女子大生のみなさんは、どうぞ、遠慮なく読んでくださってもよろしくてよ。
と、ありえない話を挟みまして、空白の前夜の話であります。
政府の緊急事態宣言を受けて、仕事も、1日の勤務時間は同じだけれど、早番遅番の幅が少なくなって、また、休みも4日増えて、身体自体は、楽なはずなのだけれど、何かシンドイ。
軽いうつ状態とまではいかないけれど、元気が出ない。
そんなことで、日々過ごしていて、流れるままに、今日は6月の19日だ。
今日にいたるまで、本当なら、札幌、岩手と、みゆきさんのコンサートツアーがあったはずだ。
その他にも、大阪や東京の当日券も狙っていた。
それが、新型コロナの影響で、すべて中止になった。
或いは、この元気の無さは、みゆきさんロスなのかと思う。
そういえば、先日、みゆきさんのファンクラブの会報誌「なみふく」が届いた。
そこには、短いながらもみゆきさんの言葉と、少ないけれど、ラストコンサートツアーのみゆきさんの写真が掲載されていた。
どうにも、ウットリと、また癒される。
それまでは、みゆきさんのDVDの映像や、歌を聴いて気を紛らわせていたが、会報誌に載っている、「今のみゆきさん」に触れることができて、やっぱり、凡は、昔のみゆきさんじゃなくて、今のみゆきさんが好きなんだなと気づかされる。
昔のみゆきさんも、それはそれは、素敵だけれど、やっぱり、今のみゆきさんなんだと。
大阪からは遠い東京にいるみゆきさんが、恋しい。
遠いけれども、今この瞬間に、みゆきさんが、この世界に存在しているんだと言うことだけで救われる気がする。
ああ、こんなことを書いていたら、久しぶりに叫んでみたくなってきました。
「みゆきさーん。あなたに、恋してまーす。」
こんなに大声で叫んでも、みゆきさんの耳には、1デシベルにも満たない音しか伝わらないんだよね。
そんな音なんて、冷蔵庫のモーターの音にかき消されてしまうよ。
雑音に消されてしまう、みゆきさんにとっては雑音でしかない、凡の声。
悲しいね。
IMG_1996.jpg(みゆきさん、ごめんなさい。なみふくから、1枚だけ無断借用です。ああ、癒される。)
そうだ、雑音といえば、ノイズ。
勿論、音楽と言えば、みゆきさんの歌が、凡にとっては、最高の音なのだけれど、初めて、ノイズミュージックと言うジャンルのCDを買った。
精神核.jpg
八幡書店さんから出てる「精神核(MENSA NUKLEA)」というもので、JINMOさんという人が作曲している。
このCDは、大本教の出口王仁三郎さんと、アレイスター・クロウリーという魔術師の肉声を元に音を作り出し、その音で作曲したもので、意味のない(凡にとってはね)音というか音楽で構成されている。
繰り返されるビートや、音の撹拌。
正しく、聴く人にとっては、ノイズである。
これを通勤電車の中で、聴いている。
ただのノイズの繰り返しなのだけれど、聴いていると、何故か落ち着く瞬間もある。
漢方に、「補(ほ)」と「瀉(しゃ)」という考え方がある。
補とは、気や栄養を補うという意味があり、瀉には、悪いものを吐き出すという意味がある。
漢方薬などは、この考え方で処方される。
ある人が、音楽にも補と瀉があるというようなことを書いていた記憶がある。
心に元気を補う音楽と、イライラした気持ちを吐き出す音楽。
みゆきさんの歌は、正しく補の音楽だ。
聴いていると誰でも元気になれる。
ハードロックなどは、或いは瀉の音楽なのだろう。
ガンガン鳴らすドラムやギターを聞いていると、何故かストレスが消えてスッキリする。
その考えで言うと、JINMOさんのノイズミュージックは、瀉の音楽なのかもしれない。
悪いものを祓うような音楽。
所謂、神道のお祓い。
しかし、このノイズミュージックというのは、どうやって聴くものだろうか。
精神核というタイトルや、出口王仁三郎の肉声を音源にしているということは、人間の潜在意識に語り掛けるような音楽を目指して作られたのではないかと思うのだけど。
もしそうなら、真剣に聴くのは、違うのかもしれない。
真剣に聴こうとすると、当然、意識が優位になる。
潜在意識で聴こうとするなら、ぼんやりと聞き流すのがよいのかもしれない。
とはいうものの、やっぱり音楽を聴くなら、みゆきさんだということに変わりはないのだけどね。
みゆきさんの考えだした旋律、そして、歌詞。
それを、みゆきさんの声帯で奏でる。
これ以上の、音楽があるだろうか。
さっきは、みゆきさんの歌は、補だと書いたけれども、そんなのどうだっていい。
みゆきさんの歌を聴いたら、元気も補えるし、悪いものだって吐き出せる。
補でも瀉でもありうるのだ。
いや、そんなことをも超越しているのである。
ただ、みゆきさんを好きだという気持ちで聴く歌は、たとえ、それが、身体や心に悪くったって、ずっと聴いていたいのである。
それが、恋っていうものだろう。
ああ、みゆきさんの声が聞きたいなあ。
今頃、みゆきさんは、どうしているのかな。
自宅で、自粛か。
まあ、みゆきさんのことだから、ただの自粛じゃなくて、音楽とか作ってるのかな。
みゆきさんのご家族は、体調とか壊していないだろうか。
兎に角さ、みゆきさんが元気で、それで家族も元気で、楽しくしていて欲しいと切に願うこの頃であります。
しかし、凡の元気の無さは、本当は、別のところにあるのだろうと、凡自身考えているのではあります。
それは、仕事だ。
収入の金額的な事もある。
それに、職場の環境も、どうもキツイ。
職場の環境と言うのは、人間関係である。
今まで、2年ちょっと、今の職場で働いているが、これから先、この悩んでいる部分が解決するとは考えにくい。
となると、転職ということになるのだけれど、それがまだ、先に進まないでいる。
この状況が解決できれば、元気を取り戻せるのである。
と、そう思うのであります。
近い将来に、このこともご報告できれば良いのですが。
いや、そうしようと思うのであります。
それにしても、優柔不断も極まれりで、なかなか思うように進まないですね。
情けないです。
ということで、問題は、何一つ解決されていないのでありますが、ちょっとばかし、気分転換に温泉にでも行ってみようと思うのであります。
もしお時間がありましたら、お付き合いくださいませ。

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