散散歩歩。(1568)生を終わらせる権利を言うのは、不道徳なのだろうか。

あーだこーだ

入院すると、普段、感じなかったことも、時間があるから考えてしまう。

先ずは、ミニボンの献身である。

毎日、仕事が終ってから、病院に来てくれた。

よく、こんなアホで、稼ぎも最低で、凡で、愚で、情けない凡のために、いろいろやってくれるなと思う。

凡が女なら、こんな凡は、絶対に嫌だ。

それと、健康の有り難さである。

改めて説明することもないよね。

でも、再度、実感させられる。

凡のように、後は快復を待つだけ。

食事も自分で出来るという人はいい。

この病院で言うと、デイルームに食事の時間は集められて、見守られながら、介助してもらいながら食事したり、歯磨きしたりしている人もいらっしゃるし、デイルームにも出てこれなくて、部屋で、別のメニューの食材の原形を留めてないようなやつを、スタッフから口に入れてもらっている人。

そう言う人を見ていると、ああいう状態にはなりたくないと思う。

一応、誤解があっちゃダメなんで、書き添えておくと、ああいう状態にはなりたくないというのは、差別したり、バカにしたりしている訳じゃない。

素直に、しんどいだろうし、楽しみも制限されるだろうし、誰だって、なりたくないよねということだ。

凡の両親も、入退院を繰り返してたからね、同じ病院の入院されている人で、もっと悲惨な状況も目にしている。

そんな時に思ったし、今も思うことがある。

これを書くと、これまた、不謹慎だとか、倫理観は無いのかとか言われるかも知れません。

でも、思うんだな。

「自分の命を終わらせる権利は無いのかと。」

患者本人も辛いと思うんだよね。

寝てるだけという苦痛。

肉体的にも精神的にも。

そして、それは何年、或いは、何十年続くか本人も分からない。

それも、時間の経過とともに、状況は、悪くなる。

しかも、認知症になったら、何故、自分がこんなに苦しんでいるのかさえも理解できなくなる。

理由もわからず、ただただ、苦しいだけ。

そんなの生を続けていく意味があるのかね。

自分で、この生をお終わらせる、イコール、悪。

どんな状況でも、一所懸命生きる、イコール、善。

そんな善は、本当に善なのだろか。

勿論、本人が生きたいというのであれば、それは話は別なんです。

その気持を最優先すべきだ。

でも、肉体的にも、精神的にも、もう限界だ、耐えられないという人もいるんじゃないかと思うのです。

というか、認知症になったら、それも分からなくなちゃうんだろうなあ。

凡が若い頃に傾倒していた新興宗教の館長さんは、その当時、自分は青酸カリだったか、とにかく、毒薬を持っていて、もし、将来、ボケて自分で判断出来なくなったり、生き恥を晒すような状態になったら、部下に、もうダメだと言ってくれるように頼んであるとおっしゃってた。

そうなった時は、その毒を飲んで死ぬと。

でも、実際は、毒を飲むことはしなかったし、奥さんを亡くしてから、若い信者さんに、誰々ちゃんがいないと寂しい、みたいな手紙を書いたりしてたそうなので、人間なんて、みんなそんなもんなんだろうと思う。(誰々ちゃん、、、という話は、ネットの噂なので、本当かどうかは知りませんが。)

こんなことを書いてますが、実は、凡も、認知症になるのが怖い。

凡自身の事も忘れてしまって。

今まで知り合ったひとの顔も忘れ。

今まで学んできた事も忘れてしまう。

それらが、全部、凡から剥がれ落ちてしまう。

残るのは、何も知らない凡である。

この世で身につけた善悪という頼りない物差しも知らない凡である。

その凡は、善人なのだろうか、悪人なのだろうか。

出来る事なら、嫌なヤツでない事を祈るばかりだ。

たぶん、どうしようもないエロジジイになっているのだろうな。

でも、切に願うのは、ミニボンの顔を覚えていたい。

ミニボンの声を覚えていたい。

ミニボンと行った街の風景や、ミニボンと食べた美味しいものを覚えていたい。

ミニボンそのものを忘れたくないんだ。

今回の人生、という書き方が正解かどうか知らない。

来世があるのかないのか、凡は、知らないからだ。

でも、この広い世の中で、一緒に居てくれるって、何かの縁だろうし、凡にとっては、奇跡のようなものだと思う。

こんなことを思うのも、今回、脳に血が溜まって、その塊が脳を圧迫する事で、障害というか、不都合の出る病気だったからこそ、認知症になった時のことを考えてしまうのだろう。

退院したら、再発しないように、気をつけなきゃ。

慢性硬膜下血腫は、アルコールの多飲が原因の一つだ。

と分かっているのだけど、退院祝いに、一杯だけと考えてしまうところが凡のダメで愚ば部分なんだろな。

わかっちゃいるけど、やめられない。

ということで、退院してから、3日間、休養ぷらす身体ならしをしたので、明日から、出勤する予定です。

退院の時に貰った処方箋だけど、もっと、効きそうな薬は無いのかなと思ってしまうのは、間違っているのだろうか。

コメント

  1. ゆけむり より:

    自分も自分自身で人生の終わりを決められる方が良いとずっと思っていました
    しかしある時ふと思ったのですが、仮に安楽死が認められた場合、本人は生きたいと思っているのに家族の苦労を無くすために安楽死を選択せざるを得ない
    そんな状況に追い込まれる人も出るかもしれない、そんな事を考えると果たして安楽死を導入しても良いのだろうかと悩んでしまいます

    でも自分は万が一不治の病になったり、あっ、それこそ誤解の無いようにしていただきたいのですが、首から下が麻痺の方や寝たきりの人を差別するわけではなりませんが、自分がそのような状態になったらやはり自分自身で人生の終わりを決めたいと思っています

    それと認知症についてですが、自分も凡蔵さんと同じ思いです
    自分の所に来てくれた連れの事を忘れたくないし、一緒に旅した良い思い出を忘れたくないですし、やはり連れに苦労を掛けたくないって思いが非常に強いです

    それと最近自分自身の終末を逆算し、連れが困らないように色々考えています
    何とか75才まで生きていれば、その年で自分の一生が終わっても連れは何とか生きていけるし、健康ならば多少旅行も楽しめる
    理想は81才まで健康でいる、これがベストとして色々と頑張っております
    いつまで元気でいられるか分からないからこそ、元気なうちにあれこれ楽しめたらと思っています

    凡蔵さんもちょっとアルコールを控えるとかして、お互い健康で旅やグルメを楽しみましょうね!

    • tairabonzou より:

      ありがとう、ゆけむりさん。
      ゆけむりさんの言う、本人は、生きたいけれども、周りに迷惑をかける。
      これは、ありますよね。
      しかも、周りも高齢化したら、老老介護ということになって、その実情は、悲惨ですよね。
      介護される人も、辛くてしかたがないのに、自分では、どうしようもなく、出てくる言葉は、ごめんなさいしかないですもんね。
      それにしても、ゆけむりさんは、すごいですね。
      自分が亡くなっても、奥さんが困らないような計画を立ててられるんですね。
      それは、素晴らしいと思います。
      その計画もそうですが、そう思う気持ちが素敵だと思う。
      実は、わたしも、自分が死んだあと、奥さんは、どうなるんだろうと、それは気になって仕方が無いんですが、
      いい加減な性格のために、その気持ちは、どこかに置き去りにして、日々を過ごしていますよ。
      貯金もなくて、この先、どうなるのかなと言いながら旅行に行ったりね。
      今回、あらためて、健康と、脳の大切さを実感しました。
      でも、アルコールが、、、、。一応、量を少なくしておりますが、断酒には至ってないんですよね。

  2. ゆけむり より:

    凡蔵さん、自分も貯金はほとんどありませんが、75才までの積み立てをしております
    万が一自分が死んだら多少の足しにはなると思うんです
    なので、今現在働いたお金は旅行などで楽しんじゃおうと考えていますが、残念ながら海外は高くてほとんど行かれませんが、今後年金をもらい始めたら多少そのお金を使って行かれたらと思っています
    でもまぁとにかく健康で働けるのが前提なので、最低でも75歳までは頑張りたいと思っておりますm(__)m

    • tairabonzou より:

      ありがとう、ゆけむりさん。
      75歳までの積み立ては、スゴイですよ。
      私は、今の仕事は、アルバイト扱いで、給料は、最低賃金。
      でも、年金を貰い始めたので、だいぶん楽になりました。年金も少ないけど、両方を足したらね。
      というか、お金も大切ですし、健康ですよね、第一段階の目標として。
      せめて、歩けるようにだけはしておかないと。

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