凡が凡である拠り所は、記憶である。
凡の名前も、住所も、そして、家族構成も、凡が脳に記憶しているからこそ、凡自身でいられる。
そして、過去にあった、いろんなことを記憶しているからこそ、凡が凡自身でいられるのだ。
でも、その記憶が、曖昧になった時、思い出せないとき、そこに凡がいたこともまた、曖昧になってしまう。
そして、その瞬間の事実さえも消えてしまうのだ。
なんて、意味不明な書き出しになってしまったが、凡は、今、猛烈に凡の脳みそに不安を抱いているのだ。
ああ、どうなっているんだろう、凡の脳みそ。
と、ここまで書いてしまったけど、その話は、一旦、横に置いておこう。
凡は、堺筋本町の薬屋に向かって歩いていた。
6月にしては、涼しい風が、半袖のシャツを吹きすぎていく。
新しい靴を履いてきたのは失敗だったかな、右足の甲が痛くて仕方がない。
アイフォンの地図アプリで、辿り着いたのが薬局だ。
凡は、薬が大好きなんですよね。
特に、知らない街に行ったら、薬局に入りたくなる。
その地方でしか売ってない薬や、見たことのない薬を見ると、こころ踊るものがあるのである。
今、辿り着いた薬屋は、ネットで見つけた薬屋である。
零売(れいばい)薬局という言葉を聞いたことがあるだろうか。
医療用医薬品には、処方箋が必要な「処方箋医薬品」と、そうでない「処方箋医薬品以外の医療用医薬品」があって、後者を販売しているのが零売薬局というのだそうだ。
凡は、昨年、ハノイに行ったときに、吐き気止めの薬として、ドンペリドンという薬を買った。
二日酔いの時に、飲むためにね。
それが、残り少なくなってきたので、ネットの海外通販ででも買おうかなと思ってた時に、ネットで、零売薬局で販売していることを知った。
ただ、購入にあたっては、薬剤師と相談が必要なのが、市販の薬と違うところ。
でも、それは、スマホのラインで完結するそうなので、それはそれで良いのだけれど、何とも、面倒くさいというか、苦手なのである。
なので、直接、薬局に行ってみることにしたのだ。

ということで、堺筋本町にある零売薬局の「アリス薬局」さん。
名前通りの可愛い外観のドアを開ける。
薬局と言っても薬が棚に並べてあるわけじゃなくて、相談のカウンターがあるだけだ。
中には、若い女の子、、、失礼、若い薬剤師さんが、4人いたかな。
凡は、促されて、カウンターに座った。
そして、話しかけてくれた薬剤師さんを見たら、、、か、か、か、可愛い。
タレントのような派手さは無いのだけれど、ナチュラルメイクで、白衣の似合う、可愛い子なのである。
薬剤師さんなのだから、見た目は関係ないのではありますが、そこは、凡も、年老いたとはいえ、男性であるからして、自然と、鼻の下が伸びてしまうという脳の仕組みになっているようなのであります。
おそらく、凡の鼻の下は、2、3センチ伸びていただろう。
何という言葉を言ったのか忘れてしまったけれど、今日は、どういう薬をお探しですかみたいな言葉をかけてもらったと思う。
なので、吐き気止めというと、どんな理由の吐き気止めかと訊くので、お酒が好きなので、二日酔の吐き気止めの、例えば、ドンペリドンとかと具体的な薬の名前を挙げて説明。
そのドンペリドンという名前で、薬剤師さんも、ああ、と理解したみたいで、薬のリストのファイルを取り出して見せた。
吐き気止めは、数種類リストアップされていたが、内容は、ホームページで掲載されていたものと同じ。
そこで、お話をしながら、2種類ほど、候補として撰ぶ。
折角だから、他にも、良いものがあれば欲しい。
薬のファイルを手に取らさせていただいて、始めのページからみていった。
二日酔と言えば、頭痛も最近はつらいので、それをお聞きしたら、ロキソニンと返って来た。
やっぱり、そうなるか。
ただ、凡も、何度か、ロキソニンとか、イヴとかを服用してみるのだけれど、あまり効いた気がしない。
他にも頭痛薬があったので、これは?と訊いたら、片頭痛用だという。
1度試してみたいと思ったのだが、二日酔とは関係ないと言われて、しょんぼり。
と、このあたりで、凡の鼻の下は、顎を通り越して、喉のあたりまで伸びていたのかもしれない。
二日酔の頭痛には、五苓散という漢方も効くと言われているのだが、これも、あまり効いたためしがない。
ただ、お酒を飲む前に服用すると、少しばかり、次の日が楽だ。
お話をしている間に、ファイルを見ていると、あれもこれも欲しくなる。
この薬局は、10錠とか、20錠とか、箱単位で買わなくても、バラ売りをしてくれる。
なので、少しずつ、いろんな種類を買おうかと思う。
凡は、鼻の下を伸ばしつつも、「薬が、大好きなんですよね。」なんて、凡のことも振ってみる。
「、、、それから、こっちの薬は、、、。」
悲しい。
彼女は、真面目で、親切で、ちゃんと、凡の薬探しに付き合ってくれている。
なので、何の文句もつけようがないのである。
でも、この凡ときたら、もうすでに、鼻の下は、ヘソあたりまで伸びてるじゃないか。
彼女の説明に頷くたびに、鼻の下が、凡のヘソに当って、ペタンペタンと音をたてている。
そんな気持でお話しているもんだから、ちょっとね、「あ、そうなんだ。どんな薬を飲んでるんですか?あ、そんなマニアックなのを飲んでるんだ。」みたいなね、そんな会話を夢見てしまう。
そんなこんなで、いろいろお話をしながら、薬を決めた。


まずは、これを買おうと思ってお店に伺った「ドンペリドン」。
これは、吐き気止めだ。
そのほかにも、胃腸関係に、いろいろと効く。
んでもって、「プリンペラン」。
これも吐き気を止めるのと、そのほかにも、胃腸関係にいろいろと効くようだ。
それから、「タチオン」。
アミノ酸の一種で、肝臓に良いらしく、解毒作用もあるらしい。
それから、「リバオール」。
箱には、肝臓機能改善剤とある。
何とも頼もしい言葉じゃないか。
成分は、ジクロロ酢酸ジイソプロピルアミン 20mgとあって、活舌の悪い凡には、うまく言えない有難い成分名。
これは、毎日飲んだ方が良いというので、1箱買った。
もちろん、買った理由は、肝臓を修復したいという気持なのだが、なぜかしら、凡の鼻の下は、薬局の床に着きそうになっている。
ああ、唇の裏が、床に着いたら、気持ち悪いだろななんて想像しながら、凡は、女の子の説明を聞いている。
まあ、こんなところだろうかな。
可愛い薬剤師さんが、決めた薬を取りに行った。
そして、戻って来た時に、また、欲しくなってきた。
折角だからね。
というか、薬のファイルを見ていたら、あれもこれも欲しくなってしまう。
ということで、ミヤMB(ミヤリサン)の散剤を追加した。
お酒は、腸に悪いからね。
まあ、こんなものだろうか、まだ欲しいものもあるが、この辺にしておこう。
可愛い薬剤師さんが、それではとお会計を始めたときに、カウンターに貼ってあった手描きのPOPを見ていた。
二日酔と書かれたPOPに、4つの薬が挙げられている。
どれも、いままでに飲んだことがあるし、別に要らないかと思っていたのだが、なんせ、目の前に、可愛い薬剤師さんが居る訳じゃない。
少しでも、凡の点数を上げたいからね。
ということで、あそうだ、まだ、間に合うかなと、追加の注文をした。
「ウルソデキシコール酸錠」と、「タウリン」の散剤、そして、顆粒の「五苓散」と「黄連解毒湯」。
五苓散は、さっき、可愛い薬剤師さんに、五苓散って、あまり効かないしねなんて、話してたとこなんだよね。
なのに買ってるんだもん、恥ずかしいよね。
でもまあ、飲む前に服用すると、いささか、調子が良い時もある。
最近では、タウリンは、ガンに効くという噂もあるしね。
そして、そうだ、痩せる薬は無いのかなと思って、それを聞いたら、横に座っていた別の薬剤師さんも手伝って、カウンターに置かれた箱を示した。
そこには、如何にも高そうな箱が置かれている。
成分は、Lカルニチンと、それから、なんとかと、なんとか。
その説明も、そこそこに、御断りをした。
危ない、危ない、あれは、かなりの金額だっただろうね。
ということで、今度こそ、お会計。
2万1千円とか、そんな感じだった。
高いだろうとは思ったけれど、それ以上の値段に、鼻の下が、シュルシュルーっと、オヘソあたりまで縮んだ。
凡は、ちと、アホだったか。
ちとじゃないな、結構なアホだったのね。
会計を終わると、凡も可愛い薬剤師さんも、微妙な沈黙が続く。
あれ?あれ?あれ?
どうしたらいい?
凡の夢は、これで仕事の話も終わったんだから、何か、ちょっとしたことをお話したいじゃない。
「そうなんですね、凡ちゃんも、みゆきさんが、お好きなんですね。わたしも、大ファンなんです。」
「そうなんだ。いいよね、みゆきさん。」
「でも、DVDとか見るんですけど、ひとりで見るのって、なんか、詰まんないですよね。」
「ですよね。」
「あ、そうだ。あたし、1週間前に、おっきなテレビ買ったんです。良かったら、一緒に、見たりしませんか。、、、あ、やだ。女の子から誘ってるみたいで、恥ずかしい。」
「大丈夫ですよ。うん、今度のお休みに、一緒に見ましょう。」
、、、なんてね、そんなお話があってもいいじゃない。
と、またしても、アホな妄想を書いておりますが、女の子を口説くのに、大切なみゆきさんを方便に使っちゃイケマセンね。
ごめんなさい、みゆきさん。
ということで、凡と薬剤師さんは、相対して言葉が出てこないのですが、薬剤師さんにとっては、今までの一連の凡とのやりとりは、あくまでも、仕事だということなのかもしれない。
そうだとしたら、「じゃ、薬を服用して、具合が悪いようなら、また、連絡してくださいね。今日は、ありがとうございました。」とか何とか、そんな会話で、凡を終わらせてほしい。
でも、何となく、変な間があって、え?終り?みたいな感じなので、仕方なく、凡の方から、「また、来ます。」と声を掛けて店を出る。
出るときに、鼻の下を、ドアに挟みそうになって、ああ危ない。
外に出ると、何故か、鼻歌がくにつく。
(童謡 ぞうさんの替え歌にて)
♪♪ 凡ちゃん、凡ちゃん、鼻の下が長いのね、そーよ、可愛い子を見て、伸びたのよー ♪♪
凡の鼻の下が、6月にしては涼しい風で、ぷらりん、ぷらりんと揺れている。
っていうか、またしても、アホな妄想をしてしまったじゃないか。
まあ、なんだかんだ言って、欲しかった薬も変えたので、まずは、大阪にまで出てきた甲斐があったということだろう。
いやあ、それにしても、可愛かったなあ。
、、、、あれ?
凡は、あることで、愕然とした。
今さっき、あんなに鼻の下を伸ばしていた可愛い薬剤師さんの顔を思い出すことができないのである。
いやいやいや、ついさっき、1分前の出来事だよ。
1分前まで、凡の前に座ってたんだよ。
それで、可愛いって、鼻の下を伸ばしてたんだよ。
それを思い出せないとは、どういうことなの。
顔を記憶数のは、右脳だろうか。いや、今は、そんなことは、どっちでもいい。
ああ、どうしちゃったんだろう、凡の脳みそ。
ここで、この文章の冒頭の、独り言なのである。
女の子の顔を思い出せないということは、記憶が消えてしまったということだ。
記憶が消えてしまったということは、即ち、女の子が、存在していないこととイコールになってしまうのである。
そして、いつか、凡自身の記憶もなくなってしまって、凡自身が消滅してしまうのだろう。
ああ、寂しいものである。
、、、そうだ、頭に効く薬、どこかに売ってないか、探そうかな。
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