平 凡蔵。の 創作劇場

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散散歩歩。(1951)歌会Vol.1劇場版で、放心状態の凡。

アイラブユーみゆきさーん

なかなか進まない台北旅行のブログの途中ではありますが、今日の休みの話を先に書こうかなと思っております。

言い訳をするなら、たとえアルバイトとはいえ、12月は、さすがに忙しく、このところ12時間勤務が続いておりまして、それにプラスして、通勤時間を入れると、ブログを書く時間が無いのでありまして、(ビールを飲まなければ、そして、寝なければいいじゃないかという考えもありますが、そこは、置いておいて。)遅々として進まないのであります。

んでもって、今日のお話と言うのは、みゆきさんの映画の話でございます。

今年の1月から始まった中島みゆきさんのコンサート「歌会Vol.1」の劇場版の映画が、2日前の27日から公開されています。

今年初めのコンサートについては、凡も、申し込みを何度も繰り返したけれども、ほとんどが、落選。

東京で、2回だけだった。(1度も行けてない人、ごめんなさい。)

その行きたいと思いながら、落選が続いたコンサートの映像の歌会の劇場版なわけだから、当然、行きたいよね。

ということで、本日、行ってきましたーーーーーっ。

11時からの開演なので、30分ぐらい前に到着。

年末の日曜日とあって、入り口付近は、かなりの人である。

まずは、チケットを購入しなきゃ。

画面を見ると、なかなかの入りじゃないですか。

凡は、通路より前にある3列の最後列にした。

ふと隣の機械の前に立つ年配の男性を見かけて、年齢的に、ああ、凡と同じなんだなと思う。

みゆきさんを見に来たのだろう。

と、思ったら、男性の画面に表示されているのは、まさかの「忍たま乱太郎」。

いや、凡は、見たことが無いのだけれど、それ面白いのだろうか。

子供と一緒に来たのかと思ったが、チケットを買ってからの行動を見ていると、このおっちゃん一人で見るようだ。

なんか、説明できないけど、おっちゃんに負けたなと思った。

まあ、そんなことは置いておいて、みゆきさんの歌会の映画である。

さて、入場の案内がアナウンスされたので、8番シアターへ。

若い女の子が行列してた嵐の入り口。

トイレに行ったついでに、となりの会場を見ると、入り口に長蛇の列。

なんだろうと思っていると、入り口にある案内板の写真を撮っている。

何の映画?と思ったら、嵐のコンサート映画だった。

どおりで、女のばかりなんだ。

そういえば、ドリンクのカウンターに、ピンク色の振袖を着た若い女の子がいた。

「か、か、かわゆいーーー。」と思ったのだけど、嵐のコンサート映画に来た子だったんだね。

でも、いいじゃない。

推しの映画に行くのに、振袖なんてさ。

昔は、お気に入りの役者のお芝居を見に行くときは、ちょっと、ええしの奥さんたちは、おしゃれして出かけたりしてましたよね。

まあ、凡には関係ない話ですが。

今の若い子にも、そういう気持ちがあるのが、なぜか嬉しかった。

それにしても、可愛かったな振袖の女の子、、、、ごほごほ(咳)。

まあ、そんなことは、置いておいて、みゆきさんの歌会の映画だ。

ちなみに、みゆきさんの会場の入り口。

そして、歌会の映画が始まる。

始まると、結構なアップのみゆきさんがスクリーンに映し出される。

その大きさに、ドキリ。

アップだからさ、唇なんかも、アップなんだよね。

しかし、いつも思うのだけれど、女性の口や、映像では、口の中まで見えちゃうわけなんだけど、今の凡のように、しげしげと見つめて良いものなのだろうか。

大きく口を開いて歌う時なんか、あのお口の中に、吸い込まれたくなるよね。

んでもって、まあ、口の中は、いいよね。

しっとりとして、柔らかくて、なんしか、みゆきさんのお口の中な訳だから、まさに、男性にとっては、天国だ。

そして、吸い込まれた凡は、食堂を通過するよ。

ただ、食堂あたりになると、あまり、楽しくはないよね。

だって、みゆきさんを眺められないもんね。

そして、胃を通過して、小腸へ行くね。

そのあとは、大腸だ。

まあね、いくら、みゆきさんだとしてもさ、大腸の中は、勘弁してほしいな。

たとえ、みゆきさんでも、大腸の中は、結構、臭いんじゃないかと想像できるじゃない。

そう思うのは、凡のみゆきさん愛が足りないのだろうか。

そして、最後に、肛門を通って、再び、この世界に帰ってくる。

まあ、同じ臭い場所であっても、肛門は、ちょっと嬉しい気もするな。

というかね、まあ、そんな無駄な妄想は置いておいて、歌会の映画だよ。

やっぱり、今回の、歌会のみゆきさんは、可愛いということに尽きる。

垂らした前髪も可愛いし、メガネも可愛いし、お衣装もフェミニンな感じで可愛いし、もう、全部、可愛い。

ただ、お靴だけは、黒のブーツだったのが、残念というか、何といっても、みゆきさんのコンサートのピンヒールは、大好きななんだもん。

黒のブーツは、思わず、「坂本龍馬かーい。」とツッコミを入れそうになったよ。

でも、まあ、黒のブーツも、みゆきさんが履くと、可愛いな。

今回もまた、みゆきさんの映画を見ていると、原因不明の病、みゆきさんを見ると眠たくなるという病が発病したのではありますが、まあ、映画なので、その状況も楽しみつつ、みゆきさんのお顔を、ただ、うっとりと眺める。

至福の時間である。

そして、あれ?みゆきさんのあごに、ほくろあったっけとか、そんなことを思いながら、見ていた。

(あごのところに、ほくろみたいなのが見えたんだよね。)

みゆきさんの映像に関しては、もう、すべてが素敵だった。

そして、可愛かった。

ただ、映像の撮り方、編集の仕方には、いささか、疑問が残る。

一体、何を、この映画を見に来た人に、見せたいのか、伝えたいのかが、そこを詰められていない。

あのね、凡は、みゆきさんを見たいんだよ。

でも、オーケストラの人の映像を見たくないと言っている訳じゃ決してないんだ。

古川望さんのギターを、なんともいえない表情で弾く映像もあっていい。

ちょっと矛盾するが、バイオリンの牛山玲名ちゃんが、今回は、アップで映ってましたよね。

あれは、なかなか良かったな。

まあ、そんなことは置いておいて、というか、映像の撮り方の話だった。

凡は、みゆきさんを見たいんだよ。

そこで、お願いだから、これは止めてほしいと思ったのが、「リトル・トーキョー」と、「野ウサギのように」の間奏の時だ。

リトル・トーキョーは、はっきりとは覚えてないが、間奏の時に、ちょっとは、踊りっぽいことをしたはずだ。

野ウサギのようにの時は、今回の映像でも、チョキチョキと切り貼りした映像の中には、みゆきさんの踊りは映っていたけれども、切り貼りの途中に、オーケストラの映像が、何度も挿入されいている。

あの場面、ずっと、みゆきさんの映像を、どうして流してくれないのだろうね。

あの野ウサギの踊りぐらい可愛いものはない訳で、それを見たいのよ。

きっと、凡以外の人も、あのみゆきさんの踊りを見たいと思っている人は、決して、少なくはないはずなんだよね。

ということで、今回の歌会の映画で、不満だったのは、そこだけかな。

あとは、みゆきさんが見れるんだもの、みゆきさんが、映っていて、歌っていて、そして、笑顔が見れれば、それだけで、大満足なんだ。

個人的に、いいなと思ったのは、「紅い河」の時のお衣装。

今年、ハノイに行ったばかりなので、どうにも、みゆきさんのアオザイが、萌えでありました。

それと、「地上の星」の時のお衣装なのだが、腕のところがひらひらした感じで、長いところは、7分袖ぐらいあるのかな。

歌っている時に、みゆきさんが、腕を大きく上にあげたときに、その袖がひらりと下に落ちてきて、みゆきさんの白い二の腕が露わになる。

あの、白い二の腕は、最高に、美しかった。

と、これまた、イヤラシイ目線の凡であります。

ということで、夜会の映画が、終わった。

今回は、初めにエンドロールの後にも映像がありますと予告されていたので、楽しみにして待つ。

その特典映像というか、メイキングというか、みゆきさんの曲「倶に」(みゆきさんのホームページで、この曲名が書かれている時は、「*「倶(とも)に」の「倶」は本来、旧漢字になります。」と、いつも脚注がはいるけれども、どうして、あれ、旧漢字にしたんだろうね。)の曲が流れて、その曲の流れている間、メイキング映像が無音で流れる。

このメイキングの時の、みゆきさんの可愛さったら、もう、完全にやられてしまったよ。

美しい、可愛い、カッコイイ、、、、いろんな素敵な要素が、ぎゅっと詰まった映像というか、みゆきさんの姿だった。

どっちかというとさ、このみゆきさんの方が、媒体で載る写真より、ずっと、可愛いし、美しいと思うんだけどな。

まあ、媒体の写真も、みゆきさんが、その方がいいと思ってるなら、それでいいんだけどさ。

それに、メイキングのバックの曲が、「倶に」というのも、コロナ騒動の終わった今の時期のみゆきさんのメッセージが込められているよね。

会場のみんなをバックに、みゆきさんを合成したところなんて、そのメッセージを、より分かりやすくしてたもんね。

まあ、凡には、メッセージより、みゆきさんの映像が、撃ち抜かれてしまったわけで。

もう、この最後の映像を見るだけでも価値がある。

映画の終わった凡は、何か、放心状態というか、気持ちぼんやりとして、

お昼ご飯でも食べて帰ろうと難波の街を歩きだす。

しかし、ぼんやりとした気持ちで、なんばを歩くのは、危険だと、このあと知ることになる。

年末の日曜日は、もう、人だらけで、お店も、行列が出来ている。

ちょっと、離れるつもりで、黒門市場の方に歩いて行ったら、洋食屋さんがあった。

入ると、年配のお姉さんがいて、厨房には、息子なのか、孫なのか、男性のシェフが、真っ白なシェフが着る調理着と、真白なシェフのかぶる帽子の格好で、小窓の向こうで料理をしている。

来ている人を見ると、わざわざ来たようで、人気のお店なのだろうか。

んでもって、注文を取りに来てくれるのかなと思ったら、後に入ってきたお客に、先にオーダーを聞いている。

まあ、それはいいじゃない。

凡も急いでないし、お姉さんも結構なお年に見えるから、そこは、別に構わない。

んでもって、凡のオーダー。

洋食のお店で、幕の内というのも珍しいなと思って、注文すると無いという。

それならと、ハンバーグとエビフライのランチにした。

んでもって、少しばかり待って、提供されたのが、サーロインステーキとエビフライというセット。

年配のお姉さんに、これ頼んだのと違うよと言うと、伝票を確認しに行った。

確かに、間違っている。

でも、年配になると、こういうこともあるさ。

というか、作った厨房の真っ白な作業着のシェフが間違ってるんだよね。

でも、「ほかに、そのメニューの人いなかったら、それでいいよ。」と、お姉さんに言った。

料理が間違ってるけど、そして、ステーキの方が高いけど、もう作っちゃってるからね。

普通なら、間違っていたら、「すいません。」とか、そんな言葉がひとつぐらい出てきてもいいよね。

年配のお姉さんは、あまり言うと、可哀想なので、いいとして、作った若い真っ白な作業服を着たシェフは、小窓の外からでも、「お客さん、ごめんなさい。」ぐらいの言葉があっても良いと思うんだけど。

まったくもって、知らんぷり。

なんとなく、それで良いと言ったことが、無駄になった気持ちだ。

間違っていたことに、すいませんの言葉を期待するのは、欲張りなのであろうか。

そして、サーブされたサーロインステーキなるものを、一口、口に入れたら、今作ったとは思えないぐらいの温度。

冷たくはないが、常温になる寸前の温度。あと、1分遅かったら、コンビニ弁当と同じ冷めた肉だよ。

それに、形もサーロインに見えない感じで、かつ、油脂を注入した肉のようで、食感が、ゴムゴムだ。

エビフライは、これまた、身が細い。

ということで、まあ、お腹が空いてたから、全部、頂きまして、1250円を払って、店を出る。

その時、小窓の向こうから、「ありがとうございました。」と声があったが、もう来ることは無いなと思いながら、壊れた自動ドアを手で開けて店を出る。

ああ、ぼんやりとした気持で、放心状態で、なんばで、店を探すべきじゃないなと反省。

まあ、そんなことがあったけれども、そんなことで、凡の放心状態は解けないのでありまして。

御堂筋を、なんばから、淀屋橋まで歩いて帰る。

ああ、何かの間違いで、みゆきさんが、大阪に来ていて、御堂筋あたりを散歩していないかななんて思うのは、まだまだ、頭がぼんやりしている証拠ですね。

家に帰って、放心状態で、ブルーレイとCDの予約をした。

そして、思った。

ひょっとして、映画、ブルーレイとCDの発売ときたら、あとはまた、来年あたり、コンサートっちゅうこともあるのかもしれないね。

と、放心状態で考える凡なのでありました。

ということで、なんか、内容の無い、うだうだと、ただ、可愛かったということを書き続けた文章になってしまいましたが、これも、放心状態のなせるわざでありまして、どうも、ごめんなさい。

期待してなかったけど、入り口でカレンダーもらった。

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