今年の前半のメインイベントであったところのみゆきさんのコンサート歌会も終わってしまった。
というか、随分と、昔の出来事のように感じられる。
次に、みゆきさんを見ることが出来るのは、来年だろうか。
みゆきさんとの接点が薄くなってしまったことで、空虚な時間を過ごしてしまっているこの頃であります。
そんな中で、大阪で開催が始まったイベントがある。
「中島みゆき展」だ。
ちょっと前までは、東京で開催されていて、ファンの方が、「行きましたーっ。」みたいな投稿をツイッター(X)に上げておられるのを拝見した。
どんな内容なんだろうと、興味はあったけれども、わざわざ、大阪から行こうとは、思わなかった。
いや、行ってみたい気持ちは、大いにあったのだけれど、どんなことをしても行ってやろうというところまでいかなかった。
何故かというと、そこに、みゆきさんはいないからだ。
そんなことを言うと、凡ちゃんのみゆきさんへの恋心も、その程度かと言われそうだ。
以前、みゆきさんの抽象度を上げていったら、どこまで、そこに、みゆきさんを感じられるだろうかということをブログに書いたことがある。
みゆきさんの顔に、モザイクを、かけていくんだけど、軽く掛けるぐらいだと、誰が見ても、みゆきさんだと解る。
そのモザイクを、だんだん、大きくしていって、例えば、みゆきさんの顔を、4コマぐらいのブロックにした時も、そこに、みゆきさんを感じられるぐらいに凡は、みゆきさんを感じられるんだ、ということを言いたかった。
そして、みゆきさんの顔にモザイクを掛けて、そのモザイクを、1個のブロックまで抽象化した時に、そこに、みゆきさんを感じられる。
そこまでいくと、ありとあらゆるものに、みゆきさんを感じられるようになるのである。
もし、お時間がありましたら、過去のブログも読んでみてくださいね。
(みゆきさんのモザイクに関して書いているのは、ブログの後半部です。前半は、飛ばしてね。)
そんなことを書いたのでありますが、今はもう、中島みゆき展にさえ、みゆきさんを感じることが、困難になってきてしまっている。
老化!
そういうことだろう。
身体的だけでなく、こころの、そして、愛の老化に違いない。
とはいうものの、その中島みゆき展が、大阪で開催されるとなると、そこは、行ってみたいよね。
ということで、先日(7月9日、火曜日)、中島みゆき展に行って参りました。
10時30分頃、梅田のグランフロント大阪北館に到着。
中に入ると、まずは、壁に年表が貼ってある。
成る程と、まずは、みゆきさんの誕生を見てみると、「北海道札幌市に生まれる」とある。
今まで、凡は、みゆきさんは、帯広のお父さんのやってられる産婦人科で生まれたのだと思っていたのです。
でも、他の文献などでも、札幌出身だと書かれていたりする。
ずっと、疑問に思ってたことなのだけれど、改めて、札幌に生まれるとあるのだから、札幌なのだろうけれど、その辺のところ、ホントの事を知っておられる方がおられたら、教えて欲しいなと思う。
まあ、生まれたところなんて、どうでも良いことなんだけれど、何か、もやもやするところでもあるんですよね。
そして、2012年は、凡が、みゆきさんを好きになってしまった年だ。
この年に、初めて、ひとりで、コンサートに行ったんだよね。
「縁会」である。
そして、期待に胸を膨らませて会場に行ったら、肉眼では、顔さえも認識できないぐらいに見えないことに衝撃を受けた。
すぐに、双眼鏡を買いに行った。
年表の反対側には、時代時代の歌についての説明が書かれている。
勿論、凡は、読まない。
だって、みゆきさんの歌を分析しようとは思わないからだ。
それより、年表の上に貼られたレコードのジャケットのみゆきさんを見て、ウットリ。
そして、その先には、今回の目玉とも言えるイベントをやっているエリアがあった。
みゆきさんのレコードを、リクエストすれば、その曲を、ヤマハさんのプレーヤーでかけてくれるのである。
凡は、リクエストはしなかったけれど、やっぱり、スピーカーで聴くみゆきさんは、素晴らしい。
いつもは、アイフォンに入っている曲を、ブルートゥースの安いイヤホンで聞いているのだけれど、音の広がりや、響き方が、全然違う。
音に詳しくない凡でも解るくらいだ。
その次のコーナーは、やすらぎの郷や、アスタリフトのCMの映像が、映し出されている。
CMのみゆきさん、可愛いね。
ここで、1番の見ものは、みゆきさんが、夜会「リトル・トーキョー」で着た衣装が展示されていることだ。
近くに寄って、まじまじと見る。
みゆきさんって、こんなに細かったんだね。
チョーカーを見ても、輪っかが細いし、腕のところも、袖が細いんだよね。
そして、身長的には、凡が、抱きしめると、ちょうど良いぐらいの身長だろうか。
って、何を言ってるのか。
みゆきさんの衣装は、撮影不可とあったので、写メは断念。
それにしても、どうして、撮影不可なんでしょうね。
ヤマハさんが協力してやっている展示会な訳で、別に、他の人に所有権とか、版権とかある訳じゃないのにね。
それに、衣装を守るように被せられた分厚いガラスのケース。
まるで、会場に来ている人は、衣装を見たら、何か、悪さをするというのを前提にしているようで、悲しい。スタッフが近くに立っているんだからさ、それだけで、いいやんね。
凡が、会場の企画を任されたら、ガラスケースなんか、取っ払っちゃって、そうだな、衣装の後ろに、大きな扇風機を置いてね、緩やかに風を送るよ。
どうぞ、風下で、みゆきさんの衣装の匂いをご堪能ください、みたいなね、仕掛けをしたいな。
、、、「凡ちゃんって、ヘンタイ!」みたいな声が聞こえてきそうだが、思うに、みゆきさんが好きな人の8割ぐらいは、ヘンタイじゃないかと、凡は、こう見ている。いや、こう書いても、たぶん、反論は来ないはずだ。
凡は、8年ほど前になるのだけれど、山形県の鶴岡市にある大日坊というお寺に行ったことがある。
最強のお守りを買うためだ。
そのきっかけとなったのは、超ムーの世界という番組で、サイキック芸人のキックさんが、その大日坊には、最強のお守りがあると紹介されていたからだ。
その話をされたときに、奇しくも、出演されていた、UFO超常現象研究家の並木さんも、同じ最強のお守りを持っていたのだから、最強という形容詞も、あながち、間違ってはいないだろう。
んでもって、その大日坊には、真如海上人さんという即身成仏をされた仏様(平たく言うと、ミイラ化した偉いお坊さん)がいらっしゃって、何年かごとに、その衣装を取り換えるのだけれど、その着ていた衣装の切れ端を、お守りとして、みんなにお分けされている。
それが、最強のお守りである。
そんな事を思い出すと、これまた、みゆきさんの衣装について、思うことがある。
みゆきさんだって、不老不死の身じゃない。
あと、100年も生きられないのである。
いや、凡も生きられないし、中島みゆき展に来ている人も、いくら若いファンも来ているとはいえ、100年は、生きていられないだろう。
それならば、この衣装を、有効活用してもいいじゃないのと、思うのであります。
衣裳を、1センチぐらいに切り刻んで、その一片を、みゆきさんお守りとして、みんなに分けたらどうだろう。
ドレスの裾の部分なら、1000円とかね、腕のところのレースなら、5000円ぐらいか。
大切な胸の膨らみあたりは、1万円ぐらいが妥当か。
お守りのご利益は、ヘンタイ度が、大いに上がるということだろう。
きっと、みんな、そのお守りを大切にするだろうし、辛いことがあったときも、それで乗り越えられるかもしれないし、若い子なら、立派なヘンタイに育つだろう。
と、これまた、気持ちの悪い事を書いているのではありますが、どうもね、この衣装に限らず、100年とは言わないよ、50年後かもしれないし、その年数は解らないけれど、いずれ、みゆきさんを、誰も知らない人ばかりになった時に、この衣装が、知らない内に、焼却されたり、ゴミとして捨てられたりすることを想像したら、切なくなってしまう。
衣裳だけじゃなくて、みゆきんの周りにあるものすべてにいえる。
物として存在している物には、必ず、それを手放さなければいけない時が来る。
凡の親が死んだ時もそうだ。
誰もいない部屋にあった、普段使っていた何気ない物が、実に、愛おしく思えたけれど、それらを、ずっと、置いておくことも出来ずに、業者に処分してもらった。
これで、凡が、死んだなら、それらの物が存在していた事実も、無意味になって、消え去ってしまう。
みゆきさんも、同じだと思うんだよね。
と、みゆきさんの衣装の展示から、話が、だいぶと、逸れてしまいましたので、中島みゆき展に、もどさなくちゃね。
そして、最後のブースは、みゆきさんの歌詞を、布に印刷をして、天井から、ぶらりんと垂らしてある。
それで、どうするの?という感じではある。
ここが最後のエリアなので、このまま出てしまうのは、なんだか、寂しいので、また、レコードをかけているところに戻って、立ったまま、歌を聴いたり、衣装を、これまた、じろじろと見たりしてみるが、スタッフの女の子の視線も気になるところで、何度も、行ったり来たりするのは、恥ずかしいので、会場を出る。
グッズコーナーになっているのですが、今回は、マグカップも、タオルも、みゆきさんのシルエットがデザインになっているので、もひとつ、欲しいとは思えないものばかりだ。
とはいうものの、手ぶらで帰るのもなんなんで、フリスクみたいなものを購入。
ケースに、みゆきさんのシルエットが印刷されているのだけれど、これで、1000円は、あまりにも、ケースの作りと、フリスクの入れ方が雑すぎる。
とはいうものの、その雑に作られた、シルエットしか印刷されていないフリスクのようなものを、まあ、大切に持って帰ったのではあります。
ということで、今回の、中島みゆき展は、レコードをスピーカーで聴けて良かったのと、みゆきさんの衣装を、じろじろ見ることが出来たのが良かった。
それと、この会場にいる人たちは、みんな、みゆきさんが好きなんだなあと思うと、何か知らないけれど、優しい気持ちになってしまったよ。
その他は、これといって何も無し。
というか、こんな展示より、どちらかというと、写真展を、開催してくれないかなと思う。
メイキングとか、そんな時の写真とか、見たいな。
ということで、中島みゆき展の感想は、これでお終い。
折角、梅田に出て来たので、大阪駅のいかりスーパーで、パイドーナツを購入。
これ、大好きなんです。
最近、巷で、焼きドーナツとか、焼きカレーパンなるものを見かけることがありますが、あれは、極めて、ナンセンス!
油で揚げて美味しいものを、どうして、わざわざ、揚げないで、美味しくないように作るのだろうか。
凡は、絶対に、食べない。
それに比べて、このパイドーナツは、噛むと、油が滴るぐらいに、油が廻っています。
んでもって、白砂糖を、たっぷりと振りかけてある。
やれ、砂糖がどうのとか、油のカロリーがとか、身体に悪いとか、そんなことを、声高に言われる方もいらっしゃるかもしれませんが、美味しいものは、美味しい。
それを、価値基準にして、食べることも、こういう喜びもあっていいんじゃないかと思う。
他にも、美味しいスイーツを売っているのだけれど、今回は、パイドーナツだけ。
さて、お昼時分なので、ランチでも食べて帰りましょう。
安い鰻を食わせるお店と言ったら、「宇奈とと」さんだろう。
すき家とか、牛丼店でも、うな丼は提供されているけれども、そして、凡も、食べるのだけれど、あれは、パウチになったのを湯煎して丼にしている(と思うのだけど、違ったら、ごめんなさい。)ので、確かに、うなぎは、中国産で、皮がぶよぶよしてると雖も、コストパフォーマンス的に、充分に満足できる一品ではあるが、何となく風味に、物足りなさを感じてしまう。
焼いた時の少し焦げた香りが無いのである。
それに比べて、宇奈ととさんは、中国産だろうけれど、(これまた、違ったら、ごめんなさい)炭火で焼いているので、表面の香りが、どうにも、食欲をそそるのである。
ということで、梅田から、淀屋橋に向かう途中のお店で、うな丼ダブルと、うまき、そして、お昼だけれども、生ビールを頂いた。
最近、休みがあっても、ごそごそとやっている間に、1日が終わってしまい、すぐに、次の日が来てしまうという、どうにも、だらしない生活をしておりまして、今日の様に、梅田に出て、中島みゆき展を見て、お買い物をして、ランチを頂いて帰るというのは、ほぼ、何もしていないのと同じなのではありますが、少しばかり、楽しい時間でもあったわけでありました。
ああ、中島みゆき展も、いいけれど、やっぱり、早く、コンサートなどを開催してくれないかなと、京阪電車に揺られて帰る凡でありました。
コメント
パイドーナツですか?
しかもレーズン入りとなっていますね
自分も揚げるの大賛成です
焼きカレーパンも食べる時はありますが、やはり普通に揚げたカレーパンの方が美味しいですよね
このパイドーナツってのもパイ生地でドーナツって事なんでしょうか?
聞いただけで美味しそうです(こっちには売っていません)
宇奈ととのうな丼、自分も大好きです
ここのところ食べてないけど(近所にお店が無い)たまには食べに行きたいです
あっ、ここのところ真面目に働いているので、なかなか時間が取れないんです
取れないとか言ってないで、頑張って時間を作らないと楽しめないんですけどね・・・
ありがとう、ゆけむりさん。
パイドーナツ、美味しいんですよ。
一度、ゆけむりさんにも、食べて頂いて、感想を、お聞きしたいところですが、
イカリスーパーは、関西にしかないんですよね。
パイといっても、生地を折り込んだ感は少ないです。
どちらかというと、パンという感じ。
でも、油がじゅわりと、しみ込んで、砂糖が振りかけられていて、実に、身体に悪い感じです。
でも、買ってしまうんですね。
JR大阪駅にもありますので、大阪に来られたら、ちょっと、覗いてみてくださいね。
鰻と言えば、関東風の蒸して焼いたのが、ふっくらとしていて、大好きです。
でも、最近、国産のは、ビックリするほど、高いですよね。