平 凡蔵。の 創作劇場

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散散歩歩。(962)「結果オーライ」ラストツアー・金沢編。(5)

1月20日(月曜日)。
中島みゆきさんのラストツアー「結果オーライ」を見に、金沢に来ている。
もう、第1幕を見ただけで、すっかり心とろけてしまった凡は、第2幕が始まるのを待っていた。
ブザーが鳴った。
んでまた、ここから曲名などのネタバレ的な話がありますので、少しスクロールお願いいたします。












幕が開いて、みゆきさんが現れる。
2幕の衣装は、これは説明が難しいが、派手な着物のようなスタイルの、腰から下の裾を短くカットしたもので、髪は、右肩の方に流している。
んでもって、下は、ややぼやけた記憶だけれど、黒のパンツだったかな。
如何にも、舞台の衣装と言う派手なものだ。
凡的には、1幕の方が、可愛いなと思うけれども、これはこれでスタイリッシュなのかもしれない。
第2幕の1局目「離郷の歌」。
いつもテレビで「やすらぎの刻~道」を見ているので、ことさら感慨深い。
凡は、双眼鏡でみゆきさんを、これまたジッと見る。
みゆきさんは、これまたジッと見られる。
人が人をジッと見る行為自体は、日常でもよくあることだ。
恋人同士は、喫茶店でも、お互いに見つめ合って時を過ごすだろう。
でも、一方だけが、もう一方を、勝手に、ジッと見る行為は、或いは、デリカシーの無い行為であると言えるのかもしれない。
しかも、ジッと見る相手は、女性だ。
これを街中でやったら、きっと、気持ち悪いと思われるだろうし、ひょっとしたら、警察に通報されるかもしれない。
まあ、凡も、街中や、電車の中で、可愛い女の子がいたなら、ジッと一方的に見てしまうかもしれない。
でも、それは一瞬だ。
こんな風に、2時間もの間、ジッと見続けることはしない。
みゆきさんは、このジッと見られるということについて、どう思っているのだろうと、思うことある。
嫌なのか。
嬉しいのか。
どうでもいいのか。
みゆきさんは、ずっと昔からスターだったから、見られることについては、慣れているのかもしれない。
それに、見られたくない人は、ステージに上がらないだろう。
或いは、「みんな、あたしの歌を聴きに来てくれた。」なんて思っているのかもしれない。
それなら、見られても平気だ。
でも、凡の様に、些か、イヤラシイ目で、ジロジロ見ているとは、みゆきさんは、認識しているのか、どうなのか。
しかも、見られている部分は、女性として見られたくない部分に違いない。
顔や、首筋、腕、手のひら、胸、、、ゴホゴホ、否イヤラシイ意味では無くね、否、イヤラシイか、んでもって、腰や、足、足首なんかを、ジロジロ見る。
そんな気持ちで見ていると、みゆきさんが知ったなら、嫌われてしまうのかもしれないな。
凡は、みゆきさんのコンサートを初めて見た時は、東京フォーラムの2階席だったから、まずもって、顔の判別も出来ないぐらい見えなかった。
なので、次の時から双眼鏡を愛用しているのだけれど、果たして、双眼鏡で女性を見るという行為は、やって良いことなのだろうかと自問したことがある。
自分の好きな女性を、双眼鏡でジロジロ見るなんて、やってはいけない。
例えば、これが100メーター先であっても、もしこの空間の距離を無視して考えたなら、かなりのハレンチ行為に違いない。
んでもって、凡は、今J列というステージから10列目の、会場で言ったなら、結構に近い席で見ている。
それでも、静かに双眼鏡を取り出して、静かに目に当てた。
みゆきさんが見える。
そして、みゆきさんの唇などをジッと見る。
そして、思う。
欲望には勝てない。
どうにも、意思の弱い凡なのであります。
みゆきさんをジッと見るためなら、凡の品格を下げても良いから、双眼鏡を使いたいのであります。
もともと、凡の品格なんて、下の下の下である。
でも、みゆきさんには、下なんて思われたくない。
でも、欲望に勝てずに、下の行為をしているのである。
ごめんなさい、みゆきさん。
出来ることなら、みゆきさんが、見られたがり屋、或いは、見られ魔であって欲しいと切に願う。
ステージで、歌うみゆきさん。
んでもって、そこでみゆきさんは思う。
「あら、嫌だあ。あの男性、あたしの脚を見てるわよ、そうなの、そんな見たいの、いいわよ見ても。あら、あっちの子、男子学生かしら、あたしの胸を見てるじゃない。解ったわよ、見なさい。どう、あたしの胸。きっとあの子、興奮してるわね。うふふ。あら、あっちのオジサン、あたしの腕の血管を見てるのね、相当なヘンタイさんね。きっと、あたしの腕をなでなでしたいなんて思ってるわ。おっと、オサワリは、ダメよ。あら、あそこに凡ちゃんがいるじゃない。いやだ、そんなにジロジロ見ちゃ。あ、でも凡ちゃんに見られたら、、、、カ・イ・カ・ン。」
なんて、思っててくれないかな。
それなら、ジッと見ても許される気がする。
まあ、最後の「カ・イ・カ・ン。」の部分は、凡の希望的妄想ではありますが。
いつか、凡が、みゆきさんのコンサートを見に行って、たとえ最後列でも、ゆったりと座って、目や耳で、みゆきさんを見たり聞いたりするのじゃなくて、こころと、こころでみゆきさんを感じることが出来たら、どんなにか素敵な事なのだろうね。
おっと、そんなことを考えている場合ではない。
今は、みゆきさんのコンサートなのだ。
集中である。
2曲目の「この世に二人だけ」だ。
いつも、この歌の時は、何故かみゆきさんが鼻声になる気がするのだ。
或いは、過去の失恋の記憶が、歌っている間に蘇るのか。
その鼻声を聞くたびに、やや嫉妬の念を感じずにはいられない凡なのではありますが、兎に角、まあ良い曲だし、なんせ、歌ってるのが、みゆきさんな訳で、これまたウットリと聴き入ったのであります。
というか、聴き入りながら、ジッと見たのであります。
んでもって、「ナイトキャップ・スペシャル」。
いいですね。
スペシャルと聞いただけで、何か豪華な気分になる。
この時、歌いだす時に、和服のような上着の袖を、クルクルって、腕を回して巻き付けるような仕草をしたんだよね。
あれが、可愛かったんだなあ。
ステージで、みゆきさんが、腕をクルクルって回す仕草がさ、そのクルクルがさ、なんでそんな仕草というか振り付けを入れたのか、何か急な動きで、可笑しくもあり、可愛くもあり、まあ、結局は、可愛かったんだ。
それから次の曲は、「宙船」(そらふね)だ。
この時は、ライトが赤くなった。
赤いライトに照らし出されるみゆきさんは、大人のみゆきさんを感じる。
情熱的な赤が、みゆきさんには似合ってるなと思う。
ただ、個人的は、白が好きだ。
みゆきさんの本来の姿が見える気がするからだ。
それに、ライトも白い方が、なんてったって、見やすいからだ。
ここで、宙船の早口の部分は、宮下文一さんとの掛け合いになる。
やっぱり、みゆきさん一人で歌って欲しかったな。
いや、別に凡は、宮下文一さんも好きだ。
いい声してるしね。
でも、なんで、みゆきさんに歌って欲しかったかというと、みゆきさんの歌の声を聞いて凡は、ウットリしてる。
そのウットリしている最中に、急に宮下さんの声が入ってくる。
詰まりは、凡は、ウットリした状態で、宮下さんの声を聞いてしまうことになる。
そこで、瞬間、思う。
いやいや、凡は、宮下さんの声にウットリしている訳じゃない。
さっきまで歌ってた、みゆきさんの声にウットリしているんだと、凡自身の気持ちに言い訳をしなきゃいけない。
んでもって、言い訳していると、またもや、みゆきさんの可愛い声が聞こえて、ウットリする。
んでもって、ウットリしている時に、宮下さんの声が入ってくる。
いやいや、凡は、今ウットリして宮下さんの声を聞いたけれども、実は、これは宮下さんの声にウットリしたわけじゃなくて、その前の、みゆきさんの声にウットリしてたんだよと、またまた、凡自身の気持ちに言い訳をする。
疲れるじゃない。
なわけで、ここは、みゆきさん一人に歌って欲しいのである。
とはいうものの、みゆきさんが、したいことなのだろうから、それはそれで良いのではある。
でも、みゆきさんが一人で歌って、早口のところをカミカミで歌ったなら、それは、さぞかし可愛いだろうなと、これは思うね。
早口で、舌が回らないみゆきさん。
はあ、聞いてみたいものである。
そんでもって、たぶん、この時だと思うのだけれど、(いささか、あやふやな記憶で書きますが)たぶん、早口の前だったかな、みゆきさんが、右手でマイクを握った時に、その右手の着物調の袖を、左手で肩の方に手繰り寄せたんだ。
すると、みゆきさんの肘から二の腕の下ぐらいまでが、露わになった。
瞬間、凡の心が、ドキリ。
みゆきさんの肌は白いね。
ほんの少しの時間だけれど、もう凡はやられてしまった。
腕と単にひとつの言葉で表したけれども、腕には、その有難さが2種類ある。
1つは、「有り難い腕」。
んでもって、もう1つは、「スコブル有り難い腕」。
みゆきさんの腕は、どこを取っても有り難いのではありますが、それでも、有り難い腕と、スコブル有り難い腕がある。
詰まりは、腕の外側と、内側だ。
夏になると、女性の衣装も、オープンになる。
ミニスカートになったり、或いは、腕の部分もノースリーブになったりね。
んでもって、その腕だ。
可愛い女の子のワンピースから、綺麗な細い腕が、ニュっと出ている。
イキイキとした、躍動的な印象を見ているものに与えるだろう。
そして、少しばかりセクシーだ。
でも、それは、誰でもが見てもいい腕なんだ。
その女の子も、見られてもいいとして、腕を出しているに違いない。
明るく、活動的で、健康なイメージだ。
これは、まさしく、有り難い腕なのだ。
でも、その外から見える部分の裏側は、これはどうだ。
詰まりは、服の側にあって、普段は、見えない部分。
外側の腕に対して、こちらは、いかにも、その肌が弱そうで、でも、滑らかな感じで、しっとりとしたイメージがある。
陽の光に当たらない部分。
普段は、見せない、隠しておくべき部分。
そこには、誰もが気づかない、でも、潜在意識ではシッカリ意識しているところの、淫靡なイメージがある。
凡が、もし、女の子の腕に、頬っぺたをスリスリしていいって言われたら、腕の外側じゃなくて、裏側にするだろう。
いや、ちょっと淫らな妄想をしてしまったが、そんな腕の有難さの違いがある。
そんな、スコブル有り難い腕を、詰まりは、腕の裏側を、みゆきさんが見せているのだ。
「キャー。」と叫びたいような気持と、ジッと黙って見ていたい気持ちと、イケナイ部分を見ているという罪悪感と、どうにも複雑な気持ちで、みゆきさんの腕の裏側に見とれていたのである。
まあ、これだけで、このコンサートに来た甲斐があったというものだろう。
と、またもや馬鹿な評価を、このコンサートにしてしまった。
top_visual.jpg(以前の宣伝用の写真だけれど、これなんか、有り難い腕と、スコブル有り難い腕の両方が写真になっている。貴重映像だね。)
いや、そんなことより、コンサートに集中だ。
妄想している場合ではない。
しかし、そんなみゆきさんの腕の裏側よりも、もっとドキリとしたシーンが、このあと起きたのである。
「あたいの夏休み」の時だった。
少し長くなったので、次のブログにて。
ここまで読んでくださって、ありがとう。

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