平 凡蔵。の 創作劇場

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散散歩歩。(871)。アイラブユー・ほたえてくれ!みゆきさーん。(322)みゆきさんの唇の裏側。

2月25日(日曜日)。
本日は、珍しく日曜日が休み。
そんでもって、ミニボンは仕事だったので、1人で、みゆきさんの映画を見に行くことにした。
今日やっているのは、堺で「一会」、そして南海電鉄の樽井駅のイオンで「縁会」だ。
迷った挙句に、「縁会」にした。
凡が、始めてみゆきさんのコンサートに行ったのが、この縁会だった。
朝、10時過ぎに家を出る。
なんといっても、樽井駅までは2時間弱かかってしまう。
映画館のあるイオンまで行ったら、上演までには、それほど余裕もない時間だった。
さて、今日見る縁会は、DVDも持っているし、映画の上演でも、何度か見ている。
でも、やっぱり大画面でみるのは、ちと違うのでありまして、少しばかりウキウキとした気分でシートに座ったのであります。
何度か見ていたので、今回は、それほど前のめりでは構えていない。
というせいでもないのですが、始まると猛烈な睡魔に襲われて、10秒ぐらいの意識不明を数度体験した。
必死で、眠気を抑えようとしたが、あのまま寝てしまったら、どんなにか気持ちが良かっただろうと思うと、寝なかったことが少し悔やまれる。
いや、そんなことではイケマセン。
しっかりと、みゆきさんを見なきゃね。
さて、今回の縁会で気が付いたことをログのために書いておきたいなと思う。
全体を通して、みゆきさんは、いつ見ても、美しい。
これだけは、毎回言っているが、書き忘れてはならないことである。
そんでもって、今回だ。
今回、これは初めて気が付いたのではないかと思うのですが、それを書く前に、断っておかなければならないことがある。
凡は、変態ではないと。
いや、冷静に考えるなら、変態なのかもしれないが、しかし、実は、至って正当な変態なのである。
いや、やっぱり、変態と言う言葉が悪いね、独特の趣味を持っているといい直しておきましょうか。

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(うまくキャプチャー出来なかったけれど、実際に大きなスクリーンで見ると、もっと、上唇の裏側を見ることが出来る)
凡は、映画が始まって、みゆきさんの、ある部分に心惹かれて、ただ、ぼんやりと、そして、眠気と戦いながら、しかし、しっかりと、見入っていたのであります。
その部分とは、唇だ。
凡は、みゆきさんの唇が好きだ。
特に、泉沢紀子さんのメイクする、少し広い輪郭で引くルージュは、何ともセクシーで大好きなんだ。
今回の縁会でも、本来の唇の外側から、少しはみ出してルージュを引いている。
あれは、いい。
とはいうものの、今回、凡が見とれていたのは、その唇じゃない。
上唇の裏側なのであります。
みゆきさんが、力を入れて歌う時、特に、「お」や「う」の母音の時に、唇をやや突き出して歌うことがある。
その時の、やや突き出した上唇の裏側が、チラリとほんの少しだけ見える気がするのだ。
カメラが、みゆきさんの顔の位置より下から撮っているということも、唇の裏が見える要因のひとつかもしれない。
兎に角だ、力を入れて歌う時に、唇の上側が見えるときがあるんだ。
あれは、どうにも、目が離せずに、見入ってしまったのであります。
みゆきさんの上唇の裏側は、柔らかくて、温かくて、しっとりとしていて、いつまでも見ていたい。
いや、触れてみたい。
いや、そっとキッスしてみたい。
これはイケマセン、この辺りで止めておかないと、まさしく変態となってしまう。
とはいうものの、それだけ魅惑的な唇の裏側なんだ。
なのだけれど、そのみゆきさんの唇の裏側を見ている時に、凡の心の中では、見てはいけないものを見ているようで、申し訳ない感じと、破廉恥な感じと、そんな、イケナイことをしている感情に襲われていた。
あの唇の裏側は、確かに見てはいけないものなのであるのかもしれない。
人間の体は、構造的には、筒のようなものである。
口という穴があって、そこから、食道、胃、小腸、大腸ときて、肛門で終わる。
きゃー、肛門だって。
みゆきさんの肛門は、どんなだろうか。
いや、この場合、みゆきさんの肛門は、どうでもよい。
いや、どうでもよいことはないのでありまして、みゆきさんの肛門は、きっと淡い桃色で、ジャスミンの香がするに違いないのでありますが、あまり肛門について深く考えると、これまた、変態になってしまうので、この際は、一旦置いておかなきゃいけない。
というか、話を戻すと、人間の身体は、口から始まって、肛門で終わる、筒のような構造だと考えることができるのです。
胴体に、1本の筒状の穴が通っている。
それで、その筒には、表と裏があって、筒の表は、人から見られても良い部分だ。
そして、筒の裏側は、人に見られてはいけないというか、隠れている部分だ。
隠れている部分は、詰まりは、内臓である。
取り立てて見たいものでもない。
とはいうものの、口の部分が、微妙なのである。
口を閉じた時に、そとに見えるのが、表。
そして、口を閉じた時に見えないのが、裏だと解釈できる。
唇は、その接点であるから、表と裏の両方を持っているのだ。
だから、凡が、みゆきさんの上唇の裏側を見ている時に、見てはいけないものを見ている感情に襲われるのも、そのせいだと言えるのであります。
至って、正常な反応だ。
その意味で言うなら、口の中も裏だから、見てはイケナイものになる。
みゆきさんが、歌を歌う時に、大きな口を開いたなら、それから目をそらさなきゃ失礼というものだろう。
しかも、みゆきさんは、女性である。
その辺は、もっとジェントルに振舞う必要がある。
みゆきさんが、歌を歌うのに、口を開けたなら、そっと手のひらで目を覆うとかね。
それぐらいしても、よいのかもしれない。
ただ、コンサートになると、見ている方も大変だ。
コンサートとなると、歌うことがメインとなる。
となると、当然、口を開かなきゃいけない。
なので、その度に、ジェントルマンは、手のひらで自分の目を覆う。
どうにも、忙しいコンサートとなってしまうかもしれない。
ただ、凡は、手のひらで目を覆うことなく、縁会のみゆきさんの上唇の裏側を見ていた。
なんとも、エロティックである。
そんな凡は、色魔かというと、そうでもないに違いない。
きっと、正常なのではと思うのであります。
みゆきさんの上唇の裏側のやわらかさを求めることをしなくなったら、それはもう、男として終わりに違いない。
御臨終だ。
こんなことを書いていると、やっぱり凡は、変態で、色魔で、という烙印を押されてしまうだろう。
でも、凡に、もし文才があるのなら、このエロティックを短歌に仕上げたいものだ。
そうすれば、エロティックが、文学になる。
与謝野晶子さんのように、燃えるような感情を短歌に出来たら、みゆきさんの上唇の裏側を求める凡の感情も、きっと気品のある文学になるだろう。
とはいうものの、凡には、悲しいかな才能が無い。
ということは、永遠に変態のままでいなきゃけいないのだろうか。
ただ、今回の縁会では、みゆきさんの上唇の裏側の美しさを発見したのは、凡にとっては、大きなギフトであると言えるのであります。
そんでもって、唇の裏側の話は、これぐらいにして、他に気が付いたのは、やっぱり、みゆきさんの笑顔は素敵だということだ。
みゆきさんの笑顔には、マリア様のような慈愛がある。
なのだけれど、今回気が付いたのは、「恩知らず」の時だ。
やっぱり、みゆきさんの笑顔は素敵で、素敵で。
ただ、恩知らずの時の笑顔は、いつもの笑顔より、力強い。
勢いがあるのだ。
いつもの笑顔が癒される笑顔なら、恩知らずの時の笑顔は、元気パワーが出る笑顔なのである。
そんな、元気な笑顔も素敵だなあと、これまた嬉しい気づきなのでありました。

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そんでもって、これは、誰か知識のある人に見て欲しいのだけれど、「月はそこにある」の時に、両手を上に上げるシーンがあった。
手のひらが、両手とも、こっちを向いているので、しかも大きなスクリーンなので、手相がくっきり見えたのだ。
もし、手相を見ることが出来る人がいたら、みゆきさんの運命を読み取って欲しいな。
どんな人生を、これから歩んでいくんだろうね、みゆきさんは。

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(この時、大スクリーンでは、手相もクッキリ見えるのです。)
ということで、他にも、もっと素敵なシーンがあったのですが、何しろ全編にわたって、みゆきさんは、素敵な訳だから、それを列挙していくと、とんでもない数になってしまうので、それはまた、DVDを見ながら、温めていきたいと思うのであります。
あと、期間中に、一会と、歌旅に行ければ嬉しいんだけれどなあ。

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