平 凡蔵。の 創作劇場

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散散歩歩。(796)ダイエットからの鎖骨骨折(3)

5月9日(火曜日)、鎖骨骨折の手術の当日。
10時30分からの手術なので、9時30分に来たら良いということだったのですが、そこはやっぱり気になって、8時30分頃に到着。
受付をしたら、病室に案内をされる。
3階の4人部屋だったが、誰もいなくて、聞いたら他に1人だけということで、それは気が楽である。
しかも、1人のスペースが、かなり広い。
ゆったりさでは、今までで1番かもしれない。
窓は、外はすりガラスで見えないが、障子みたいな和風になっていて、しかも改装したところなのか、新しくて綺麗だ。
ベッドは、分厚いマットの上に、直接シーツが1枚巻かれているだけだ。
でも、そのマットが、防水なのか抗菌なのか、そんな新しいマットのようだ。
なので、清潔感もある。
ただ、ベッドの横幅は、今までで1番狭いか。
でも、寝るには充分である。

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さて、そんな病室のベッドに腰かけて待っていると、看護婦さんが手術や、いろいろな説明をしに来てくれる。
そして、いよいよ手術の準備である。
身体を拭いて、手術中にエコノミー症候群にならないように圧の高いソックスをはいて、手術着に着替える。
そんでもって、ビキニのような使い捨てのパンツをはいた。
これは、手術中に脱がされるそうだ。
キャー。
そして、10時30分を少し過ぎた頃に、凡の順番が回ってきた。
看護婦さんと歩いて手術室に向かう。
ミニボンは控室で待つ。
入口で名前を言って確認をしたら、手術室に案内されて、ベッドに横になった。
ベッドは、昨年鼻中隔湾曲症の手術をしたときに経験した時と同じような、身体の幅と同じぐらいの横幅の狭いベッドである。
両手は、ベッドから突き出した腕を乗せるアームに乗っける。
手術の看護婦さんが沢山いて、凡の身体をベッドに固定したり、脚にエコノミー症候群を防ぐ加圧の器具を巻いたりし始めた。
この瞬間が1番緊張をする。
というか、怖くなるのである。
今までは、自由だった身体を、ベルトみたいなものでベッドに固定されて、身動きが出来なくなるというのが怖いのだ。
でも、これもまた、昨年に経験しているので、そこは初めての時よりは心の準備は出来てはいるのであるが。
でも、緊張するね。
美人の麻酔医が、心電図のパットを胸に張るのに、「ここだったかな。こっちだったかな。」なんて、可愛い声で他の看護婦さんに聞いていたが、それはジョークなのかと思ったが、そんな会話を、意外にも楽しく聞いてる凡がいた。
麻酔医は、ホントに信頼のできる先生なので、まあ安心しきっていたのではある。
看護婦さんが、手首の上の方に麻酔の点滴の針を刺そうとするのだけれど、普段なら血管も普通にしていても浮き出ているんだけれど、今日に限って血管が浮かんでこない。
そこは、麻酔の先生が入れてくれた。
そんでもって、いよいよ麻酔薬の点滴が始まる。
先生が、「身体がホワっと温かくなってきましたか。」と聞いたが、「まだ。」と答えた。
すると、「その内に、麻酔が効いてきますからね。」と先生が言ったかと思ったら、次の瞬間、「あ、気が付いた。」という看護婦さんの声が遠くから聞こえた。
驚くことに、もう手術が終わっていたのだ。
ホントに全身麻酔というものはビックリである。
全く以って記憶もなにもない。
前回に鼻の手術をしたときは局部麻酔で、局部の麻酔と合わせて意識が混濁する注射をするのですが、先生と手術中に会話の出来るぐらいの意識はあったのです。
でも、今回は、まったくない。
素晴らしい。
苦しみというものを感じないということは、何と素晴らしいことだろうか。
これなら、麻酔が効いている間に、何かあって、そのまま死んでしまっても、本人は気が付かない間に死ぬということだ。
それはある意味楽かもしれない。
意識があって苦しんで、のたうち回りながら死ぬよりもね。
それで思うことがある。
というか今回思ったことがある。
それは、凡の母親の事だ。
ガンで入院していた時、もう今日1日も持たないということになって、麻酔なのか痛み止めなのかの点滴を受けながらベッドで横になっていた。
そして、ずっと半分現実、半分妄想の世界を行ったり来たりしていた。
凡が話しかけると、ちゃんと会話が出来るんだけれど、同時に、洪水に押し流される妄想を会話の途中でも、ずっと見ていた。
そんな時に、先生がやってきたので、最後は苦しまないようにしてあげて欲しいとお願いをした。
母が苦しむのは見ていられないし、可哀想だ。
すると先生は、点滴の麻酔の量を増やしてくれた。
すると、急に無表情になって、何も喋らなくなった。
ただベッドに静かに寝ているだけだ。
ドキとした。
そして、胸が締め付けられるようだった。
今までは、妄想の世界に入ってはいたけれども、生きていた。
ちゃんと凡の事も理解出来ていたのである。
でも、今、目の前の動かない母の姿を見て、凡は自分が先生に頼んだことが、間違っていたのかもしれないと思った。
母親の今までの長い人生の最後の最後を、母親らしくない存在に、この凡がしてしまったのではないかと思った。
それ以来、その事が、ずっと凡の心の中に残っていた。
でも、今回、凡が全身麻酔をしてみて、まったく意識がなかったということで、取り敢えずは、母親も痛みや苦しみを感じずに死んでいったことは分かった。
或いは、自分が死んだことも解ってないかもしれない。
母の意識というか魂のようなものは、今でもまだ、あの病院のどこかで、それか自分の家のあたりを、死んだと気が付かずにウロウロしているかもしれないな。
だったら、凡に会いにきて欲しいものである。
そして、次のロト6の当選番号をこっそり教えて欲しいものである。
と、凡の願いは現世の利益しかないのね。
でも、兎に角、母親は苦しまなかったということは、少し気が楽になった気もする。
こんなことを書いていると、当時の母親の映像が、凡の脳のスクリーンに映し出される。
泣きそうになるぐらい、切なくなる。
何と言っても、凡はマザコンなのだ。
まあ、それだけじゃなく、マザコンであり、ファザコンであり、おばあちゃんコン、おじいちゃんコンなのだから、もうグニャグナニャであります。
さて、凡の手術の話に戻ります。
手術室から移動するあたりは、まだ意識がぼんやりとしていて、部屋に戻ったら、ようやく麻酔が醒めたという感じだ。
13時ごろだった。
それから、抗生剤だとか、そんなのを点滴する。
肩を見ると、大きなガーゼを重ねて貼ってあった。
たぶん、手術したところが当たらないようにしてあるのだろう。
それが肩をギュッと上から締め付ける感じでツライ。
でも、ただ寝ているだけだ。
16時になったら、水を飲んで良いことになった。
そして、17時になったら、点滴が外されて、トイレへ行って良いことになった。
因みに、トイレは各部屋についていて、しかも車いすで入れるようになっているので広い。
便座を拭く薬液も備えてあって快適だ。
何時頃だったか、今になっては判然としないのだけれど、先生がやってきてプレートを入れた後のレントゲン写真を見せてくれた。
手術は成功だとのことだった。

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夕食は、他の人より少し遅く18時50分ごろ運ばれてきた。
メザシのように硬い焼き魚も、これが病院食だと思うと、格別な味でありますが、これも凡が軽症であるから思えることで、重病の方や、長い入院生活の人には、そんなコメントは腹立たしいものだろう。
とはいうものの、凡は食いしん坊なので、病院の夕食もそれなり楽しんだわけであります。

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夕食後は、面会に来た人と会うミーティングルームなどをブラブラ見たりして過ごす。
そして、消灯。
さて、寝ようかと思って体を横にすると、なんだか肩が痛い。
さっきまでは、ここまで痛みはヒドクなかった。
急に痛みが増してきたのである。
そっと手術をしたところを触ってみると、どうも骨の痛みではなさそうだ。
切ったところあたりが痛い気もする。
痛いところが限定できないのは、肩から首にかけて全体が痛いので、その元を特定するのが難しいからだ。
ただ、いろいろ探ってみたところ、手術をしたところに水分のようなものが溜まって、張っていたいのだろうという結論に達した。
鎖骨の辺りにはリンパ節もある、それが手術で切断されて、リンパが流れないで溜まるのだろうと、これは素人の推測だ。
体を横にすると痛み出して、痛みに耐えかねてベッドに座ると、やや気持ち程度だが楽になる。
凡の推測は当たっているかもしれない。
そんなことより、痛くて仕方がない。
痛みに耐えかねて、23時ごろだったか、24時頃だったか、ナースステーションに行って、痛み止めを欲しいとお願いをした。
ロキソマリンを貰う。
少しだけマシになった。
とはいうものの、まだ痛い。
また痛みに耐えかねて、今度は3時過ぎぐらいだっただろうか、またナースステーションに行って、痛み止めを貰おうと思ったら、さっき飲んでから時間がまだ経っていないからダメだという。
でも、痛いというと、明日からの痛み止めを先飲みということで、5時ぐらいになったら飲んでも良いということになった。
部屋に戻って、痛みに耐えていたけれども、5時までは無理だと思って4時に飲んだ。
普段、家にいる時は2倍の量を飲んだりしているので、別に時間を空けなくても大丈夫なのは実験済みだけれど、病院にいる時は、看護婦さんの指示に従わなきゃいけないものね。
といながら、1時間早く飲みましたが。
そんでもって、また少しマシになって、朝の6時頃までベッドで寝たり、ベッドに座ったりしていたのであります。

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コメント

  1. ゆけむり より:

    まず、手術が成功したようで良かったですね
    おめでとうございます
    早く良くなると良いですね!
    全身麻酔をされたようですが、昔は脊髄に太くて痛い注射で麻酔をかけていたようですが、今は違うんですね
    点滴で全身麻酔とは、脊髄に打つのとは全然違ってさほど怖さは無い感じですね
    あるいは酸素吸入のマスクから麻酔薬が出て、それを吸うと意識が遠のくなんてのも聞いた事があります
    気が付いたら手術が終わっていたと言うのも安心ですね
    怖いのは嫌ですもんね
    それとお母さまが息を引き取る時の凡蔵さんの判断ですが、やはり痛みから解放してあげたという点では良かったのではないでしょか?
    デリケートな事案なので軽々しく部外者の自分がコメントするのはどうかと思いますが、自分だったらやはり同じ選択をしたと思います
    愛する人が苦しむ姿は見たくないし、これほど辛い事はありませんからね・・・

  2. 凡蔵。 より:

    ありがとう、ゆけむりさん。
    全身麻酔は、あっという間に終わってしまうので、痛みや恐怖はありませんでしたよ。昔、脊髄に注射をしたのは、たぶん局部麻酔じゃなかったでしょうか。胸よりしたぐらいがマヒさせて、盲腸などの手術をするみたいな。
    あれは、痛そうですよね。今回、全身麻酔をやって、すっかり全身麻酔派になりました。
    んでもって、私もよくドラマなんかで口にマスクをはめてガスを吸わせるシーンをみていたので、今回手術をするまでは、全身麻酔というとあれだと思ってました。
    病院によって違うかもしれませんが、牧病院さんでは、ほとんど点滴で、ガスの吸入の麻酔は、子供とか、特殊な場合しかしないそうです。
    それで、母親の件は、コメントありがとうございます。
    あの時は、私も、こんなことになるとは思ってもいなくて、兎に角、苦しみをとってあげたいとしか思わなかったんです。
    その選択をしたことを少し後悔する部分もありましたが、兎に角も、今回の経験で、苦しみや、痛みや、恐怖を感じなかったんだと実感することで、気が楽になったような気持ちです。
    私の方は、手術後も順調で、原因不明の胸の痛みとかありますが、これも日にちクスリだろうと思っています。

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