平 凡蔵。の 創作劇場

恋愛ストーリーや、コメディタッチのストーリー、色んなストーリーがあります。
どれも、すぐに読めちゃう短編なので、読んで頂けたら、うれしいです。
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散散歩歩。(790)アイラブユー・ほたえてくれ!みゆきさーん。(281)

梅田から京阪の淀屋橋の駅まで歩く。
途中、イヤホンを取り出して、アイフォンに繋げた。
普段は、歩きながらなんて、音楽を聴かないのだけれど、どうにもやりきれない気持ちというか、まったく前進できていない凡自身に対する憤りなのか、焦りなのか、そんな鬱屈した気持ちが喉まで上がってきて、凡自身の感覚を遮断したかったんだ。
歩いている時に遮断できる感覚は、聴覚ぐらいしかない。
少しばかりボリュームを上げて、みゆきさんの曲をランダムに掛ける。
歌というよりも、声なんだな。
みゆきさんの声に聴き入っていると、何となく気持ちが落ち着いてきているのを感じた。
これは漢方の考え方で、漢方薬には「補」(ホ)と「瀉」(シャ)という考え方がある。
補とは、補うという意味で、身体に栄養などを取り入れることを言います。
また、瀉とは、外に出すという意味で、身体に悪いものなどを排出することを言います。
音楽にも、補と瀉という考え方を当てはめることで出来て、どうもムシャクシャするような、身体や心に悪いものが溜まっていると感じるときは、ハードロックのような「瀉」の音楽を聴くと良いそうです。
また、どうにも元気が出ないなというようなときは、クラシックのような「補」の音楽を聴くのが良いかもしれません。
なので、そんな意味からも、どうにも行き詰っている凡は、アイフォンのボリュームを上げて聴いたのが良かったのかもしれません。
とはいうものの、みゆきさんの歌って言うのは、いつどんな曲を聴いたって、ムシャクシャした気分が晴れやかになったり、くたびれてたのが元気になったり、これはもう、補と瀉の両方を兼ね備えているんじゃないだろうか。
そんな気がするのである。
みゆきさんの歌は、激しい曲であっても、また静かで優しい曲であっても、どっちを聴いても、晴れやかになったり、元気が出たりするんだよね。
詰まりは、補も瀉も超越している。
それは、陰も陽も超えていることであって、男も女も超えていることで合って、詰まりは、それだから、みゆきさんは、年齢関係なく、男女関係なく、みんなに愛されるのだろう。
というか、もうあの声が素敵なんだ。
ただ、声を聞いているだけで、幸せになるんだよね。
詰まりは、惚れてしまっちゃ、全部が好きってことなんだね。
それにしても、最近の凡の行き詰まりと来たら、身動きが出来ない感が半端ない。
そういえば、3月も4月も、みゆきさんのオールナイトニッポン月イチを聴いたのだけれど、それについてのブログも書けなかった。
今までは、たぶん毎回休みなく書いてきたのじゃなかったか。
今年になって、ツイッターを始めたということもあるだろう。
ラジオを聴きながら、ツイッターの呟きを見ていると、何となくそれで終わったような気になっていた部分がある。
でも、ツイッターは消えてしまうからね。
やっぱりブログに書いて、凡のログの為にも残しておきたいと思うのだけれど。

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そういえば、4月の19日だった。
みゆきさんの一会の劇場版が、塚口のサンサン劇場でやってたので見に行った。
3クール目の上演で、凡も既に大阪の灘波とか、2クール目の時は、樫原神宮の近くまで行って、この同じ一会は見ている。
というよりも、その前にブルーレイで持っている。
とはいうものの、やっぱり大画面で見るみゆきさんは、これは特別に可愛いので、劇場でやっていると聞いたら、これはその期間中に1回は見ておきたいじゃない。
そんでもって、塚口サンサン劇場も見に行ったのであります。
いつもなら、そんな大画面で見たみゆきさんの可愛さ美しさを、ブログに書くことで再確認をしてきたのですが、今回は書かなかった。
大画面で見るみゆきさんは、それはそれは、可愛いの極みなのでありますが、凡のこころがションボリというか、グッタリというか、弱っていたので、書こうとは思っていたけれど、書けなかったのであります。
たまに、そんな気分になることもあるけれども、最近はさらにヒドクて、あの大画面の可愛いみゆきさんの笑顔を見てでさえ、「あの笑顔は凡に向けられたものじゃないんだ。」なんて、ヒネクレテしまう。
重症だ。
とはいうものの、こんなことを愚痴っていては、運気はますます下がっていくだろう。
ここいらで、深呼吸でもして、出直しとしましょうか。
ちょうど、みゆきさんが、天理教の新聞「天理時報」に、4月からエッセイのようなものを連載されることとなった。
毎週でなくて、年に10回程度と、もう少し多く書いて欲しいところですが、それでも読んでみたいと、半年の購読を注文した。
これも何かの縁でしょう。
天理教では、「陽気ぐらし」ということを言うそうです。
凡は、天理教に入信しようとは思ってはいないのです。
でも、この陽気ぐらしということは、今の凡に1番に必要な事じゃないかと気づかせてもらいました。
なので、今からでも、陽気ぐらしを気にかけて、こころ晴れやかに生活をしていきたいと思う次第であります。
そんでもって、みゆきさんにススメラレテ、天理教に入信をするという計画であります。
まずは、その時のために練習をしておく必要があるだろう。
「ね~。みゆきさ~ん。これ解らないんだけど~。ごろにゃん。」
「もう、しょうがないなあ。これはね、、、。もう、凡ちゃん、あたしに引っ付きすぎ~。」
なんて、入信して、みゆきさんに甘える練習。
と、いつもの妄想が出てきたということは、ちょっとは回復してきたのかもね。
あ、そうだ。
文中に、凡も今の状況から、「出直して」と書いたのですが、天理教では、人が亡くなったときに使う言葉だそうですね。
まあ、凡は半分死んでますが、それでも、陽気にやっていきたいと思うのでありました。

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