平 凡蔵。の 創作劇場

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散散歩歩。(764)メリークリスマス!今日、生まれたよ、みゆきさーん。

メリークリスマス!
なんて書いてみたけれど、凡は、特別な日廃止論者でありますので、ただ、書いてみただけである。
もし、お時間がありましたら、そんな話も、短い話なので、覗いてみてくださいませね。⇒⇒⇒
https://tairabonzou.jp/200912_article_3_html
特別な日は、即刻、法律でもって禁止すべきである。
特に、母の日はね。
母の日は、最悪に残酷な日であるからだ。
それと、バレンタインデーもね。
バレンタインデーを無くすことで、全国の彼女のいない男の子が、どれだけ健康的な1日を過ごすことが出来るか。
とはいうものの、世間では、クリスマスというものを楽しんでいる人も、大勢いる訳で、見ていると、羨ましい限りではあります。
そういえば、みゆきさんは、クリスマスは、どうして過ごされているのだろうか。
きっと、ニワトリを使った手料理なんかを、家族で食べているのかもしれませんね。
特別な日廃止論者の凡ですが、みゆきさんにだけは、言っちゃおうかな。
小さな声で、、、「メリークリスマス!」
今日は、ニワトリにしたら、厄日だね。
でも、みゆきさんに食べられちゃうニワトリさんは、まあ、幸せに違いないな。
凡だって、みゆきさんになら、食べられちゃいたいもんね。
そんな特別な日の今日でありますが、特別な日というのは、何も、誰かに決められた日である必要はない。
クリスマスの翌日だって、翌々日だって、特別な日であっても、それは構わないだろう。
何もない普通の日に、何かの意味を持たせる人もいる。
そんな個人的な特別な日というのは、ある意味、その人にとっては役に立つのかもしれない。
そして、さらに、さらに、毎日の、何も意味のない日だって、その日を特別な日と捉えて1日を過ごすべきだと唱える人がいる。
「今日が、人生最後の日と考えて行動しよう。」
こんな言葉を聞いたことがないだろうか。
そして、この言葉は、しばしば教訓として、或いは、目標とする言葉として使用されてきた。
そんな言葉を聞いて、実際に、そんな風に捉えて、1日を行動しようとする人もいるようである。
この言葉は、詰まりは、こう考えることは素晴らしいことであるという意味合いを、含ませられている。
これを話す人は、自分自身、素晴らしいことを言っていると、自分自身に酔いしれながら、得意げに話すだろう。
気持ち悪い。
この言葉の使われ方は、今日が最後の日だから、今日1日、詰まりは毎日毎日、その1日を悔いのないように、全力で行動しようという意味なのだろう。
凡は、愚で凡であるので、こういう言葉を聞いたら、素直にその言葉通りに考えちゃう。
だから、納得がいかないのです。
その日が最後なら、もっと他にやることがあるだろうと。
残される人に伝言もしたいだろうし、伝えておかなきゃいけないことも沢山ある。
それに、お礼を言わなくちゃいけない人もいるだろう。
と、まあ、そんな事務的な事は、置いておいても、最後の日なら、ゆっくりテレビでも見ながら、家でゴロゴロしていても良いのじゃないだろうかと思う。
ということは、この言葉を言う人が、意図する方向と反対の意味に、凡は解釈してしまうのです。
みんなは、どう解釈するだろうか。
ここで、断っておきたいことあるのですが、凡が今、書いているのは、「今日が凡の人生最後の日」という場合であって、「地球最後の日とか、人類最後の日」という場合の事ではありません。
もし、地球最後の日なら、人類全員が、いつものように、いつもの仕事をして、いつものように帰宅して、いつものように寝るべきだと思う。
でなきゃ、地球が、そして地球に住む人間、それも弱者と言われている人たちが、エライ目をして死ぬことになっちゃう。
病院に入院している人なんて、ほったらかしにされて、看護婦さんは、さっさと恋人に会いに行ったりさ、そんなことをしてしまって、病人は、最後に苦しみながら、独りぼっちで病院で死んでいくことになっちゃう。
悲しいよ。
なので、地球最後の日ぐらい、自分の欲を捨てて、辛いかもしれないけれど、自分のしたいことを諦めて、自分の為じゃなくて、他人のために働いて、潔く死ぬべきであると思う。
なので、話が戻りますが、今日が「凡の人生最後の日」のように過ごせということについてだ。
もし、今日が、凡の人生の最後の日なら、自分のしていることは、もう後の人に任せてしまって、ゆっくりとすべきである。
後の人に、任せたよと言うべきだろうなと思う。
人間のすることなんて、その人がいなくちゃ、どうにもならないなんてことは、ほぼ無いのである。
その人が、いなくても、何となく回っていくのが社会だ。
そして、いずれ忘れ去られてしまう。
人生なんて、そんなものだ。
なので、凡は、さっきのような、「今日が、人生最後の日と考えて行動しよう。」なんてことを言われたら、たぶんその日1日は、頑張らないと思う。
って、相当、凡も天邪鬼だね。
でも、それは言葉尻を捕らえているだけで、言わんとすることは、まあ、理解できなくもない。
その日、その日を、大切に、一所懸命に生きようという、そんな意味はね。
まあ、間違っているとは、言えない。
でも、言葉が気持ち悪いんだよね。
なので、言わんとすることを、凡は別の言葉で置き換えたい。
「今日、生まれてきたかのように、1日を行動しよう。」と。
バブバブバブ~。
そんでもって、おっぱいを吸ってね。
いや、この場合、ママのおっぱいじゃ嫌だな。
そうだ、隣のロングヘアーの白いニットのミニスカートの似合う、えくぼの可愛い20歳ぐらいのお姉さんのおっぱいを吸ってね。
そんでもって、オシメを付けて、お姉さんのお膝に、思いっきり甘えちゃう。
、、、そんなプレイを楽しめるお店もあるらしいのですが、凡はまだ、経験したことがない。
と、それは置いておきまして。
こう考えた方が、イキイキとしてこないかな。
今、生まれたばかり。
この世の「生」を、今から思いっきり楽しもう。
どんなことだって出来るぞっていうワクワクとした気持ち。
見るもの、聞くもの、触るもの、おっぱいとかね、まあ、おっぱいは置いておくけれど、そんな触れるものすべてが、新鮮で興味深々だ。
不安なんてないし、人を憎んだりもする必要がない。
そこにあるものを、素直にすべて受け入れる。
そんな、おおらかさが、この言葉にはあるように思う。
なので、「今日、生まれてきたかのように、1日を行動しよう。」という考え方の、特別な1日なら、これは法律で禁止する必要もないし、みんなで実践していったら、素晴らしいだろうなと思うのであります。
そういえば、今日は、クリスマス。
キリストさんが生まれたとされる日だ。
今日をスタートに、これから、毎日が生まれた日として過ごすのも、いいかもしれないな。
そうだ、今日は、夜中の27時から、みゆきさんのオールナイトニッポン月イチがある。
凡は、今日生まれて、初めてみゆきさんの声を聞くようなつもりで、ラジオを聴こう。
そして、みゆきさんのお膝に甘えてさ、みゆきさんのおっぱいをチューチューと吸っちゃったりしてさ、わーい。
最高だね。
と、またもや妄想が始まりそうなので、この辺で。
メリークリスマス!

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(みゆきさんのアルバム。「わたしの子供になりなさい」って、「みゆきさーん。バブバブー」ってことだよね。)

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