途中まで書いてあったのを、今日、札幌の地からアップします。
先日の13日から、青春18きっぷを利用して札幌まで来ました。
その報告も書きたいのですが、取り敢えずは途中までのをホテルの部屋で書き足して、本日はアップなのであります。
徒然なるままに神頼みの流れで、日にちはバラバラだけど訪れた神社の話など少しばかり。
先日、天理教を訪れた時に、ついでなので、近くにある石上神宮にテクテク行ってきました。
緩やかな上り坂を歩いて行くと入り口にたどり着いた。
ここには30年ほど前に来たことがある。
山辺の道という橿原市から天理市まで続く長いハイキングコースに来た時に寄ったのでした。
その時は、宝物の剣などを見たような気がするんだけれど見当たらない。
本殿に参拝をする。
神域は広いのだけれど、参拝する所はコンパクトだ。
見るとお守りを売っている。
起死回生のお守りだそうです。
これは魅力的なネーミングだ。
今の凡の停滞した運気を上げてくれそうである。
とはいうものの、所詮はお守りだものね。
起死回生と言えばここ石上神宮は、昔むかしはニギハヤヒノミコトが天降りした時に持ってきた十種の神宝(とくさのかんだから)というものを祀っていた。
それが戦国時代に豊臣秀吉か誰かに持ち去られたらしく、今はその神宝はない。
十種の神宝とは、
沖津鏡(おきつかがみ)
辺津鏡(へつかがみ)
八握剣(やつかのつるぎ)
生玉(いくたま)
死返玉(まかるかへしのたま)
足玉(たるたま)
道返玉(ちかへしのたま)
蛇比礼(へびのひれ)
蜂比礼(はちのひれ)
品物之比礼(くさぐさのもののひれ)
のことである。
この中で、「まかるかえしのたま」と言うのは、これはスゴイです。
これを振ってお願いをしたら、死んだ人がよみがえるそうです。
正しく起死回生である。
不思議大好き中年にとっては、興味の尽きない話ではあります。
ちなみに、この十種の神宝の行法は、ひふみの祓詞などを唱えながら、神宝を振ったり、腹のところで組み合わせた手を振ったりする。
兎に角、振るという言葉と動作が重要な鍵となっている
スワイソウやプルプル健康法など、身体を揺らしたり、振ったり、振動を与える動作には、何かの力というか効能があるような気がします。
凡も、もう少し賢くなるように頭でも振ってみますか。
そうだ、パンクロックをやっている人は、よく頭を激しく振って陶酔するヘッドバンキングをやってますが、ロックやっている人は、案外頭良いのかもね。
それで、石上神宮も、その歴史や伝わっている神道の行法など、面白い部分が掘り下げればあるようではありますが、今回は天理教のついでの参拝だったので、ここまでで切り上げた。
そんな流れで、大阪の平野区にある楯原神社を訪ねる。
そんな流れって、どういう流れかと言うと、十種の神宝である。
さっき書いた石上神宮にあった十種の神宝は、戦乱のどさくさに盗まれたのですが、それが回りまわって古道具屋に置かれていたのを、この地区の信者が買い取って、今は大阪の楯原神社に祀られているのです。
古道具屋で売られていた神宝の真贋については分かりませんが、石上神宮の宮司さんが返して欲しいと頼みに来たところをみると、本物である可能性も高いのかもしれない。
その楯原神社は、地下鉄の喜連瓜破駅駅から歩いてすぐのところにある。。
本殿は、それほど大きくもなく、またどちらと言うと寂れた感じもしないではない。
まずは、参拝。
そんでもって、そのお目当ての十種の神宝は、何処にあるのだろうと探す。
この本殿だろうか。
分からないまま、本殿の裏に回ってみると、果たしてそこに十種の神宝は別の祠に祀られていたのである。
それ単独の神社ですが、以外と小さい。
ふと祠の扉を見ると、鍵のところのかんぬきが簡単な棒のようなもので引っ掛けて閉めてあるだけだ。
この棒を抜き取って扉を開けて神宝を確認したい衝動にかられる。
それほど近い距離に、そんな重要な宝があるということにムーゴコロを刺激される。
果たして、本物なのか。
ただ、本殿の古さや傷み具合を考えると、この十種の神宝はお金儲けには効果がないことは推測できるのであります。
兎に角、死ぬかもしれないというときは、もう一度訪れてみようと思う。
そんでもって、別の日に偶然通りかかったところにあった神社。
それは大阪の北堀江にある土佐稲荷神社さんです。
人気のラーメン店のカドヤ食堂さんに行った時のことです。
ふと見ると立派な神社が見える
。
中に入ってみると、誰もいない敷地に本殿や末社がある。
ここの御祭神は、宇迦御魂大神さまだそうです。
三菱の岩崎彌太郎さんが信奉されていたらしいので、これはひょっとしたらご利益もあるのかもしれない。
取り敢えずはお参りだ。
「むにゃ、むにゃ、どうか、みゆきさんとデートできますように。」
すると風が吹いた。
先日、テレビの超ムーの世界で紹介されていたのですが、神社などでお参りをした時に、風に注意してみるのが面白いのだろうです。
この時に、神殿の方から風が吹いたら、それは神風と言って自分の願い事が神様に通じたということらしい。
或いは、なりたいものになれるという説も。
それで、自分のほうから神様に風が吹いたら、それは願い風と言って神様がお願いを叶えてくれるということらしいです。
どちらにしても、いい風だ。
そんでもって、凡はみゆきさんとのデートをお願いした。
正しくその時に風は吹いたのだ。
横から。
これはお願いが叶うの?叶わないの?
向こうへでもなく向こうからでもないということは、願い事が神様に届いてないということだろうか。
とはいうものの、お願い事をした瞬間に吹いたのだから、神様には届いてるはずだ。
でなきゃ風も吹かない理屈だもの 。
なので、お願いは届きはしている。
だが、その御願い事は聞きたくないなあということなのだろうか。
或いは、さあ、どうだろうと神様が首を傾げているとか。
今ちょっと忙しいし、また後でとかね。
大阪の飲みの誘いに対する曖昧な返事の「行けたら、行くわ。」風の「叶えられたら、叶えとくわ。」なのだろうか。
飲みの誘いの場合、そんな返事で相手が来た試しはない。
じゃ、叶わないのじゃない。
どうにも悩ましい風である。
それにしても、神社というのは、結構いろんなところに、たくさんあるのだなあと思う。
みんな願い事がたくさんあるものね。
これからも偶然にいろいろな神社やお寺に出会っていくのかもしれない。
機会があったら報告致します。
とはいうものの、まだ凡の願い事は叶わないのであります。
それから、カドヤ食堂さんのラーメンは、凡の好みの優しい味で、麺も硬くはない。また食べたいな。
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