平 凡蔵。の 創作劇場

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散散歩歩。(592)アイラブユー・ほたえてくれ!みゆきさーん。(232)

癒されるという言葉を最近はよく耳にする。
それは、今の世の中の人がそういう言葉を必要としているからだろう。
詰まりは、誰でもが何となく寂しいとか、不安だとかいうような気持ちを抱えながら日々を送っているということなのだと思う。
ただ、その癒されるという言葉の使い方について、凡は以前に、今の世間で使われている使い方が、間違っているのじゃないかということを書いたことがある。
今、若者が使っている癒されるという言葉は、あまりにも軽すぎるということだ。
いや、若者だけじゃないか、誰でもがそういう使い方をしているか。
それの意味するところは、可愛いとかホンワカするとかの、ほんのうわべだけのものでしかない。
子猫とか動物の赤ちゃんを見て、癒される~なんて言うけれど、それで?と問いたい。
しかし、本当に癒されるというのは、みゆきさんの笑顔のようなことを言うのである。
そして、凡は今までに、みゆきさんの笑顔であり、まつ毛であり、その声であり、そのすべてに癒されると書いてきた。
とはいうものの、言葉の共時性から言うなら、今の若者が使っている軽い意味の方が最近では主流になってきているわけで、そういう使い方をするのが、これは正解といえる時期になったのかもしれないと思うのであります。
本来の、癒されるという言葉は、もはや世間では特殊な意味になってしまって、反対に若者が使っている「癒される~。」なんて馬鹿な言い方が、今流の普通の言い方になってしまった。
なので、言葉は、共時性をまたもや持ち出してくるのだけれど、多数決で決まる。
ということはだ、凡もまた、癒されるという言葉の使い方を変えなくちゃいけないのである。
今まで、みゆきさんについて書いてきた「癒される」は、ここに一旦、これは本来の意味で使ってきましたと弁解をいたしまして、これからは凡も癒されるは、軽い意味で使っていかなきゃという訳なのであります。
じゃ、本来の癒されるは、どう書いていったらいいのだろうか。
みゆきさんに限って考えるなら、癒されるというのはどういう状況をいうのかということでありまして、普段の生活で凝り固まったこころのシコリが解きほぐされいくような感覚であり、解放される感じであるということになるのだろうか。
これを別の言葉で言うとしたら、、、
元の自分に戻してくれる、或いはさらに良くしてくれるという意味で、「治される」なんてことになるのかもしれない。
ほとんど、お医者さんだ。
或いは、こころを開放してくれるという意味で、「放たれる」なんてことか。
或いは、身も心も、ぐにゃぐにゃになっちゃうという意味で、「ほぐされる~。」なんてことか。
おかまバーだったら、「骨抜き~ぐにゃぐにゃ~。」なんてのもアリかもね。
兎に角だ、新しい言葉で置き換える必要があるのである。
なので、そんな癒されるに変わる言葉を探しに行かなくてはならないだろう。
とはいうものの、ここで凡は思うのである。
凡のこころを、これはよくよく観察してみるに、本当にみゆきさんに癒されているのだろうかということだ。
いや、直されているのだろうか。
いや、放たれている、いや、ほぐされている、いや、ぐにゃぐにゃ、、、、ああ、もうややこしい。
これは早急に新しい言葉を見つけなければいけない。
それは置いておいて、癒されているのは癒されているだろう。
でも、それと同時に癒されていない凡がいるのである。
みゆきさんの笑顔を見るにつけ、こう何か、こころが締め付けられるような。
悲しいような、寂しいような、つらい気持ちも沸き起こってくるのである。
切ない。
そうなのである。
みゆきさんと縁の無い凡が、凡自身切ないのである。
詰まりは、癒されるようで、切ないのである。
これは果たして癒されているというのだろうか。
みゆきさんの笑顔を見て、声を聞いて、「ハイ。今、癒されました。」なんてことじゃない。
それで、はい終わりということじゃないんだ。
そのあとに、切ない気持ちを引きずりまくっている。
悲しいかな、引きずっている。
どうしようもない気持ちをね。
そう思うと、みゆきさんに対して、これからの文章で癒されるなんてことを使うべきでないと思うのであります。
今まで散々使ってきた訳なのですけれどね。
どうにも、複雑な気分であります。
そんな凡は、またもや、みゆきさんに癒されようと思って、いや、癒されるんじゃない、とはいうものの、癒されるわけなんだけれど、とにかく以前から使っていたところの癒されるという意味で、癒されようと思って、というか以前から使っている癒されるという意味に切ない気持ちも含めたところの意味でね、、、ああ、もうややこしい。
兎に角だ、そんな気持ちで、またもや中島みゆきさんの映画「橋の下のアルカディア」を見に行ってしまった。
3月3日のことだ。
今回は、尼崎の映画館で172席あって、関西で上演している中では席数も多い。
15時15分の回に行くと、果たして凡以外のお客さんは5名だった。
女性2名、男性3名。
ただ、その分ゆっくりと、みゆきさんを見ることができたものね。
もう、「ぐにゃぐにゃ~、骨抜き~。」でありました。
それにしても、みゆきさんはスゴイよね。

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