平 凡蔵。の 創作劇場

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散散歩歩。(521)アイラブユー・ほたえてくれ!みゆきさーん。(186)

7月5日深夜27時。
中島みゆきさんのオールナイトニッポン月イチ。
この前のブログでは、みゆきさんの声が素敵だという事と、凡とミニボンがダブルでハガキを読まれたということしか書いて無くて、他に気が付いたことを書きますなんてことを言っていたのですが、振り返ってみると、あまりみゆきさんに関する情報というか、そうだったんだといことはなかったような気がする。
放送が始まっての話題は、どこかのスーパーの七夕の短冊のお願いの紹介だった。
その時に、七夕って「お願いする日なの。」というようなことを言っていたな。
そうなんだよね。
凡も前から不思議に思っていたんだ。
商店街とかスーパーとかの特設会場に大きな笹が置かれていて、みんなが短冊にお願い事を書いて吊るすんだけれど、不思議である。
何が不思議かというと、誰も疑問も持たずに楽しそうに願い事を書いた短冊をぶら下げているからである。
一体誰がお願い事を叶えてくれるというのだろうか。
彦星さんや織姫さんではないだろう。
彼らにみんなのお願い事をかなえられるだけのチカラがあるのなら、自分たちは年に1回じゃなくて、毎日会うことにチカラを使うだろう。
じゃ、神様なのだろうか。
チカラ的には1番願い事を叶えてくれそうだ。
でも、どうにもこの神様が意地悪に思えて仕方がない。
わざわざ彦星と織姫を結婚させておいて、自分の意にそわなかったら別れさせるなんて、そんな残酷なことがあるだろうか。
しかも年1回だけ会う事を許すなんて、更にヒドイよね。
もういっそのこと絶対に会えないってことになったら、相手の事も忘れられようものを、年1回会っちゃったら、思いが募るだけだ。
人のココロをもてあそぶのもいい加減にしてほしいよね。
だから、これだけは言える。
お願い事があっても、七夕の神様だけにはお願いをするべきじゃない。
お願いを叶えてあげるけれど、神様のいう事を聞きなさいなんて、交換条件をだされるからだ。
そんなお願い事なんていらない。
お願い事が叶うけれども、神様に束縛される。
そんなの神様の奴隷じゃない。
それは神様に魂を売って願い事を叶えるということとイコールなのである。
これからいえる結論は、七夕の神様はサタンであるということだ。
悪魔も、魂を売る見返りとして願い事を叶えてくれるそうですね。
なら、悪魔の方がストレートで気持ちいいじゃないか。
本当の神様なら、2人会って大いにこの生を楽しめっていうぐらいじゃないといけない。
神様なら、会えて良かったねーって言ってあげてほしいな。
だから、凡は笹と短冊が置いてあっても願い事を書いたりはしない。
ひょっとしたら今までに書いたことがあるかもしれないが、それはジョークだ。
下手に「みゆきさんと巡り合えますように。」なんて書いたら、最悪だよ。
神様の嫉妬に触れて、わざと会えない様にさせられてしまうだろう。
そんなことを考えたら、みゆきさんの放送で言った「お願い事をする日なの。」という言葉は、その辺のところを言っているのかもしれないなと思う。
でも、みゆきさんは誰かにというか、神様でも何にでも、お願い事をするのだろうか。
その辺のところが、凡は知りたいのではある。
それが神様なら、凡も同じ神様にお願いをしたいのね。
しかし、このみゆきさんの「お願い事をする日なの。」という疑問形には、他の意味もあるのかもしれない。
わざわざ放送で言った意味。
放送の電波は、遠く東京から、凡の住む大阪まで、大空を電波が飛んでやってくる。
大空には天の川が横たわっている。
その岸にいるのが織姫だ。
そしてその対岸にいるのが彦星。
みゆきさんは、ラジオという天の川を飛んでくる電波に乗せて、またもや凡にメッセージを送ってくれたということは、凡には想像に易い。
この場合の織姫とはみゆきさんだ。
そして彦星は凡。
そして、織姫と彦星は年に1回会うことができる。
詰まりは、「一会」である。
これが凡へのメッセージでなくて、他に説明がつくだろうか。
これの意味するところは、一会は凡の為に作ったのよ、ということと、一会で凡に合いたいなということじゃないか。
うん、分った。
「みゆきさん。アンダースタンド。」
正確にはアンダーストゥドと過去形にするべきだろうか。
とはいうものの、少し話は変わるけれども、英語において、凡はある法則でもって相手と話をする。
だって、英語が話せないんだもの。
どういう事かというと、まずは主語を省く。
そして、動詞は変化をさせない。
ということだ。
するとどうなるのかというと、「アイ・ウェントゥー・ダ・スクール。」ということを言う場合、凡は「ゴー・スクール・イエスタディ」と言う。
この作戦は相手に何とか凡の英語を分ってということだ。
でも、こう決めると案外楽に英語で話ができる。
という横道は置いておきまして、みゆきさん、あなたの気持ち受け取りました。
そんな妄想的理論展開に、またもや大泣きでみゆきさーんと叫ぶ凡なのでありました。
後は、そうだなあ。
お題のスイカで、スイカの魅力を「シャリシャリ感」という言葉で表現していたことかな。
あのスイカの食感は楽しいですよね。
凡もあの食感が大好きだ。
そんでもって、あの水分量の多さが大好きだ。
みゆきさんが、あの食感が好きだというなら、きっと凡と趣味が合うに違いない。
何の趣味かというと、「梨」だ。
凡は、家で梨を食べたいと思った時に、いつもミニボンと意見が食い違う。
ミニボンは、梨は豊水や幸水、長十郎というのが好きだというのだ。
これはイケナイ。
この手の梨は、歯ごたえに欠ける。
梨は歯ごたえが肝要である。
噛んだ瞬間、シャキっという歯ごたえが美味いのである。
そして、果汁は水分多く、甘みも大切であるがスッキリとしたものが良いのである。
それでいうと何と言っても「二十世紀」が1番に梨としての本意を心得ているというものである。
とはいうものの、最近スーパーでは、この二十世紀を見かけなくなった。
国民の食のレベルダウンだ。
悲しいことである。
そんな訳だから、みゆきさんがスイカのシャリ感が好きだというなら、きっと凡と同じ二十世紀が好きに違いないのでありまして、本当はどうなんだろうとおもうのでございます。
いつか、みゆきさんが皮をむいて凡に二十世紀を食べさせてくれることを妄想して、独りニヤケながら涙を流す凡なのでありました。
ということで、今月もみゆきさんの素敵な声を聞くことが出来て、何とも幸せなのでありました。
次回の放送までは、今回は日にちがあるんですね。
今からネガティブ川柳を書いて送っちゃおう。

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