平 凡蔵。の 創作劇場

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散散歩歩。(508)やっぱり東京の旅(2)

成田国際空港に着く。
しかし、国際空港なのに華やかな感じはない。
LCCは、第3ターミナルに着くのですが、タラップを降りてから工場の裏みたいな通路を歩いて歩いて、やっと出口のようなところに来る。
安い飛行機乗ってるんだから、綺麗な飾りは贅沢でしょと言われている感じだ。
でも、そこにはバスのチケット売り場もあり、旅行者にとって便利なつくりにはなっていた。
早速、チケットを購入。
東京まで1000円は安い。
はてさて、これからどうするかなのであります。
みゆきさんのいる東京まで来てはみたけれど、どうしたものか。
凡のこころの中では、ひょっとしてみゆきさんに偶然に遭遇することを、高校生の放課後に学校の近くの本屋さんで当てもない待ち伏せをするような切なさでもって、少しばかりは期待しているのであります。
ありますが、自宅のある地域まで行くということはしたくない。
これは、この後の2日目のことなのですが、ホテルで目が覚めてミニボンに電話をしたときに、「今日はどうするの。みゆきさんの家に行くの。」ときたのでありあます。
このみゆきさんの家に行くのというのは、別にみゆきさんを知っている訳じゃなくて、みゆきさんの家の近くのお店などに行って偶然に出会えるのを待つのという意味である。
もちろん、みゆきさんの家の近くに行った方が出会える確率は上がるだろう。
でも、嫌われる確率も同時に上がる。
たとえ会えたとしても「気持ち悪い。」と思われるのが結論である。
それに、もう凡はみゆきさんが好き過ぎて、たとえ会えたところで何もできないだろう。
身体も動かないし、声も出ない。
案山子だよ。
脳みそのない藁の案山子だ。
どの世界に案山子に好意を持ってくれる女性がいるだろうか。
悲しい現実を見てしまうことになる。
それに、そんなことをしたらストーカーとなってしまう。
とはいうものの、凡はストーカーの気質を気づかないどこかに120パーセント内在させてはいる。
ただ、それはずっと内在させたまま外には出しててはいけない。
嫌われないためにである。
そんなことでありますから、どこに行こうかバスの中では思案中であります。
そこで、とりあえずという言い方は失礼だけれども、青山にある凡の大好きな岡本太郎さんの記念館でも行こうかと思ったのですが、あることを思いついた。
凡は、アイフォンに岡本太郎アプリというものを入れている。
それを思い出して起動してみた。
これは東京周辺の岡本太郎さんにゆかりのある場所を紹介してくれるアプリ「TARO MAP」だ。

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それで決めた。
ある事は知っていたけれど、行った事がなかったところ。
川崎市にある岡本太郎美術館だ。
さっそくアイフォンで行き方を調べる。
まさか、みゆきさんとの遭遇を期待して東京に来たのに、川崎市に向かうとは思わなかった。
バスは東京駅に11時ごろに着いて、そのまま新宿経由で小田急線の向ヶ丘遊園駅まで移動する。
まずはお昼なのでご飯でも食べよう。
駅前にあった中華料理の「東秀」さんに入った。

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お腹も満ちたことだし、美術館までは歩いていくことにした。
しばらく歩いて行くと生田緑地という場所に出る。
岡本太郎美術館はこの生田緑地の中にあるのである。
行ってみてびっくりした。
東京の近隣に、これほどまでに豊かな緑の広がるところがあることを知らなかった。
その広大な敷地の中に、岡本太郎美術館だけじゃなく、日本民家園やプラネタリウムなどの施設が点在している。
敷地内を歩いていると、ウグイスや、何だろう、何かは知らないけれど鳥なんだ、その鳥が鳴いている。
ピーピロ、ピーピロ、ピーピロリン、とやっている。
生い茂った木々の下でフルートの練習をする少女。
お弁当を広げて楽しそうな母親と幼稚園ぐらいの女の子。

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(素晴らしいところなんですが、写真に撮ると、その良さが伝わらない。)
素晴らしい。
何が素晴らしいかって、その風景が素晴らしいんだ。
整備された公園ではあるのだろうけれど、散策するにも、そんな人工的な造作を感じさせない自然な雑木林の風情が、歩いていて気持ちがいい。
そんな自然を感じながら歩いていると岡本太郎美術館に着いた。
正面の階段を上ると大きな作品が青空に向かって背伸びをするようにドーンと置かれている。

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「母の塔」だ。
写真で見るよりも大きい。
さて、この川崎市岡本太郎美術館である。
周辺の環境は申し分ない。
建物の規模や施設内の構成も申し分ない。
作品の量もたっぷりある。
これらのことは素晴らしいものがある。
しかしだ。
しかし、凡は美術館に入って作品を見て回る内に、何とも勿体ない気分になったのである。
確かに目の前の太郎さんの作品はどれも迫力がある。
凡は、美術に関しては無知だ。
でも、作品を目の前にすれば何かを感じることはある。
だから、ゆっくりと館内を回っていたのであるけれども、気持ちが悪い。
壁に作品が吊ってあるのだけれど、その作品の前に結界の棒が置かれているのである。
凡と作品の間にある結界。
そして部屋ごとに美術館のお姉さんが椅子に座って凡を監視している。
写真を撮ることも、メモを取ることも禁止だ。
岡本太郎さんの作品は素晴らしいと思う。
でも、太郎さんの作品は、それに間近に真正面から対峙することで、作品から何かを感じることが出来るとことが素晴らしいと思うんだ。
青山の岡本太郎記念館や大阪で先日までやっていた太陽の塔の企画展では、川崎の美術館で禁止されていたことが、全部オッケーだ。
つまりは、遮るものがなくって、写真も撮っていいし、メモも取っていい。
凡が青山の記念館を訪れたときに若い女の子が岡本太郎さんの言葉が書かれたカードをスマートホンでパチパチと写真を撮っていた。
これなんだ。
これこそが素晴らしいんだ。
この若い女の子は、太郎さんの言葉にこころを動かされてスマートホンで写真を撮ったんだ。
太郎さんとまったくかけ離れたジェネレーションの女の子がこころを動かされる。
素晴らしいじゃないか。
芸術なり言葉なりにこころを動かされる。
それに対する行動が、写メであっても、メモであっても、何でもいい。
自分なりの行動で、その言葉を自分のもにすればいい。
そんな自由さが、この川崎の美術館には無い。
あまりにも官僚的で、偽善的である。
岡本太郎さんの作品は、素晴らしい価値のあるものだ。
だから、小市民はそれを有難く拝見すればいい。
写メをとるなんて不謹慎だ。
メモを取って、万年筆のインクが飛んだらどうするの。
畏れ多いから近くに寄ってはいけません。
1歩下がって、崇め奉って拝見させていただきなさい。
という訳だ。
凡は思わず「ははーっ。」と土下座してしまいそうになった。
とはいうものの、この施設も凡は幾分ケナシテいるように思うかもしれないが、存在しないよりは、あったほうがいい。
折角、もうあるんだからね。
ゆっくりと美術館を見回ると、出口にあるミュージアムショップで、折角だから岡本太郎さんの本を買って、「TAROの夢」というお菓子を買った。
この俗さがいい。
岡本太郎さんは、聖も俗もどっちでも似合うとこがスケールの大きさなんだ。

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(このお菓子は、ほろほろとした触感で、スコブル美味しかった。)
美術館を出ると、カフェがあって、オープンテラスでTAROブレンドというコーヒーを頂く。
雑木林を抜ける風を受けて飲むコーヒーは格別だ。

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格別なシチュエーションの格別なコーヒーであるけれども、愚で凡人の凡が座っている。
そしてアイフォンを見ている。
「えーっと、ここから歩いて駅まで行って、そうだ渋谷も行ってみたいな。でも、ホテルには一応チェックインもしたいし、、、、。」
バカヤロー!
どうして、素晴らしい作品を見て、気持のいい風を感じて、美味しいコーヒーを飲んで、かけがえのない時間を過ごしているのに、帰りの電車の時間を調べてるのよ。
余裕のない凡。
貧乏性の凡。
器の小さな凡。
とはいうものの、凡は凡で、そんな凡でしかいられない訳で、ならば、そんな凡のまま、焦りつつも帰りの電車を調べて、前のめりのまま汗をかきかき、とりあえずは新宿の人ごみへ帰ることにしましょうか。

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