平 凡蔵。の 創作劇場

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散散歩歩。(430)寿司を手で食べる。

最近、回転寿司に凝っている。
というか、凡の住んでいる門真市という町の「すしバリュー」さんというお店に凝っているという方が正解かもしれない。
今までは、そのすしバリューさんを通り越して、もう少し先の有名チェーン店に行っていた。そして、そのすしバリューさんの前を通る度に、何か外見から、そんな美味しいお店のようには感じなくて、流行ってるのかなあなんて、ミニボンと話していたのです。
それが、ミニボンのパート仲間から、美味しいと聞いて行ってみると、これがなかなか安くて美味しいのです。
それ以来、いいお店を教えてもらったねと話しながら、すしを頬ばっている次第であります。
どうしても、飲食店は行き慣れたお店に行ってしまうものですが、たまには新しいお店に行くべきでありますね。
そして、その寿司であります。
寿司を食べるというときに、よく話題上ることがある。
箸で食べるか、手で食べるか。
結論から言うと、そんなのは、どちらでもいい。
好きなように食べるのが正解だ。
とはいうものの、凡は箸でなきゃだめだ。
巻きずしぐらいは、浅鉢に盛ってあったら、ちょっと摘むぐらいのことはするだろう。
でも、それ以外の江戸前の寿司なんて手で食べるのは、どうも面倒くさい。
まずは、おしぼりで手を拭くだろう、頂く前にね。
そんでもって、寿司を摘みますわね。
そして、醤油をちょっとつけて口へ放り込むでしょう。
そしたら、指が酢飯とネタの汁が付いている訳だから、ベトベトになっちゃってる。
なので、またおしぼりで手を拭くことになるのだけれど、さっき拭いたおしぼりは、店の外で汚れた手を拭いたおしぼりな訳でありまして、少しばかり汚れが多いだろう。
なので、今回拭くときに、おしぼりを裏返したり、折り畳んだりして、なるべくきれいな面で指を拭きたいから、おしぼりとカウンターの寿司ネタの前で、あれこれ格闘することになる。
そうして、拭いた指でまたお寿司を摘みますな。
そうすると、指がベトベトになりますわな。
そんでもって、またおしぼりで指を拭いて、でも何度も指を拭いていると、おしぼりも少しばかり汚れてベトベトになってくるわけで。
さて、新しいおしぼりを貰おうかどうしようかと悩みながら、あと1貫か2貫ぐらいは食べちゃうな。
こんな作業は疲れそうだ。
なので、凡は箸を使ってたべる。
そもそも、寿司っていう食べ物は、なれずしや、鮒寿司のように、生ものの保存の方法として、発生して発展してきたものだ。
なので元来直接手で食べるものじゃない。
ただ、昔むかしに、江戸前でとれた魚をさっとさばいて、それを江戸の人が、ちょこっと指でもって摘んでさ、さっと口に放り込んで、さっとお店を出ていったんだろうね。
その姿が粋だっていうんで、みんながやるようになったんじゃないだろうか。
それで言うと、現代の寿司屋で指で摘んで、そんでもってお酒を飲みながら、うだうだと長い時間居座っているのは、ちぐはぐな感じに思えてくる。
とはいうものの、手で食べるか箸で食べるかのどちらが正解かという話ではない。
それは好みだから。
好きなように食べるのが正解だ。
でも、ふと思う。
寿司を手でもって食べている人はどのくらいいるのだろうか、何パーセントぐらいの人なのだろう。
想像するに、東京以外の地域では、箸で食べるだろう。
手で食べるのは東京ぐらいじゃないかな。
そんでもって、東京でも家や回転寿司では、どうだろう凡の想像では、東京の人であっても箸で食べるんじゃないだろうか。
すると職人さんが目の前で握ってくれるお店で、やっと寿司を手で食べることが粋に見えるようになる。
さて、そこで。
東京と言う街は、もともと東京で生まれ育った人と、地方から来た人が、ごちゃごちゃと入り混じっているというイメージだ。
親子3代、東京で生まれ育った東京人というのは、案外と少ないのではないだろうか。
そんな生粋の東京人が寿司屋で手で寿司をつまんで食べるのは、これは正解だ。
お父さんやおじいちゃんが食べている姿を見て育ったんだもの。
その真似をして食べるのは、それは正しい。
でも、地方から来て東京で暮らしている「今は東京人」は、どうだろう。
凡が、気になるのは、ここなんです。
「今は東京人」は、子供の頃はそれぞれの地方で寿司を箸で食べていた筈なんです。
そんでもって、大学へ行くためや、就職で東京に出てきて、東京の生活が始まる。
そして、始めはお金もないから回転ずしなんかへ行って、箸で寿司を食べるだろう。
でも、仕事も安定してきて少し余裕も出て来たときにカウンターで食べる寿司屋へ行くこともでてくるだろう。
そんなときに、その内の何パーセントかが、テレビで芸能人が寿司を手で食べているのを見て、それが正しい東京での寿司の食べ方なんだと、ある種憧れの気持ちで真似をしたいと思う人も出てくるに違いないのでありまして、そんな人の心持を考えると、少しばかり可笑しくもあり、切なくもある。
そう「寿司を手で食べるデビューの日」。
きっと本人はドキドキな気持ちで寿司屋のカウンターに座ったんだろうなと想像すると、何故か悲しいし、よくそんな面倒な事をやろうと思ったねと、その人にその時の気持ちを聞いてみたくなる。
しかし、そのデビューの日は、大変だ。
まずは、その人はカッコイイ食べ方をしたい訳だから、寿司屋のカウンターで、寿司を手で摘まんだはいいものの、醤油を付ける時にポロリと落としたりしたら大変だ。
「あ、あの人落としちゃったよ。たぶん地方から来たお兄ちゃんなんだろうね。ネタとシャリがバラバラだよ。それをまた1つにして、寿司屋に来て寿司自分で作ってどうするんだよね。」
なんて囁かれでもしたら、もう座ってはいられないよ。
なものだから、すぐに寿司屋には行かないだろう。
前もってスーパーで寿司を買って来て自宅で練習をするだろうね。
寿司を横に倒して、親指と人差し指中指で摘まんで、醤油をちょっと付ける。
そして、口に放り込む。
「完璧や。」
スーパーの寿司を頬張りながら、ニンマリと笑うね、きっと。
そして、カウンターでのシュミレーションも欠かさないね。
「兄ちゃん、こはだでも握ってくれるかな。」
なんて、親指と人差し指をクルクル回転させて、頼む訓練もしちゃうだろう。
さらに気を付けないといけないのが、寿司を食べた後だ。
指がベトベトになってるから、つい指を舐めてしまったりしそうになる。
これをやっちゃうと、今までの苦労が台無しになる。
なので食べた後におしぼりで指を拭く動作をなんどもくりかえし体で覚えなきゃいけない。
野球で言う素振りだ。
そんな泣きそうになる努力をした末に、ようやく寿司屋に行く訳で、そりゃ緊張するよね。
でも、素晴らしい。
そうやって東京と言うブランドが維持されているのだから。
やっぱりすごいね東京は。
それにね、関西人で手で寿司を食べる人に変えるのは、更に大変だ。
関西人は、どちらかというと寿司を手で食べるなんてことは、バカにしているところがある。
なので、関西の友人と寿司屋なんてことになると、これは最悪だ。
「い、い、今、何やったんや。寿司を手で食べたんちゃうんか。どうしたんや、熱あるんとちゃうか。あ、そうか。女やな。東京の女が出来たんやな。そやから、そんなけったいなことしてるんや。それは、夢遊病やで、夢遊病。目覚まさなあかんで。お前東京の女ちゅう夢にうなされて、勝手にアホなことしてしもてるんや。」なんてことを東京の寿司屋のカウンターで言われることになる訳で、これはそのお店の全員に注目されて引かれてしまうだろう。
そうならないように、何回もその友人と手で食べるデビューをする前に、寿司を手で食べることの根回しをしなきゃいけない。
まずは、自分は箸で食べるのが基本だけれど、ふざけて手で食べてみる振りをする。
「しかしなあ。東京の人は大変やなあ。寿司を手で食べるんやで。こうやってな、寿司を手ぇで、、、、ほらみてみぃ、手ぇがベトベトや。ほんま東京の人はアホやで。でーも、僕は東京人だから、手べ食べちゃうよーん。」なんて、冗談をいいながら手で食べる必要がある。
そんでもって、その次に行った時に、また手で食べる姿を見せなきゃいけない。
「しかしなあ。寿司を手で食べたらカッコええらしいで。この前もな、寿司を手で食べたら、近くにおった女の子にカッコイイって言われてん。これからは、手で食べやなあかんわ。」
なんてことを言う必要がある。
女の子にモテるためにという理由は、大阪の人間にとっては立派な理由である。
素直に納得が出来る。
そんな段階を経て、やっと寿司屋のカウンターである。
そこで、寿司を手で摘まんで食べるのだけれど、ここで寿司を口に放り込んだあとに、友人に耳打ちすることを忘れてはならない。
「これで、東京の女は、イチコロやで。」とね。
寿司屋のカウンターで寿司を手で食べている人を見ると、そんなことを想像して1人笑ってしまう。
それにしても、東京の女の子は、寿司を手で食べるのはカッコイイと思っているのだろうか。
もし思っているのだったら、凡も手で食べちゃうんだけどなあ。
女の子にモテるために。

画像

(普通のネタは100円だけれど、凡のお気に入りは、180円のうにと本まぐろの赤身。)

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