平 凡蔵。の 創作劇場

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散散歩歩。(377)どこかへ行ってきてと言われて出かけた金沢の旅。(7)

金沢には、いろんな美術館や記念館がある。
こんなにも狭い地域に密集しているのは金沢ぐらいじゃないだろうか。
そして、凡が行ったのは、「金沢ふるさと偉人館」。

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金沢にはどんな偉人がいるのかなと思ったことと、ちょうど凡が行っていた期間は、開館20周年記念企画として「夏目漱石とその時代(漱石をめぐる金沢の人々)」というのをやっていると知ったからだ。
偉人館は、お客さんも少なく、ゆっくりと見て回ることができた。
お目当ての漱石の展示については、会館の1階の隅のスペースでやっているという感じで、期待したよりは小規模だった。
今年の6月から3期に分けて紹介しているようで、凡の行ったのは3期目で、ロンドンで下宿を共にした味の素の発明者の池田菊苗さんなどとの交流がテーマのようだ。

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その規模を見て「なあんだ。」と、少し残念な気持ちで2階に行く。
この2階が金沢にゆかりの偉人を紹介したフロアーだ。
さすがにこのフロアーは充実していましたね。
まず最初に天文学の木村栄さん、そして、高峰譲吉さん、台湾に烏山頭ダムを作った八田與一さん、そして昨日記念館を訪れた鈴木大拙さん、哲学者の西田幾多郎さん、書家の北方心泉さん、文人の細野燕台さんなど、数多くの偉人を紹介している。

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高峰譲吉さんのコーナーでは、「タカジアスターゼ」が陳列されていた。
まさしく夏目漱石の吾輩は猫であるに登場する薬が紹介されていたのが、夏目漱石の特別展と縁があるようで、おもしろかった。

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知らない偉人が金沢には沢山いるものですね。
ここは、訪れて良かったです。
それにしても、偉人と言われるなんて、すごいなあ。
凡も子供の頃は、何か立派な大人になって、偉人と呼ばれる人になりたいと思っていただろう。
もうそんな記憶なんて消えてしまって思い出せない。
でも、子供の頃に、大きくなったら何になりたいかって聞かれて、「チンチン電車の運転手っ。」って答えてた記憶もあることから、子供の凡には、偉人、イコール、チンチン電車の運転手だったのかもしれない。
大阪市内でも昔はチンチン電車が走っていた。
子供のころから、夢が小ぶりだね。
そして、中年になった今でも、何か今から立派な大人になりたいなんて、こころの隅に思っている凡がいる。
とはいうものの、偉人なんて言葉は、他人に言ってもらわなきゃいけない訳で、凡には誰も言ってはくれないのは、これは間違いがない。
なら、自分で言っちゃうか。
「偉人、凡。」
間抜けである。
じゃ、「えらい人、凡。」とでも、大阪弁で言いますか。
大阪弁で、えらいと言う言葉には、しんどい、疲れたという意味もある。
「疲れた人、凡。」
まあ、このぐらいが妥当かもしれないな。
もしくは、偉くないのだから、「人、凡。」。
でも、凡はもともと人なのだから、わざわざ人って言わなくてもいいよね。
今からでも遅くはない。
今からでも、頑張って偉人と呼ばれる人になって、中島みゆきさんに「凡ちゃんに、会いたい。」って言ってもらえるようになりたい。
最後の目的は、やっぱりそこなのね。
さて、結構楽しんだ偉人館を見学した後は、受付の男性の方にお聞きして、室生犀星記念館に行くことにした。
親切な方で、ドアの外にまで出て、道順を教えてくれた。
金沢は親切な人が多いのかな。
室生犀星記念館は、中に入ると小さな水を使った中庭がある。
建物は綺麗だけれど、何となく対応が冷たい気がしたのは、凡だけなのだろうか。

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展示会場をぐるっと1周する。
それにしても、室生犀星は、ふるさと金沢が好きだったんだろうか。
犀星の詩に、ふるさとは「よしや うらぶれて 異土の乞食となるとても
帰るところにあるまじや」と書かれている、その深い意味は知らない。
でも、字をそのまま解釈すると、帰りたくない場所という意味になる訳で、どうなんでしょうか。
そんな疑問を持って館内を回ったけれども、その意味は解らず仕舞いだった。
さて、そろそろ駅に戻らなきゃいけない時間であります。
帰り道に、老舗記念館などを見ながら、香林坊まで戻ってバスで金沢駅まで戻った。

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